パーライン・ムルコス彗星
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パーライン・ムルコス彗星 18D/Perrine-Mrkos | |
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仮符号・別名 | 1896 X1, 1896 VII, 1896g 1909 P1, 1909 III, 1909b 1955 U1, 1955 VII, 1955i 1962 I, 1961h 1968 VIII, 1968h[1] |
分類 | 見失われた周期彗星 |
発見 | |
発見日 | 1896年12月9日[2] |
発見者 | チャールズ・パーライン[2] |
軌道要素と性質 元期:1969年1月19.0日 (TDB 2440240.5) | |
軌道長半径 (a) | 3.5595 au[1] |
近日点距離 (q) | 1.2722 au[1] |
遠日点距離 (Q) | 5.8468 au[1] |
離心率 (e) | 0.6426[1] |
公転周期 (P) | 6.72年[1] |
軌道傾斜角 (i) | [1] | 17.759 °
近日点引数 (ω) | 166.050 °[1] |
昇交点黄経 (Ω) | 240.876 °[1] |
平均近点角 (M) | [1] | 11.515 °
前回近日点通過 | 1968年11月1日[3][4] |
次回近日点通過 | 行方不明 |
最小交差距離 | 0.289 au(地球)[1] |
ティスラン・パラメータ (T jup) | 2.669[1] |
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パーライン・ムルコス彗星(18D/Perrine-Mrkos)は太陽系の周期彗星で木星族彗星である。
観測史
[編集]パーライン・ムルコス彗星は1896年12月9日にアメリカの天文学者チャールズ・パーラインがカリフォルニア州のリック天文台で初めて発見した[2]。
1909年の回帰のときに観測されて以来観測されなかったため消失したと考えられていたが、1955年10月19日にチェコの天文学者アントニーン・ムルコスがスカルナテ・プレソ天文台で双眼鏡を使って再発見し、後にカリフォルニア大学バークレー校のLeland Cunningham(英語版)によってパーラインが発見したものと同一のものであると確認された[2]。
Friedrich Wilhelm Ristenpart(ドイツ語版)らはパーライン・ムルコス彗星の軌道が近日点引数を除いて消滅したと考えられていたビエラ彗星と似ていたためその関係性を疑った。しかし、木星の摂動を考慮した上でも軌道は合致しなかった[2]。
この彗星は1968年に最後に観測されたが、予測された1975年以降には現れず[2][3]、現在は消失したと考えられているため符号にはPではなくDが付く[5]。
近日点通過
[編集]パーライン・ムルコス彗星は見失われるまで以下の日時に近日点を通過した[3][4]。
- 1896年11月25日
- 1903年4月22日 (観測されず)
- 1909年11月1日
- 1916年5月22日 (観測されず)
- 1922年12月23日 (観測されず)
- 1929年7月26日 (観測されず)
- 1936年2月23日 (観測されず)
- 1942年9月22日 (観測されず)
- 1949年4月5日 (観測されず)
- 1955年9月27日
- 1962年2月12日
- 1968年11月1日
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l “18D/Perrine-Mrkos”. JPL Small-Body Database Browser. Jet Propulsion Laboratory (1968-12-26 last obs.used). 2021年9月25日閲覧。
- ^ a b c d e f Kronk, Gary W.. “18D/Perrine-Mrkos”. cometography.com. 2021年9月25日閲覧。
- ^ a b c “パーライン-ムルコス彗星 18D/Perrine-Mrkos”. 吉田誠一のホームページ (2017年7月8日). 2021年9月25日閲覧。
- ^ a b “18D/Perrine-Mrkos”. 木下一男 (2003年2月27日). 2021年9月25日閲覧。
- ^ “Cometary Designation System”. Minor Planet Center. 2021年9月25日閲覧。
外部リンク
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