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マウロ・エスポージト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マウロ・エスポージト
名前
ラテン文字 Mauro Esposito
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1979-06-13) 1979年6月13日(45歳)
出身地 トッレ・デル・グレーコ
身長 172cm
体重 70kg
選手情報
ポジション FW / MF (RWG, RMF)
利き足 右足
ユース
1996-1999 イタリアの旗 ペスカーラ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997-1999 イタリアの旗 ペスカーラ 41 (12)
1999-2001 イタリアの旗 ウディネーゼ 9 (0)
2001 イタリアの旗 ペスカーラ (loan) 17 (4)
2001-2007 イタリアの旗 カリアリ 199 (58)
2007-2010 イタリアの旗 ローマ 8 (0)
2008-2009 イタリアの旗 キエーヴォ (loan) 27 (0)
2010 イタリアの旗 グロッセート (loan) 18 (4)
2010-2011 イタリアの旗 アトレティコ・ローマ英語版 19 (5)
1997-2011 通算 338 (83)
代表歴
2004-2006 イタリアの旗 イタリア 6 (0)
監督歴
2018- イタリアの旗 ペスカーラ U-20(アシスタント)
1. 国内リーグ戦に限る。2015年7月16日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マウロ・エスポージトMauro Esposito1979年6月13日 - )は、イタリアトッレ・デル・グレーコ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはFWMF(主に右ウイング)。

経歴

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ペスカーラ・カルチョユース出身。2001-02シーズンにウディネーゼ・カルチョから当時セリエBカリアリ・カルチョへ移籍し、2003-04シーズンに40試合17ゴールを挙げクラブのセリエA昇格に貢献した。

続く2004-05シーズンジャンフランコ・ゾラダビド・スアソと共にゴールを量産し16ゴールを記録。この活躍でイタリア代表にも招集されたが、ヴィンチェンツォ・イアクインタアントニオ・ディ・ナターレの台頭によって2006 FIFAワールドカップの出場はならなかった。

2005-06シーズン以降ゴール数は減少したが、前線を掻き回しスアソへのマークを軽減させ彼のゴール量産をサポートした。

2007年7月4日、ASローマへ共同保有の形で加入[1]。翌年9月1日、ACキエーヴォ・ヴェローナへシーズンローンとなった[2]。2009-10シーズン後半はUSグロッセートFCでプレーした[3]

2010年9月13日、ロベルト・バローニオと共にレガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネアトレティコ・ローマFCに加入[4]。シーズン終了後にクラブを退団し、現役を引退した[5]

指導歴

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2018-19シーズンより自身のプロデビューしたクラブであるペスカーラへ舞い戻り、プリマヴェーラ部門でアシスタントコーチを務めることとなった[6]

タイトル

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ウディネーゼ
ローマ

脚注

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  1. ^ ASローマ、エスポージトを共同保有で獲得”. ライブドアニュース (2007年7月5日). 2019年1月17日閲覧。
  2. ^ キエーボが元イタリア代表エスポージトら2選手獲得”. ゲキサカ (2008年9月2日). 2019年1月17日閲覧。
  3. ^ Inter-Ledesma, quasi fatta Cassano verso il City”. La Gazzetta dello Sport (2010年1月27日). 2019年1月17日閲覧。
  4. ^ UFFICIALE: Atletico Roma, ecco Baronio e Mauro Esposito”. TuttoMercatoWeb (2010年9月13日). 2015年7月16日閲覧。
  5. ^ Che fine ha fatto? Esposito, svincolato a 32 anni dopo la Nazionale di Lippi”. Calciomercato.com (2014年12月11日). 2019年1月17日閲覧。
  6. ^ Si è radunata la Primavera, Luciano Zauri è il nuovo tecnico”. Pescara Sport 24 (2018年7月25日). 2019年1月17日閲覧。

外部リンク

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