ペレヤスラヴリ公
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ペレヤスラヴリ公(ウクライナ語: Переяславські князі)とは、ペレヤスラヴリ公国の君主の称号である(「公」は「クニャージ」からの訳出による)。
(留意事項)
- 本頁の人名・地名は現地の言語の音写よりも、日本語表記として一般的と思われるものを優先して表記している。
- 各人物は、文献によっては「~世」・「~公」等の数えや通称の併記、あるいは洗礼名での表記などにより、異なる表記がなされている可能性がある。
- 各人物は、他の称号の元で異なる数えがなされる可能性がある。(例:ウラジーミル・フセヴォロドヴィチはペレヤスラヴリ公としては1人目のウラジーミルであるが、キエフ大公としては「ウラジーミル2世」となる。)
各人物の詳細は各頁を参照。
ペレヤスラヴリ公の一覧
[編集]- フセヴォロド・ヤロスラヴィチ(在位:1054年 - 1073年)
- ロスチスラフ・フセヴォロドヴィチ(在位:1078年 - 1093年)
- ウラジーミル・フセヴォロドヴィチ (在位:1094年 - 1113年)
- スヴャトスラフ・ウラジミロヴィチ(在位:1113年 - 1114年)
- ヤロポルク・ウラジミロヴィチ(在位:1114年 - 1132年)
- フセヴォロド・ムスチスラヴィチ(在位:1132年)
- ユーリー・ウラジミロヴィチ (在位:1132年)
- イジャスラフ・ムスチスラヴィチ(在位:1133年)
- ヴャチェスラフ・ウラジミロヴィチ(在位:1134年)
- ユーリー・ウラジミロヴィチ(在位:1135年):再任
- アンドレイ・ウラジミロヴィチ(在位:1135年 - 1141年)
- イジャスラフ・ムスチスラヴィチ(在位:1141年 - 1146年):再任
- ムスチスラフ・イジャスラヴィチ(在位:1146年 - 1149年)
- ロスチスラフ・ユーリエヴィチ(ru) (在位:1149年 - 1151年)
- ムスチスラフ・イジャスラヴィチ(在位:1151年 - 1154年):再任
- グレプ・ユーリエヴィチ(在位:1154年 - 1169年)
- ウラジーミル・グレボヴィチ(在位:1169年 - 1187年)
- ヤロスラフ・ムスチスラヴィチ(在位:1187年 - 1199年)
- ヤロスラフ・フセヴォロドヴィチ (在位:1200年 - 1206年)
- ミハイル・フセヴォロドヴィチ(在位:1206年)
- ウラジーミル・リュリコヴィチ (在位:1206年 - 1213年)
- ウラジーミル・フセヴォロドヴィチ (在位:1213年 - 1215年[注 1])
- フセヴォロド・コンスタンチノヴィチ(在位:1227年)
- スヴャトスラフ・フセヴォロドヴィチ(ru) (在位:1228年 - ?)
- オレグ(? - 1321年死去[注 2]。)
脚注
[編集]注釈
出典
- ^ Соловьёв С. М. История России с дневнейших времён