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フロイド・バニスター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フロイド・バニスター
Floyd Bannister
シアトル・マリナーズ時代
(1981年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 サウスダコタ州ヒューズ郡ピア
生年月日 (1955-06-10) 1955年6月10日(69歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
203 lb =約92.1 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1976年 MLBドラフト1巡目
初出場 MLB / 1977年4月19日
NPB / 1990年4月8日
最終出場 MLB / 1992年8月10日
NPB / 1990年6月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国

フロイド・フランクリン・バニスターFloyd Franklin Bannister, 1955年6月10日 - )は、アメリカ合衆国サウスダコタ州ヒューズ郡ピア出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

息子は元プロ野球選手のブライアン・バニスター

経歴

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プロ入り前

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1973年MLBドラフト3巡目(全体71位)でオークランド・アスレチックスから指名されたが入団を拒否し、アリゾナ州立大学に進学した。

1975年に第4回日米大学野球選手権の全米大学選抜に選出された。2試合に先発し15イニングを投げ25奪三振をマークした。また、最終第7戦では14奪三振の大会記録を樹立した[1]

プロ入りとアストロズ時代

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1976年MLBドラフト1巡目(全体1位)でヒューストン・アストロズから指名され、プロ入り。

1977年にメジャー昇格した。

マリナーズ時代

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1979年シアトル・マリナーズへ移籍。同年は、MLB選抜の一員として来日した。

1982年にはア・リーグ最多の209奪三振を記録し、オールスターにも出場した。同年限りで、退団した。

ホワイトソックス時代

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1983年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍した。

1987年に退団した。

ロイヤルズ時代

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1988年カンザスシティ・ロイヤルズへ移籍した。

1989年6月に左肩を故障し、手術を受けた。

日本球界時代

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1990年ヤクルトスワローズに年俸100万ドル(推定、当時のレートで約1億4,400万円)と破格の条件で入団した。

大リーグ通算133勝は1962年に野手として中日ドラゴンズに入団したドン・ニューカムの149勝を除くと大リーグ出身選手の最多勝利であった(1990年当時)。開幕からローテーションに入り3連勝したが左肩の故障が完治せず、先発で9試合に投げただけでシーズン途中の6月19日に解雇されて退団した。故障のため日本プロ野球で成績を残すことはできなかったが、当時投手コーチを務めていた安田猛によると、あんな真面目な外国人選手はあとにも先にも見たことがなく、トレーニング方法やそれに対する姿勢など当時のヤクルト投手陣に与えた影響は大きかったという[2]

ヤクルト退団後

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1991年カリフォルニア・エンゼルス1992年テキサス・レンジャーズでプレーした。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1977 HOU 24 23 4 1 0 8 9 0 -- .471 622 142.2 138 11 68 1 4 112 6 2 70 64 4.04 1.44
1978 28 16 2 2 0 3 9 0 -- .250 502 110.1 120 13 63 4 1 94 7 2 59 59 4.81 1.66
1979 SEA 30 30 6 2 0 10 15 0 -- .400 792 182.1 185 25 68 4 4 115 1 0 92 82 4.05 1.39
1980 32 32 8 0 0 9 13 0 -- .409 918 217.2 200 24 66 6 2 155 7 0 96 84 3.47 1.22
1981 21 20 5 2 1 9 9 0 -- .500 522 121.1 128 14 39 0 3 85 7 1 62 60 4.45 1.38
1982 35 35 5 3 0 12 13 0 -- .480 1022 247.0 225 32 77 0 3 209 6 0 112 94 3.43 1.22
1983 CWS 34 34 5 2 1 16 10 0 -- .615 902 217.1 191 19 71 3 2 193 8 1 88 81 3.35 1.21
1984 34 33 4 0 0 14 11 0 -- .560 936 218.0 211 30 80 2 6 152 10 0 127 117 4.83 1.34
1985 34 34 4 1 0 10 14 0 -- .417 928 210.2 211 30 100 5 4 198 11 0 121 114 4.87 1.48
1986 28 27 6 1 2 10 14 0 -- .417 688 165.1 162 17 48 0 2 92 5 0 81 65 3.54 1.27
1987 34 34 11 2 4 16 11 0 -- .593 939 228.2 216 38 49 0 0 124 5 1 100 91 3.58 1.16
1988 KC 31 31 2 0 0 12 13 0 -- .480 816 189.1 182 22 68 6 5 113 6 2 102 91 4.33 1.32
1989 14 14 0 0 0 4 1 0 -- .800 323 75.1 87 8 18 1 1 35 1 0 40 39 4.66 1.39
1990 ヤクルト 9 9 0 0 0 3 2 0 -- .600 222 49.0 52 7 22 1 3 31 2 0 25 22 4.04 1.51
1991 CAL 16 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 104 25.0 25 5 10 1 0 16 1 0 12 11 3.96 1.40
1992 TEX 36 0 0 0 0 1 1 0 -- .500 173 37.0 39 3 21 6 3 30 3 0 27 26 6.32 1.62
MLB:15年 431 363 62 16 8 134 143 0 -- .484 10187 2388.0 2320 291 846 39 40 1723 84 9 1189 1078 4.06 1.33
NPB:1年 9 9 0 0 0 3 2 0 -- .600 222 49.0 52 7 22 1 3 31 2 0 25 22 4.04 1.51
  • 「-」は記録なし
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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投手(P)












1977 HOU 24 6 14 0 1 1.000
1978 28 1 6 0 2 1.000
1979 SEA 30 10 15 0 0 1.000
1980 32 12 26 1 2 .974
1981 21 6 15 0 1 1.000
1982 35 8 30 2 1 .950
1983 CWS 34 8 23 2 0 .939
1984 34 3 23 1 0 .963
1985 34 4 22 1 0 .963
1986 28 3 22 1 1 .962
1987 34 10 22 1 0 .970
1988 KC 31 8 25 1 1 .971
1989 14 3 15 0 3 1.000
1991 CAL 16 0 1 0 0 1.000
1992 TEX 36 4 5 0 0 1.000
通算 431 86 264 10 12 .972
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル

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MLB

記録

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MLB
NPB

背番号

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  • 38(1977年 - 1981年)
  • 19(1981年 - 1982年、1986年 - 1987年途中、1988年 - 1989年)
  • 24(1983年 - 1985年、1987年 - 同年終了)
  • 15(1990年)
  • 23(1991年)
  • 17(1992年 - 同年途中)
  • 22(1992年途中 - 同年終了)

脚注

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代表歴

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関連項目

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外部リンク

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