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ヘラルドグループ

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ヘラルドグループ (Herald-Group) は、かつて存在した名古屋の資産家古川為三郎が創業した約30社からなる企業グループである。「古川グループ」とも呼ばれる。映画館、飲食店の経営、映画の配給などを中心にメディアや興業関係のサービスを提供していた。中核企業はヘラルドコーポレーション

概要

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古川為三郎が創業した古川グループ(ヘラルドグループ)は、 為三郎の長男(古川勝巳)一族のヘラルドグループ、為三郎の次男のフジオカ開発(藤岡カントリ—クラブ)、為三郎の三男一族の株式会社平安(ダイナランド)・株式会社エフワン(今池国際劇場)に分かれ、さらにヘラルドグループは、古川勝巳の次男(古川為之)のヘラルドグループ(名古屋)と三男(古川博三)の日本ヘラルド映画に分かれた。2003年、「グレイスヒルズカントリー倶楽部」のゴルフ場開発で抱えた負債により[1][2]、ヘラルド・コーポレーションは経営破綻し、ヘラルドグループは解体した。

主な歴史

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  • 1921年(大正10年) - 古川為三郎が名古屋市中区大須に映画館「太陽館」を開館。
  • 1922年 - 中区大須に「帝国館」を開館
  • 1923年 - 中区大須に「帝国座」を開館
  • 1924年 - 太陽館近くに「肉なべ屋」を開店。
  • 1925年 - 名古屋市北区に「富士劇場」を開館
  • 1931年(昭和6年)- 千種区に「今池劇場」を開館。
  • 1932年 - 「大勝館」を開館。
  • 1933年 - 「肉なべ屋」を改装し中区大須に喫茶レストラン「資生堂パーラー大須店」を開店。
  • 1936年 - 鶴舞公園前に「資生堂パーラー公園店」を開店。
  • 1939年 - 中区大須に「資生堂パーラー赤門店」を開店。
  • 1945年 - 戦災により名古屋市西区「弁天座」を残し、映画館7館と資生堂パーラー全店を焼失。
  • 1946年 - 名古屋駅前に洋画専門館「メトロ劇場」を開館
  • 1946年 - 千種区に「今池国際劇場」を開館。
  • 1947年 - 喫茶「資生堂パーラー広小路店」を開館。
  • 1948年 - 株式会社資生堂を設立し、会長に古川為三郎が就任。
  • 1950年 - 名古屋市中区に「ミリオン座」を開館。
  • 1951年 - 広小路土地興業株式会社を設立し、会長に古川為三郎が就任。
  • 1956年 - 有限会社欧米映画配給社を設立し、会長に古川為三郎、社長に古川勝巳が就任。
  • 1956年 - 中村区に「マキノ劇場」を開館。
  • 1957年 - 有限会社欧米映画配給社をヘラルド映画株式会社に商号及び組織変更。
  • 1957年 - 「資生堂パーラーサンロード店」「資生堂パーラー栄地下街北店」「メトロレコードメイチカ店」を開店
  • 1960年 - 中村区に「毎日ホール劇場・毎日地下劇場」を開館。
  • 1960年 - 弘洋株式会社(現株式会社C-Forest)を設立し、社長に古川為三郎が就任。
  • 1960年 - パチンコ店を開店。
  • 1961年 - 株式会社ヘラルド映画興行を設立し、会長に古川為三郎が就任。
  • 1961年 - ヘラルド映画株式会社と株式会社ニッポンシネマコーポレーションが合併し、日本ヘラルド映画株式会社が発足。
  • 1964年 - 株式会社中日シネラマ会館を設立し、会長に古川為三郎が就任。総合レジャービル「中日シネラマ会館」(ヘラルドシネプラザ)が開館。
  • 1967年 - 「資生堂パーラー栄地下街南店」「資生堂パーラーメトロ店」を開店
  • 1969年 - ボウリング場運営会社として中日ボウリング株式会社を設立し、会長に古川為三郎が就任。
  • 1969年 - 株式会社中日シネラマ会館が広小路土地興業株式会社を吸収合併。
  • 1971年 - 古川グループ、「藤岡カントリークラブ」を開場。
  • 1971年 - 株式会社資生堂が、ヘラルドフーヅ株式会社に社名変更。
  • 1971年 - 株式会社ヘラルド映画興行が中日ボウリング株式会社を吸収合併し、ヘラルド興業株式会社となる。
