ヘレン・メリル
ヘレン・メリル Helen Merrill | |
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出生名 | Jelena Ana Milčetić |
生誕 | 1929年7月21日(95歳)[1] |
出身地 | アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク |
ジャンル | ジャズ |
職業 | 歌手 |
レーベル |
エマーシー・レコード 日本ビクター |
公式サイト | www.helenmerrill.com |
ヘレン・メリル(Helen Merrill、1929年7月21日 - )は、アメリカ合衆国の女性ジャズ歌手[1]。本名はイェレナ・アナ・ミルチェティッチ(Jelena Ana Milčetić)。
そのハスキーな歌声は、しばしば「ニューヨークのため息」と評される[2]。
来歴
[編集]ニューヨーク生まれ。両親はクロアチア人移民だった。14歳でブロンクス区のジャズクラブで歌うようになり、1946年から1947年にかけて、レジー・チャイルズ・オーケストラ(Reggie Childs Orchestra)というビッグバンドの一員として活動[3]。1948年、クラリネット奏者のアーロン・サクスと結婚するが、1956年に離婚。2人の長男のアラン・メリルは、後に元ザ・テンプターズの大口広司と共にウォッカ・コリンズで活動したシンガーソングライター、ギタリスト、また、英国でのバンド、アローズの時代の世界的大ヒット曲「アイ・ラヴ・ロックン・ロール」 (I Love Rock 'n' Roll ) (1975年) の作詞・作曲家、オリジナル・レコーディング・アーティスト、パフォーマーでもある[4]。
1954年12月22日から24日にかけて、初のリーダー・アルバム『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン』を録音。1956年に早世するトランペット奏者のクリフォード・ブラウンが全面参加し、クインシー・ジョーンズが編曲を担当。同作収録の「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」(作詞・作曲はコール・ポーター)は、メリルの代表的なレパートリーとなった。1956年の作品『ドリーム・オブ・ユー』ではギル・エヴァンスと初共演。1950年代末期になるとヨーロッパでの活動が増し、イタリア録音のアルバム『ローマのナイト・クラブで』ではニニ・ロッソと共演。その他、多くのジャズ巨匠と共演しており、ビリー・ホリデイ、チェット・ベーカー、スタン・ゲッツらがプロの仲間、また、友人として挙げられる。
1960年11月、初の日本公演を行う[5]。1963年にも日本を訪れ、山本邦山等と共演。1966年頃、UPI通信社のアジア総局長ドナルド・ブライドンと2度目の結婚し、それを機に日本に移住[6]。以後、渡辺貞夫との共演盤『ボサ・ノヴァ・イン・トーキョー』、猪俣猛とウエストライナーズとの共演盤『オータム・ラヴ』、佐藤允彦と共に制作したビートルズのカヴァー集『ヘレン・メリル・シングス・ビートルズ』、当時やはり日本在住だったゲイリー・ピーコックとの共演盤『スポージン』等を発表。その後、ブライドンと離婚し、1972年にはアメリカに帰国して音楽活動を停止するが、1976年にはジョン・ルイスとの共演盤『ジャンゴ』を発表し、活動再開。
親日家であり、活動再開後は数多く来日、ライブ・コンサート活動をしている。近年では2015年に続いて、2017年4月に最後となる来日公演を行った。
また、1993年、日本映画『僕らはみんな生きている』(滝田洋二郎監督)の主題歌として、「手のひらを太陽に」を英訳してカヴァーする。クリフォード・ブラウンとの共演から40年後に当たる1994年には、『ブラウニー〜クリフォード・ブラウンに捧げる』発表。『あなたと夜と音楽と』(1997年)では菊地雅章と共演。プラハ録音の『ライラック・ワイン』(2003年)では、エルヴィス・プレスリーの「ラヴ・ミー・テンダー」やレディオヘッドの「ユー」をカヴァーした。
ディスコグラフィ
[編集]リーダー・アルバム
[編集]- 『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン』 - Helen Merrill(EmArcy、1955年)
- 『ヘレン・メリル・ウィズ・ストリングス』 - Helen Merrill with Strings(EmArcy、1955年)
- 『ドリーム・オブ・ユー』 - Dream of You(1956年、1957年録音)(EmArcy、1957年)
- Merrill at Midnight(1957年)
