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テレビ探偵団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三菱タイムトリップ
テレビ探偵団
ジャンル バラエティ番組
演出 岡本充敏
高田一
及川俊明
出演者 三宅裕司
山瀬まみ
西田ひかる
朝井泉
海老名泰孝
オープニング 「テレビ探偵団のテーマ」(ラジオドラマ版『少年探偵団』の主題歌の替え歌)
製作
プロデューサー 石川眞実
内山雄治
制作 TBS
放送
放送国・地域日本の旗 日本
レギュラー番組時代
放送期間1986年10月12日 - 1992年3月29日
放送時間日曜 19:30 - 20:00
放送分30分
回数212
豪華版!テレビ探偵団
放送期間2000年9月21日
放送時間木曜 21:30 - 23:24
放送分114分
回数1
豪華版!テレビ探偵団お正月スペシャル
放送期間2001年1月2日
放送時間火曜 18:30 - 20:54
放送分144分
回数1
超豪華!テレビ探偵団
放送期間2001年4月8日
放送時間日曜 21:00 - 22:54
放送分114分
回数1
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テレビ探偵団』(テレビたんていだん)は、1986年10月12日から1992年3月29日までTBS系列で放送されていたTBS製作のバラエティ番組である[1]三菱電機[注 1]の一社提供で、タイトルに「三菱タイムトリップ」を冠していた。放送時間は毎週日曜19:30 - 20:00 (日本標準時)。

概要

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毎回懐かしのテレビ番組や懐かしのテレビCMを取り上げていた番組。ゲスト出演者たちの思い出に残っている、あるいは本人たちが過去に出演していたテレビ番組やCMの映像を紹介し、それらをもとにトークをする模様を放送していた[1]。当初は三宅裕司山瀬まみが総合司会を、当時『週刊TVガイド』の編集記者だった泉麻人が本名の朝井泉名義でコメンテーターを務めていた。

オープニングでは、モノクロの番組が映っているブラウン管テレビを一瞬映した後、その日紹介する番組の中から1カットずつ映像を放送。そして三宅たちレギュラー陣がスタジオ入りする映像に切り替わり、番組本編に入っていった。オープニングで掛かっていたテーマ曲は、ラジオドラマ版『少年探偵団』(ニッポン放送)の主題歌の替え歌。番組後半には、視聴者から寄せられた「あの人があの番組に出ていた」などの目撃情報を朝井が調査し、それらを自らの見地やお宝グッズを交えながら紹介する「私だけが知っている」のコーナーを設けていた。エンディングでは原則として、ゲストにとって思い出深い歌とその映像を紹介していた。往年の歌手の映像には、『TBS歌謡曲ベストテン』、『TBS歌のグランプリ』、『ザ・ベストテン』、『8時だョ!全員集合』からの映像を多用していた。

オープニング後の提供クレジットでは、ブルーバックに白抜きで「三菱タイムトリップ」と表示した後、「技術がつくる高度なふれあい、SOCIO-TECHの三菱電機の提供でお送りします」の女性アナウンス(ナレーションは藤田恒美が担当)とともに、三菱のコーポレートステートメントと社名ロゴを表示していた。また、エンドカードもやはりブルーバックに白抜きで、「三菱タイムトリップ テレビ探偵団 終」と表示していた。TBS系列局では1976年10月スタートのバラエティ番組『欽ちゃんの向こう三軒両隣』以降、『欽ちゃんのこれが1番!!』や『THEチャレンジャー』など、16年半にわたって提供してきたTBS系における三菱電機一社提供枠はこれが最後となった。

三菱電機の一社提供番組であったため、懐かしのCMを流す「なつかCM」においては原則として他社の電化製品CMを流すことはなかったが、例外的に松下電器(現在のパナソニック)提供の『ナショナルキッド』については、スポンサーのブランド名が入っているのにもかかわらず三菱側の裁量によって放送した[要出典]。また、三浦友和が出演していたパナソニック サイクルテックのCMも、自転車の製造・販売をしていない三菱側が競合しないとの判断のもとに放送した[要出典]

番組は、放送開始から1年半後の1988年5月にリニューアル。このリニューアルで、朝井に替わって林家こぶ平(後の9代目林家正蔵、本名の海老名泰孝名義で出演)がコメンテーターとなった。さらに1年半後の1989年10月には、山瀬が富士通のCMに出演するため、三菱電機の意向で降板が決まり、山瀬に替わって西田ひかるが三宅のパートナーとなったが、西田ひかるは帰国子女のため、日本の過去のテレビ放送の視聴体験はなく、ほとんど話題には参加できなかった。この出演者交代に際し、番組中に感極まった山瀬が泣き出すハプニングがあった。なお、山瀬と朝井はレギュラーを降りた後も番組にはたびたびゲストで参加しており、正月に放送のスペシャル回、海老名が欠席した回、大場久美子がゲストの回などには彼らの姿を見ることができた。