  • 1972年 - 古川グループ、「大日岳国際スキー場」を開場。
  • 1972年 - 天白区に「ヘラルド文化センター」を開設。
  • 1972年 - 天白区にアイスクリーム工場を設立。
  • 1973年 - ヘラルド興業株式会社が株式会社中日シネラマ会館を吸収合併。古川土地建物株式会社を設立。
  • 1973年 - レストラン「資生堂サロン」を開店。「資生堂パーラージャスコ八事店」を開店。
  • 1975年 - 資生堂パーラーをベルヘラルドに改名。
  • 1976年 - シネプラザに「シネマA」を開館。
  • 1976年 - 「ベルヘラルド上前津店」「ベルヘラルド豊田店」「ベルヘラルド稲沢店」を開店。
  • 1977年 - 「フレッシュベーカリー八事店」「フレッシュベーカリー広小路店」「ベルヘラルド藤ヶ丘店」を開店
  • 1978年 - 「フレッシュベーカリー恵方店」「メトロレコード栄店」を開店。
  • 1980年 - 「ヘラルドローラーリンク」を栄・天白・岡崎にオープン。
  • 1982年 - 「ヘラルドテニスクラブ一宮」をオープン。「ベルヘラルド一宮インター店」を開店。
  • 1983年 - 中村区に「ゴールド劇場・シルバー劇場」を開館。
  • 1983年 - イタリア料理店を開店。
  • 1984年 - 「ビデオステーション」栄北店・メイチカ店を開店。
  • 1985年 - 名古屋ケーブルネットワーク株式会社を設立。
  • 1985年 - 「ベルヘラルド大須店」を開店。
  • 1985年 - 豊田市猿投温泉に「ホテル金泉閣」をオープン。
  • 1986年 - 日本ヘラルド映画・ヘラルド興業社長の古川勝巳死去に伴い、ヘラルド興業副社長の古川為之が、日本ヘラルド映画、ヘラルド興業などグループ各社の社長に、日本ヘラルド映画副社長の古川博三がヘラルド興業副社長など各社役員に就任。
  • 1987年 - ヘラルドフーヅ株式会社、ヘラルド興業株式会社、三重劇場株式会社の3社が合併し、株式会社ヘラルドコーポレーションが発足。
  • 1987年 - 名古屋市中区に天むすび専門店を開店。
  • 1987年 - 財団法人古川会を設立し、理事長に古川為三郎が就任。
  • 1988年 - 名古屋駅地下街にCD・ビデオ店「メトロミュージックステーション」を開店。
  • 1988年 - ヘラルドシネプラザ内に「シネプラザ50」を開館。
  • 1989年 - 「グレイスヒルズカントリー倶楽部」の開発に着手。
  • 1989年 - 名古屋パルコ内に「カフェベルヘラルド」、「ベルヘラルドパルコ売店」を開店。
  • 1989年12月 - 日本ヘラルド映画、会長の古川為三郎が名誉会長に、古川為之が会長に、古川博三が社長に就任。
  • 1991年 - 財団法人古川会「古川美術館」を開館。
  • 1993年 - 日本ヘラルド映画、会長の古川為之が取締役に、古川博三が会長に就任。
  • 1993年 - ヘラルドグループ創業者・名誉会長の古川為三郎が死去。
  • 1993年 - 「ベルヘラルドジャスコシティ八事店」を開店。
  • 1994年 - 名古屋市中区に「ZXA」、「ZXAカラオケ館」をオープン。
  • 1995年 - ヘラルドシネプラザ内に「ヘラルドカラオケランド」をオープン。
  • 1995年 - ヘラルドシネプラザ内に「シネプラザ4」を開館。
  • 1996年 - 新設されたヘラルド・エステート株式会社(後の株式会社角川ヘラルド・ピクチャーズ)が、(旧)日本ヘラルド映画株式会社より映画配給事業を譲り受け、(新)日本ヘラルド映画株式会社に社名変更。
  • 1997年 - 「ベルヘラルド広小路伏見店」を開店。
  • 1999年 - ヘラルドリゾート開発が「グレイスヒルズカントリー倶楽部」を開場。弘洋株式会社がヘラルド不動産株式会社を合併し、ヘラルド不動産株式会社に社名変更。
  • 2000年 - 名古屋パルコ内に「センチュリーシネマ」を開館。
  • 2001年 - 名古屋ケーブルネットワーク株式会社が、スターキャット・ケーブルネットワーク株式会社に社名変更。
  • 2001年 - 名古屋市中区栄地下に「ベルヘラルド シャポーブラン栄南店」を開店。
  • 2002年 - スターキャット・ケーブルネットワーク株式会社がジャスダック上場。ヘラルド不動産株式会社がヘラルド・エステート株式会社(旧日本ヘラルド映画株式会社)を吸収合併。
  • 2003年12月5日 - 約300億円の負債を抱え、株式会社ヘラルド・コーポレーションが民事再生手続開始[3]

