ノート:開山
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改名提案(2010年6月)
[編集]以下の内容につき、提案いたします。--ikedat76 2010年6月5日 (土) 04:16 (UTC)
- 提案内容
-
- 本項目開山を、開山 (曖昧さ回避)へ移動する。
- 開山 (仏教)を開山の改名跡地へ移動する。
- 説明
- まず、本項目開山へのリンクが張られている記事を特別:リンク元にて検索した結果をご覧ください。検索結果を見る限り、ほとんどが寺院記事で開山#仏教用語の第1項、すなわち寺院や宗派の創始に関する用語を念頭にリンクされたものであると考えられます。寺院記事以外のものも若干数含まれますが、それらも見る限り、やはり同様の事情からリンクされていると見られます。
- さて、この提案に先立つ2010-06-02 16:20:00 (UTC)に開山 (仏教)を作成いたしました。開山には開山 (仏教)以外の用法や、仏教と関係のない派生的用法(こんな用法ってあるのでしょうか?)も載っている曖昧さ回避ページですが、「開山」という語は本来、開山 (仏教)で説明されているような仏教用語です。
- 方針文書において曖昧さ回避ページへのリンクは極力避けるとされています。また、「開山」について本来なされるべき説明がなされている記事が () によって曖昧さ回避にされているのはおかしいのではないか、と思われます。
- 議論
- 以上の提案につき、賛否・意見をお願いいたします。期限として、JSTで2010年6月5日から6月20日 23:59までを設定しますが、必要な場合にはさらに延長します。
(反対)「「開山」という語は本来、開山 (仏教)で説明されているような仏教用語です。」と仰る根拠が、私には不明です。現在のウィキに、仏教用語以外の「開山」が少ないから、なのでしょうか。例えば、「槍ヶ岳開山」に見られるような、「山岳用語」としての開山もある筈です。確かに、前近代の日本に於いては、山岳仏教と密接に結びついた所に、登山活動も存在しており、修験道、あるいは、槍ヶ岳自身、播隆という僧が信仰を元に成し遂げたことです。だからといって、「本来、仏教用語」と言えるのか、私には疑問です。よって、反対票を投じさせて頂きます。 --Relaxed 2010年6月5日 (土) 15:41 (UTC)
- (コメント)前近代の日本では近代と異なり、山岳は本来的に聖域と把握されており、山岳に踏み入ることは信仰(五来重『山の宗教 - 修験道講義』(角川選書223)、角川書店、1991年 ISBN 4047032239)あるいは生活の実用(薪炭材や山菜・菌類の採取、採鉱、交易など)(高桑信一『古道巡礼』東京新聞出版局、2005年 ISBN 978-4808308193)に限られ、「登山」(=娯楽)という概念自体がありませんでした。したがって、前近代に山岳用語はありえず、山岳用語としての開山は近代以降に仏教用語としての開山から転用されたものではないでしょうか(そうした漢語を西洋から輸入した概念の訳語とした例は多数あります)。
- 播隆と槍ヶ岳の件に関しても登山という観点から初登攀を目指したものではなく、聖なる場所としての槍ヶ岳山頂に到達することを目指したものであって、そうした意味では宗教的な意義を帯びていたと言えます。山岳仏教のみならず修験道もあるというご指摘ですが、開山本文中にある通り仏道修行の地として山岳を選ぶという傾向それ自体は日本仏教の輸入元たる中国仏教に直接的には由来するものであり、開山の語源が仏教に由来し、他の用法に先立っていることは明らかです。
- それでも違うというのであれば、今後の記事の充実のことも考えたく存じますので、根拠となる文献(もちろん新田次郎の小説ではありえません)を提示いただけますでしょうか。本提案は記事の内容に関わるものであり「私には分からない」という個人的な感覚は反対の根拠とするのはご遠慮いただきたく存じます。--ikedat76 2010年6月5日 (土) 16:45 (UTC)