番組の視聴率は15%前後で推移していたが[要出典]、当時のTBS社長・磯崎洋三が起こした編成大改革により、番組は前後の時間帯に放送されていた『クイズ!!ひらめきパスワード』(毎日放送製作)と『日曜特集・新世界紀行』ともども1992年3月29日放送分をもって終了。最終回では西田が目に涙を浮かべ、「スペシャルでまた帰ってきます…」と発言していた。

番組は西田の発言どおり、1992年7月31日と同年11月6日に『金曜テレビの星!』内で復活放送を行った。さらに8年後の2000年9月21日にも『豪華版!テレビ探偵団』と題しての復活放送を行い、その後も2001年1月2日に『豪華版!テレビ探偵団お正月スペシャル』、同年4月8日に『超豪華!テレビ探偵団』と立て続けに復活放送を行った。2001年12月30日に放送された『ザ・ベストテン』の復活特番『ザ・ベストテン2001』においても、同番組とのコラボレーション企画である「ベストテン探偵団」を実施した。この復活スペシャルでは、歴代のレギュラー出演者5人が揃って司会を務めていた。

三菱電機提供番組枠は短期間で終了していた番組が多かったが、当番組は1986年10月から1992年3月まで5年半続いた。

歴代出演者

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期間 総合司会 コメンテーター
男性 女性
1986年10月 1988年4月 三宅裕司 山瀬まみ 朝井泉[注 2]
1988年5月 1989年9月 海老名泰孝[注 3]
1989年10月 1992年3月 西田ひかる

補足

  • 山瀬と朝井は降板後もゲストで出演したことがある。
  • 三宅と西田は司会在任中、三菱電機のCMにも出演していた。

ゲスト

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レギュラー番組時代

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レギュラー放送終了後

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スタッフ

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  • 構成:腰山一生、高平哲郎、谷口秀一、杉山王郎
  • 技術:村杉幸一、新福剛、杉田謙二、秋本浩志
  • カラー調整:小高宏文、飯塚嗣、丹野至之、豊中俊榮、安藤紘平
  • カメラ:小山内義紀、細野克雄
  • 照明:田中豊治、小野寺瑞樹、大野治利
  • 音声:中嶋典之、柳沢任広、近藤洋一、倉本紀彦、吉田克哉、木村保
  • 編集:宮原茂太
  • 音響効果:舘野忠之、新谷隆生
  • 美術デザイン:山田栄
  • 美術制作:宮崎保城、長谷川隆之
  • スタイリスト:五十嵐準子
  • 取材:杉山王郎、米川伸生
  • 演出:岡本充敏、高田一、及川俊明、鈴木孝之、赤木準平、宮本稔、小松原登
  • プロデューサー:石川眞実、内山雄治
  • 制作協力:創都 (CREATIVE CITY)
  • 製作著作:TBS

書籍

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  • 三宅裕司『ぼっ!ぼっ…ぼくらはテレビ探偵団 : 懐かしがってばかりはいられない』祥伝社〈ノン・ライブ ; 5〉、1987年5月30日。ISBN 4-396-62005-5NDLJP:12275922 [2]
    • 三宅裕司のテレビっ子ぶりを回顧した自伝と、番組に迎えたゲストたちの発言やエピソードを交えたバラエティブック。森田健作から徳光和夫までの18人のゲスト回について触れられている。

ネット局

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脚注

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注釈

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  1. ^ ダイヤトーン、およびA&Dの各種ブランドを含む。
  2. ^ 「朝井泉」は泉麻人の本名である。
  3. ^ 「海老名泰孝」は林家こぶ平の本名である。
  4. ^ 当時は日本テレビのアナウンサーだったが、日本テレビに許可を得た上でTBSに出演した。
  5. ^ 植木が亡くなった際には、TBSでの追悼特番でこの回のVTRが放送された。
  6. ^ 手塚が亡くなった際には、この回を編集した追悼特集が放送された。
  7. ^ 朝井泉のレギュラー出演最終回。
  8. ^ コメンテーター降板直後の朝井が大場のファンだったとの理由で観客席に登場。司会席までやってきてお宝を披露した。
  9. ^ 海老名が都合(出演していたテレビ朝日のドラマ『軽井沢シンドローム』撮影中の事故で右足太ももを骨折、同ドラマも製作中止に)で休みとなったため、代役として前任者の朝井がコメンテーターを務めた。
  10. ^ 峰は海老名の姉婿(海老名美どりの夫)であり、兄弟共演となった。

出典

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TBS 日曜19:30枠
(本番組まで三菱電機の一社提供)
前番組 番組名 次番組
三菱タイムトリップ
テレビ探偵団
(1986年10月12日 - 1992年3月29日)
Goodジャパニーズ
(1992年4月26日 - 1992年9月20日)
※19:30 - 20:54