主な企業

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  • 株式会社ヘラルドコーポレーション - 洋菓子・パンの製造販売、喫茶店(ベルヘラルド)・ベーカリー・イタリア料理店・和食店の経営、映画の興行、アミューズメント施設(ボウリング・ビリヤード・ゲーム・カラオケ)の経営。1999年1月期の年商は54億6000万円。センチュリーシネマとゴールド劇場・シルバー劇場は、スターキャット・エンタープライズが継承。飲食事業は株式会社Belle・Chapeauが継承。 
    • ヘラルドリゾート開発株式会社(ゴルフ場「グレイスヒルズカントリー倶楽部」開発・経営) - ゴルフ場事業をリゾートトラスト株式会社傘下のリゾートトラストゴルフ事業株式会社に譲渡。
    • 株式会社Belle・Chapeau(飲食店の経営、 菓子の製造及び販売等)- 2017年4月に株式会社プリムイソベンに株式売却をされる。
    • ヘラルド不動産株式会社(不動産の販売・賃貸・管理) - ヘラルドグループの不動産の管理と賃貸事業を行ってきた。グループ中核会社ヘラルド・コーポレーションの民事再生手続きの中で株式会社整理回収機構による指導のもと、営業譲渡及び免責的債務引受方式によって私的再生の道を選択する。株式会社Belle・Heraldの商号を経て現在は株式会社C-Forestとして存続。
    • 株式会社中部日本倶楽部会館(不動産賃貸・管理) - 1948年に愛知県財界企業の中日新聞松坂屋日本碍子ノリタケカンパニー名古屋鉄道名古屋銀行等100社を超える企業・個人の株主となり、社交場の運営会社として設立された。近年は不動産賃貸会社として伏見ミリオン座等賃貸事業を行っていた。株式会社Belle HeraldがTOBにより子会社化し2015年に吸収合併される。(平成26年7月14日 官報第6331号参照)
    • 古川土地建物株式会社(不動産賃貸・管理)- ヘラルドコーポレーションの民事再生により経営が悪化し特別清算[4]
    • 株式会社ボスカンパニー(パチンコ店舗の経営)
    • 岐阜ピカデリー株式会社(映画興行会社) - 岐阜日活として開業した岐阜ピカデリーの運営会社。
    • スターキャット・ケーブルネットワークケーブルテレビ局) - 株式公開前、古川土地建物・古川為之・ヘラルドコーポレーション・ボスカンパニー・ヘラルド・エステートが株式を保有していたが、2003年11月に中部電力系のシーテックに株式売却され、2016年現在はCNCI(コミュニティネットワークセンター)の傘下。映画館事業を引き継いだ。
    • 猿投温泉開発株式会社(ホテル金泉閣) - 2003年豊田温泉開発株式会社として再建し、2020年以降は真城ホールディングスの傘下。
    • 財団法人古川(古川美術館) - 公益財団法人古川知足会(理事長古川為之、理事古川為三郎の三男)として存続。
  • ヘラルド・エステート株式会社 - 旧・日本ヘラルド映画。日本ヘラルド映画の社員寮などの不動産を所有。2002年9月にヘラルド不動産と合併(解散時の代表は古川博三)。
  • 日本ヘラルド映画株式会社(映画輸入・配給) - 古川博三をオーナーとして独立する。のちに株式会社角川ホールディングスの100%子会社となり、2005年8月に商号を株式会社角川ヘラルド・ピクチャーズへ変更する。2006年に角川映画株式会社を存続会社として合併して、角川ヘラルド映画となる。2007年に角川映画へ商号変更する。角川映画は2011年1月に角川書店に吸収合併され、角川書店も2013年10月にKADOKAWAに吸収合併される。
    • ヘラルド・エンタープライズ株式会社 - 初代法人は、日本ヘラルド映画株式会社出版局を継承し「ヘラルド出版」名義で出版事業やアニメ映画の製作・配給、VHS・レーザーディスクの発売を行っていた。二代目法人(後の角川シネプレックス株式会社)は、映画興行会社。
    • 株式会社ヘラルド・エース - 邦画製作と非英語圏映画の輸入・配給。1995年に角川書店と提携して独立。1998年住友商事系の会社と合併し、現在のアスミック・エースに。2012年よりジュピターテレコム子会社。
    • 株式会社ヘラルドミュージック - 2000年独立。その後株式会社エイチ・アンド・エム・インコーポレーテッドに社名変更。