- (コメント)「仏道修行の地として山岳を選ぶという傾向それ自体は日本仏教の輸入元たる中国仏教に直接的には由来するものであり、開山の語源が仏教に由来し、他の用法に先立っていることは明らかです。」の典拠をお示し下さい。もう一点、「コロンブスの卵」的な語源論でお考えならば、私の考えていることと、噛み合いません。登山の用語が最初にあって、そこから仏教用語が派生した、という話ではないからです。よって、漢語と訳語の関係とおっしゃっているのも、私には無関係に感じられます。要は、「開山」と書いて「かいざん」と読む用法が、現在の日本語にあるのか、ないのか、それだけなのです。原初の用例がどうであれ、それが転用されたものであったことが、証明されようと、現代の用語として、「かいざん」と読む用例があるかどうかには、全く無関係です。ただ、「開山(佛敎)」に、「中国仏教に直接的由来」するものがある、と言われるのであれば、その典拠を、本文中に挙げていただきたい、今回のコメントは、これだけです。中村さんの辞典を出典とされているのでしたら、その元となった一次資料もお示し下さい。というのは、「山号」の項にも、貴方がおっしゃるのと同じような記述があるのですが、中国寺院で、山号を持った寺というのは、本当に山中に建立された「山寺」に限られるのです。「天台山国清寺」や「嵩山少林寺」など。山号を一般化させたのは、やはり、日本仏教なのではないかと考えられるので、明確に、「直接的な由来」を示す資料が存在しているのであれば、それは、当然、「開山(仏教)」や「山号」の本文中に記述されるべきものだと考えたからです。以上です。 --Relaxed 2010年6月6日 (日) 13:20 (UTC)
- 賛成 - ikedat76さんの「提案内容」・「説明」に同意します。
- 理由
- 曖昧さ回避には、「Wikipedia:曖昧さ回避「曖昧さ回避曖昧さ回避ページを別に作るもの」」を用いるのが望ましいと考えます。
- 改名にあったて、代表的なトピックと曖昧さ回避ページを作成するので、代表的なトピックに関して検証可能な情報源が必用であると考えます。
- 公式方針「Wikipedia:検証可能性「情報源/ソース」」では、「ウィキペディアの記事は、事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源に基いて書くべきです。」と定義しています。その詳細は、下記にある「Wikipedia:信頼できる情報源」です。
- ガイドライン「Wikipedia:信頼できる情報源」
- 情報源の分類
- 一次資料 - 「(略)一般に、ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです。(略)」
- 二次資料 - 「ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したものです。学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます。」
- 三次資料 - 「通常は二次資料を要約したものです。例えば、百科事典は三次資料です。」
- 情報源として明示した以下の辞典は、三次資料(場合によっては二次資料)に該当すると考えます。記事を編集するのに、三次資料に基づくいて書くことは、Wikipediaでは推奨されておりません。
- しかし、本提案は「開山」を執筆するではなく、記事名である「開山」という語の定義について情報源を要します。よって複数の辞典を用いて言葉を定義する必要があると考えます。
- Wikipedia:曖昧さ回避「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」を明確にするには、語彙について一般的な辞典に依り、専門的な辞典に補足して決めるのが望ましいと考えます。
- 「開山 (仏教)」⇒「開山」と改名する上で、語意の定義となる箇所を強調表示(太字)にしました。
- 『広辞苑』第五版
- (「山」は寺の意)
- 寺院の創始者。また、宗派の祖。開祖。
- ある物事の創始者。元祖。好色一代男(7)「露に時雨に両袖をぬれの-,高雄が女郎盛り」
- ⇒―-き【開山忌】
- ⇒―-堂【開山堂】
- 『広辞苑』第五版には、「山開き」の意の「開山」(かいざん)の項は、項目無し。
- 『大辞林』第二版
- (名)スル
- かいさん「開山」Yahoo!辞書 - かいさん【開山】
- 〔補説〕山を開いて寺を建てたことから
寺を建立すること。また、その寺を開いた人。開基。
- 出家して入唐帰朝の後―す〔出典: 奥の細道〕
- 宗派の祖。開祖。祖師。
