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ニーナ・アナニアシヴィリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
N・アナニアシヴィリ

ニーナ・アナニアシヴィリ:ნინო ანანიაშვილი, : Nina Ananiashvili, 1963年3月28日 - ) は、ジョージア(グルジア)のバレエダンサー。2004年よりグルジア国立バレエ団芸術監督、および付属のチャブキアニ・バレエ学校校長。

ボリショイバレエ団プリマ・バレリーナを20年以上、アメリカン・バレエ・シアター(ABT)のプリンシパルを16年務めたが、2009年6月、ニューヨークでの 『白鳥の湖』 公演を最後に、ボリショイに続いてABTからも引退した[1]。今後はジョージア国立バレエ団で指導をしながら出演を続けるという[2]

シルヴィ・ギエムアレッサンドラ・フェリM=C・ピエトラガラとともに、1980年代後半~2000年代を風靡したバレリーナの一人である。

経歴

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地質学者の父親、言語学者の母親の長女としてトビリシに生まれる。先祖はグルジアの貴族だったが1930年代に粛清され、父親は男性としての唯一の生き残りであったという[3]。4歳でフィギュアスケートを始め、10歳のとき地区大会で優勝、その後誘われてバレエに転向した。地元のトビリシ・バレエ学校で学んでいたが、13歳のときにモスクワの関係者の目に留まり、ボリショイ・バレエ学校に編入した。

在学中の1980年、スターの登竜門であるヴァルナ国際バレエコンクールのジュニア部門で金賞を受賞する。

1981年モスクワ国際バレエコンクール・ジュニア部門で金賞を受賞後、ボリショイ・バレエ団に入団した。1983年ソリスト1985年にプリマ・バレリーナに任命される。ソ連末期にあって西側での出演機会にも恵まれ、ボリショイ在籍者としては初めてニューヨーク・シティ・バレエ団G・バランシンの 『アポロ』 『シンフォニー・イン・C』 を踊ったほか、デンマーク・ロイヤル・バレエ団英国ロイヤル・バレエ団にも客演した。

高度な技巧を織り交ぜた華やかで情熱的な踊りを特色とし、『ドン・キホーテ』のキトリなどが代表的なレパートリーに挙げられるが、『ロミオとジュリエット』『白鳥の湖』など、演技的要素の強い作品でも無類の風格を見せた。

ボリショイでは当初A・リエパをパートナーとし、2人で出場したジャクソン国際バレエコンクールではグランプリを受賞した。その後A・ファジェーチェフA・ウヴァーロフS・フィーリンとも踊っている。ABTではA・コレーラと頻繁に組み、自身の引退公演 『白鳥の湖』 でも共演した[1]

2001年にはかつてパートナーであったA・リエパが監督するバレエ映画 『火の鳥』 に出演。

ジョージア大統領に依頼され、2004年に低迷していた母国ジョージア国立バレエ団の芸術監督に就任した。私生活では1988年[4]に同郷の外交官・弁護士グリゴル・ヴァシャッゼ (Grigol Vashadze)[5]と結婚し、これまでに一男一女をもうけている。

2017年4月29日、日本とジョージアの間における文化交流の促進及び日本のバレエ界の発展に寄与した多大なる功績が認められ、旭日中綬章を受章した[6]

2016年より3年連続で山梨県清里高原の萌木の村で開催されている野外バレエ公演「清里フィールドバレエ」にゲスト出演している。

主なレパートリー

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白鳥の湖』 にて
作品 振付[7]
ドン・キホーテ
キトリ
ワシーリエフ
K・マッケンジー
白鳥の湖
オデット/オディール
N・ボヤルチコフ
グリゴローヴィチ
O・ヴィノグラードフ
ヌレエフ
眠れる森の美女
オーロラ姫
マクミラン
A・スミルノフ
くるみ割り人形
クララ
グリゴローヴィチ
シンデレラ
シンデレラ
アシュトン
ジゼル
ジゼル、ミルタ
L・ラヴロフスキー
ジゼル
グリゴローヴィチ
ワシーリエフ
バヤデルカ
ニキヤ
プティパグリゴローヴィチ
マカロワ
ライモンダ
ライモンダ
グリゴローヴィチ
K・マッケンジー、A-M・ホームズ
雪娘
雪娘
B・スティーブンソン
黄金時代
リタ
グリゴローヴィチ
アポロ
バランシン
シンフォニー・イン・C
(第2楽章)
ナポリ
テレシーナ
ブルノンヴィル
マノン
マノン
マクミラン

動画

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受賞歴

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脚注

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  1. ^ a b "Exit of a swan: Ballerina bids adieu to New York", Associated Press, 29 June 2009.
  2. ^ "Главная партия Нины Ананиашвили", MIGnews.com, 25.06.2009.
  3. ^ "Nina Ananiashvili ", Russia Now
  4. ^ "A swan takes flight, Interview of Nina & Gregory", Los Angeles Times Magazine, 21 June 2000. また次も参照。Нина Ананиашвили: «Я уже 2 года — пенсионерка!», «Аргументы и факты» № 05 (1214) от 4 февраля 2004 г. なお一部報道で結婚の年を誤って1998年としているものがあるので要注意。
  5. ^ 2008年よりグルジア外務大臣。(「グリゴル・ヴァシャッゼ グルジア外務大臣略歴」、日本国外務省)
  6. ^ 平成29年春の叙勲受章者名簿にニーナ・アナニアシヴィリ氏 | 在日ジョージア大使館 - 2017年5月10日
  7. ^ Смондырев, Михаил, Маленькая балетная энциклопедия «Нина АНАНИАШВИЛИ» を参考に作成。
  8. ^ Лауреаты, www.moscowballetcompetition.com

公式サイト

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