経営した映画館

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ヘラルドシネプラザ

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ヘラルドシネプラザ
Herald Cineplaza
情報
通称 シネプラザ1、2、3、4、50
正式名称 ヘラルドシネプラザ
旧名称 中日シネラマ劇場(プラザ1)
シネマA(プラザ3)
完成 1964年
開館 1964年12月25日
閉館 2004年2月15日
収容人員 (5スクリーン)1,302人
設備 ドルビーデジタルDTS
用途 映画上映
運営 株式会社ヘラルドコーポレーション
所在地 愛知県名古屋市中区栄3丁目35番34号
アクセス 名古屋市営地下鉄名城線矢場町駅4番出口より徒歩10分
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ヘラルドシネプラザ」(Herald Cineplaza) は1964年12月25日、「中日シネラマ劇場」として開業する。東京の「テアトル東京」、大阪の「OS劇場」と並ぶシネラマ劇場として数多くのヒット作や大作を上映する。1988年にヘラルドシネマプラザに改称する。1999年9月24日にプラザ1、11月5日にプラザ3、それぞれを閉館してディスコ「OZON」に改装されたが2004年に閉鎖した。跡地に賃貸マンション栄タワーヒルズが建設した[5]

  • シネプラザ1(旧・中日シネラマ劇場):850席(1999年9月24日閉鎖)
    終盤期には、主に日劇プラザ(現:TOHOシネマズ日劇スクリーン3)系の作品を多く上映していた。
  • シネプラザ2:222席(2004年2月15日閉鎖)
    終盤期には、主にみゆき座(現:TOHOシネマズみゆき座)系の作品を多く上映していた。
  • シネプラザ3(旧・シネマA):140席(1999年11月5日閉鎖)
  • シネプラザ4:40席(2004年2月15日閉鎖)
  • シネプラザ50:50席(2004年2月15日閉鎖)
    3、4、50は主にミニシアター向きの作品を中心に上映していた。

毎日ホール劇場・毎日地下劇場

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毎日ホール劇場・毎日地下劇場
Manichi Hall Theater
情報
正式名称 毎日ホール劇場・毎日地下劇場
完成 1960年
開館 1960年
閉館 2002年1月25日
収容人員 (2館合計)771人
設備 ドルビーデジタル・DTS(ホール劇場)
ドルビーデジタル(地下劇場)
用途 映画上映
旧用途 各種催し
運営 株式会社ヘラルドコーポレーション
所在地 愛知県名古屋市中村区名駅4丁目7番35号
毎日ビル4階(ホール劇場)
地下1階(地下劇場)
アクセス 名鉄名古屋駅近鉄名古屋駅から徒歩3分
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毎日ホール劇場」(まいにちホールげきじょう)は1960年、旧毎日ビルの4階にオープン。当初は映画のみならずコンサートやファッションショーなどの催しも行うイベントホールだったが、後に映画館に一本化。その後、同じ毎日ビル地下1階に「毎日地下劇場」(まいにちちかげきじょう)がオープンし、2館体制となる。1989年には総工事費8千万円をかけて改装。主に東宝洋画系の作品をメインに上映し続けていたが、毎日ビル建て替えにより2002年1月18日にホール劇場が、同月25日に地下劇場が閉館し、42年の歴史に幕を閉じた。現在、跡地はミッドランドスクエアが立地。同ビル内に中日本興業経営の『ミッドランドスクエアシネマ』がある。

  • 毎日ホール劇場(4階)
    定員563人。常に洋画と、ヒット予想の高い邦画を上映。日劇プラザ(現TOHOシネマズ日劇スクリーン3)や日比谷スカラ座(現TOHOシネマズスカラ座)系の作品が多かった。
  • 毎日地下劇場(地下1階)
    定員208人。やや特徴のある洋画と邦画を上映。みゆき座(現TOHOシネマズみゆき座)やニュー東宝シネマ(現TOHOシネマズ有楽座)系の作品が多かった。

ゴールド劇場・シルバー劇場

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出典

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  1. ^ グレイスヒルズCC”. ゴルフビュー. 2018年10月5日閲覧。
  2. ^ 名古屋が生んだ世界的富豪 古川為三郎氏の「ヘラルドコーポレーションを行き詰らせた一人の歯科医」後編”. 伊勢新聞社. 2018年10月5日閲覧。
  3. ^ 現状分析編” (PDF). 経済産業省. 2018年9月15日閲覧。
  4. ^ 古川土地建物(株)特別清算開始決定”. 東京商工リサーチ. 2018年9月15日閲覧。
  5. ^ 最高家賃164万円のマンション 名古屋の「ヒルズ」”. 朝日新聞 (2019-02-29). 2019年3月4日閲覧。

外部リンク

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