- 技術・芸能・武道など、一流をたてた者。
- 〔補説〕山を開いて寺を建てたことから
- かいざん「開山」Yahoo!辞書 - かいさん【開山】
- (名)スル
- 山開き。
- ⇔閉山(へいざん)
- 「―式」
- →かいさん(開山)
- 『大辞泉』
- 「開山」Yahoo!辞書 - かいさん【開山】
- [名](スル)《寺を山に建て、寺が山号で呼ばれたところから》
- 仏寺を初めて開くこと。また、開いた僧。開基。
- 一宗一派を初めて開いた僧。祖師。開祖。
- ある物事の創始者。
- ・「達人は自ら法門を開く、僕も菊池流の茶の湯の―をしようと」〈蘆花・思出の記〉
- ある物事の権威者、第一人者。
- ・「露に時雨に両袖をぬれの―、高雄(たかを)が女郎盛りを見んと」〈浮・一代男・七〉
- 『大辞泉』には、「山開き」の意の「開山」(かいざん)の項は、項目無し。
- 『岩波仏教辞典』第二版
- P.128「開山」
- 「寺院を草創した僧の敬称.〈開祖〉ともいう.宗派を開いた物を呼ぶ場合もあり,道元の開山禅師,親鸞(しんらん)の開山聖人の呼称はその例.また〈勧請開山〉と称して,寺院を草創した当人ではなく,その師僧を開山とすることもある.別に〈開基〉ともいうが,禅宗では寺院草創の大檀越(だんおつ)を,浄土真宗では末派寺院草創者のみを開基と呼ぶ.鎌倉時代に入ると,大体は仏殿の前方西側の位置に〈開山堂〉が置かれて開山の位牌や影像を祀るようになり,開山没日には〈開山忌〉が行われるようになった.」
- 上記の出典によると第一義に「寺院の草創した僧・創始者」。第二義に「一宗一派を初めて開いた僧。祖師。開祖。」と掲載しているため仏教用語が語源です。
- 唯一『大辞林』第二版に、山開きの意の「開山」が掲載されていますが、「→「かいさん(開山)」」と参照先を示しています。
- このことからも代表的なトピックは、寺院の創始者・一宗一派を初めて開いた僧の意の「開山」(かいさん)が妥当であると考えます。
- (補足)
- 「開山祭」は、「祭り」です。「祭り」の語源も祭祀・祭礼など宗教行事です。
- 不必要
- 「中村さんの辞典を出典とされているのでしたら、その元となった一次資料もお示し下さい。」について
- 一次資料は不要です。今回、私も複数の情報源を明示し、確認した情報であるので信頼性が高いと言えます。(Wikipedia:信頼できる情報源「情報源の評価」を参照してください。)
- 質問
- 「未踏峰が、初めて登頂されることを、開山(かいざん)と言う。」の出典を明示してください。(「出典を示す責任は掲載を希望する側に」を参照してください。)
- コメントは、下記にお願いします。--Resto1578 2010年6月8日 (火) 18:08 (UTC)
- 「中村さんの辞典を出典とされているのでしたら、その元となった一次資料もお示し下さい。」の方から、コメントします。「山号」に典拠を示し、不明な文章に「要出典」テンプレを貼っていますが、「直接的由来」は「独自研究」ではないのか?という疑問があったからです。この件は、それ以上のことはありません。
- そもそも、「開山」が、「かいさん」と読まれる仏教語だけで良いのか、というのが、反対票の動機です。「かいざん」と読む用法が、もう一方に存在するのだから、一本化するのは、違うのではないか、ということから、反対票を投じました。情報源がないと、wikipediaには、記述してはならいな、というルールは、知らなかったですね。ともかく、Resto1578さんがご指摘いただいた通り、「開山祭」(かいざんさい)は、神道用語であり、今回の調査でも、明治以前から、用いられている用語であることが分かりました。今後、「開山祭」の項は、より充実させて行く必要がありますが、明治以前にあった仏教語「かいさん」が、明治以後に「かいざん」と転用された、というのは、どうも、そうではないようです。改めて申しますが、語源論や辞書的な用例だけで、用法を統一される、というのであれば、それでも良いのかもしれませんが、仏教辞典でもなく、歴史辞典でもない、百科事典としては、両論併記が妥当と思っております。あとは、私の反対票1票、ということで、多数決をとっていただければ、それで、私としては申すことはありません。当然、辞書的な調査を行うつもりもありません。以上です。 --Relaxed 2010年6月8日 (火) 23:08 (UTC)