- 『ザ・ニアネス・オブ・ユー』 - The Nearness Of You(1958年)
- You've Got A Date With The Blues(1959年)
- 『アメリカン・カントリー・ソングス』 - American Country Songs(1959年)
- 『ローマのナイト・クラブで』 - Parole e Musica(1960年)
- 『ヘレン・メリル・イン・トウキョウ』 - Helen Merrill in Tokyo(1963年)
- 『ジ・アーティストリー・オブ・ヘレン・メリル』- The Artistry of Helen Merrill(1965年)
- The Feeling is Mutual(1965年)
- 『シングス・フォーク』 - Helen Merrill sings Folk(1966年)
- Autumn Love(1967年)
- 『ボサ・ノヴァ・イン・トーキョー』 - Helen Merrill sings Bossa Nova(1967年)
- A Shade of Difference(1968年)
- 『シングス・スクリーン・フェイヴァリッツ』 - Screen Favorites(1968年)
- Plaisir D'amour(1969年)
- 『ヘレン・メリル・シングス・ビートルズ』 - Helen Merrill Sings The Beatles(1970年)
- 『ヘレン・シングス、テディ・スウィングス』 - Helen Sings Teddy Swings(1970年)
- ゲイリー・ピーコック・トリオと共同名義, 『スポージン』 - Sposin' with Gary Peacock trio(1971年)
- ジョン・ルイスと共同名義, 『ジャンゴ』 - Helen Merrill John Lewis(1976年)
- 『ラブ・イン・ソング』 - Love in Song(1977年)
- 『チェイジン・ザ・バード』 - Chasin' The Bird(1979年)
- 『クール&ボッサ』 - Casa Forte(1980年)
- Imagination(1982年)
- Affinity(1982年)
- Helen Merrill sings Rogers and Hammerstein(1982年)
- No Tears No Goodbyes(1985年)
- Cole Porter Album(1986年)
- Jerome Kern Album(1986年)
- HM sings Irving Berlin(1986年)
- Musicmakers(1986年)
- ギル・エヴァンスと共同名義, 『コラボレイション』 - Collaboration(1987年8月録音)(EmArcy、1987年)
- ロン・カーターと共同名義, Duets(1987年)
- スタン・ゲッツと共同名義, 『ジャスト・フレンズ』 - Just Friends(1989年)
- Christmas Songbook(1991年)
- Helen Merrill in Italy(1991年)
- 『クリア・アウト・オブ・ディス・ワールド』 - Clear Out of This World(1991年)
- 『ブラウニー〜クリフォード・ブラウンに捧げる』 - Brownie: Homage to Clifford Brown(1994年)
- 『あなたと夜と音楽と』 - You And The Night And The Music(1997年)
- Carousel(1997年)
- 『ヘレン・メリル』 - Jelena Ana Milcetic AKA Helen Merrill(2000年)
- 『ライラック・ワイン』 - Lilac Wine(2003年)
- 『ライブ・アット・ニューラテンクォーター』 - Live At New Latin Quarter(2013年)
テレビ出演
[編集]- 地球テレビ エル・ムンド(NHK BS1):2012年2月29日23:00~23:50放送
脚注
[編集]- ^ a b “現代外国人名録2016”. コトバンク. 日外アソシエーツ. 2019年12月4日閲覧。
- ^ ヘレン・メリル(Helen Merrill)-CDJournal.com アーティスト-
- ^ Helen Merrill: 60 Years of Warm Sweet Songs(allaboutjazz.com)
- ^ Osaka Blues Spirits
- ^ 『ローマのナイト・クラブで』日本盤CD(BVCJ-38083) ライナーノーツ(野口久光)
- ^ 『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン』日本盤CD(UCCU-5004) ライナーノーツ(岩浪洋三)