- (コメント)「仏道修行の地として山岳を選ぶという傾向それ自体は日本仏教の輸入元たる中国仏教に直接的には由来するものであり、開山の語源が仏教に由来し、他の用法に先立っていることは明らかです。」の典拠をお示し下さい。もう一点、「コロンブスの卵」的な語源論でお考えならば、私の考えていることと、噛み合いません。登山の用語が最初にあって、そこから仏教用語が派生した、という話ではないからです。よって、漢語と訳語の関係とおっしゃっているのも、私には無関係に感じられます。要は、「開山」と書いて「かいざん」と読む用法が、現在の日本語にあるのか、ないのか、それだけなのです。原初の用例がどうであれ、それが転用されたものであったことが、証明されようと、現代の用語として、「かいざん」と読む用例があるかどうかには、全く無関係です。ただ、「開山(佛敎)」に、「中国仏教に直接的由来」するものがある、と言われるのであれば、その典拠を、本文中に挙げていただきたい、今回のコメントは、これだけです。中村さんの辞典を出典とされているのでしたら、その元となった一次資料もお示し下さい。というのは、「山号」の項にも、貴方がおっしゃるのと同じような記述があるのですが、中国寺院で、山号を持った寺というのは、本当に山中に建立された「山寺」に限られるのです。「天台山国清寺」や「嵩山少林寺」など。山号を一般化させたのは、やはり、日本仏教なのではないかと考えられるので、明確に、「直接的な由来」を示す資料が存在しているのであれば、それは、当然、「開山(仏教)」や「山号」の本文中に記述されるべきものだと考えたからです。以上です。 --Relaxed 2010年6月6日 (日) 13:20 (UTC)
- (消極的反対)本案件についての記事の移動そのものに関しては、曖昧さ回避自体の記事がなくなるわけではないため、さして問題にはしていないのですが、説明には異議があります。「検索結果を見る限り、ほとんどが寺院記事で開山#仏教用語の第1項、すなわち寺院や宗派の創始に関する用語を念頭にリンクされたものであると考えられます。」についてですが、日本語版に限らず、Wikipediaの編集には宗教的情熱をもって編集される方が多くあり、そのため、フィジー語版などのマイナーな言語版ではキリスト教用語ばかり矢鱈と充実している事例が数多く見られます。成長した言語版ではそこまで偏ったことはありませんが、どうしても宗教関連の項目は他の項目よりも先に成長しているように思います。こうした理由から検索数及びリンク数についてを根拠に仏教用語のみを重要項目として考えることは問題があると考えます。また「方針文書において曖昧さ回避ページへのリンクは極力避けるとされています。」については各仏教関係記事の開山を開山 (仏教)に変更すればよいだけの話であり、ここで声高に主張されている理由がわかりません。仏教関係記事数が多いという副次的な理由があるとすれば、「それは面倒なので避けたい」と明示しておくべきだと考えます。さらに、「「開山」という語は本来、開山 (仏教)で説明されているような仏教用語です。」と仰っていますが、本来は漢語の「開山」の用法のひとつ「山地を開拓し、道や平地をつくること」であり、仏教用語については仏典を漢訳する際などにそこから援用したように考えますが、如何でしょうか。--Himetv 2010年6月9日 (水) 01:46 (UTC)
(取り下げ)まずはご意見を頂いたみなさんにお礼申し上げます。ご意見をあらためて冷静に読んだ上で、POV的に問題がある、というご指摘に納得しましたので、本件に関しては私からは取り下げ致します。「方針文書において曖昧さ回避ページへのリンクは極力避けるとされています」の件については、リンクの貼り替えで対応できることですので、機を見て合意形成の上、Bot依頼にかけてみようと思います。皆様、ありがとうございました。--ikedat76 2010年6月9日 (水) 15:07 (UTC)
- Ikedat76さん、ご対応ありがとうございます。また、リンク張替えの件よろしくお願いします。これからも編集・執筆の際に互いに触れることは多いと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。--Himetv 2010年6月9日 (水) 16:43 (UTC)