ティジャニ・ババンギダ
| ||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||||||||||
愛称 | ババ | |||||||||||||
ラテン文字 | Tijani BABANGIDA | |||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||
国籍 | ナイジェリア | |||||||||||||
生年月日 | 1973年9月25日(51歳) | |||||||||||||
出身地 | カドゥナ | |||||||||||||
身長 | 169cm | |||||||||||||
体重 | 69kg | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
ポジション | FW | |||||||||||||
ユース | ||||||||||||||
1990-1991 | ナイジャー・トルネードス | |||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||||||||||
1991-1996 | ローダJC | 78 | (26) | |||||||||||
1991-1993 | → VVVフェンロー (Loan) | 34 | (19) | |||||||||||
1996-2003 | アヤックス | 77 | (20) | |||||||||||
2000-2001 | → ゲンチレルビルリジ (Loan) | 12 | (2) | |||||||||||
2001-2002 | → フィテッセ (Loan) | 14 | (1) | |||||||||||
2002-2003 | → アル・イテハド (Loan) | 5 | (0) | |||||||||||
2003-2004 | 長春亜泰 | 29 | (8) | |||||||||||
代表歴 | ||||||||||||||
1994-2002 | ナイジェリア | 40 | (5) | |||||||||||
| ||||||||||||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ティジャニ・ババンギダ(Tijani Babangida, 1973年9月25日 - )は、ナイジェリアの元サッカー選手。元ナイジェリア代表。
人物
[編集]アフリカンサッカーが注目を集めはじめた1990年代に活躍した快足ウイング。スピードスター。
イブラヒム・ババンギダ、ハルナ・ババンギダは弟にあたる。また夫人はダニエル・アモカチ夫人と姉妹関係にある。
経歴
[編集]1991年に17歳でオランダに渡り、VVVフェンローやローダJCに在籍。1996年に500万ドルの移籍金でアヤックス・アムステルダムに移籍した。移籍初年度、UEFAチャンピオンズリーグに出場し、準々決勝・対アトレティコ・マドリード戦では決勝ゴールを挙げた。翌1997-98シーズンは13ゴールを挙げ、アヤックスのリーグ優勝に貢献した。
1996年、アトランタオリンピックサッカー競技にナイジェリア代表として出場し、金メダルを獲得。1998年にFIFAワールドカップフランス大会にも出場[1]。決勝トーナメント1回戦・対デンマーク戦では、劣勢の中で右サイドからボレーシュートを決めた。
2000年以後は層の厚いアヤックスの中でポジションを奪えず、レンタル移籍で世界各地のクラブを転々とした。2005年に現役を引退。
引退後はナイジェリアのタラバ・ユナイテッドの会長、マルタのFCモスタのテクニカルディレクター等を歴任[2]。
2015年、ナイジェリア代表のスーパーバイザーに就任した[3]。
代表歴
[編集]- 1993年 - U-20アフリカネイションズカップ出場
- 1994年5月25日 対ルーマニア戦でA代表デビュー
- 1996年 - アトランタオリンピック・サッカー 優勝
- 1998年 - FIFAワールドカップフランス大会 ベスト16
- 2000年 - アフリカネイションズカップ2000 準優勝
- 2002年 - アフリカネイションズカップ2002 3位
エピソード
[編集]日本国内で認知度の高い選手ではなかったが、コナミから発売されている人気サッカーゲームウイニングイレブンシリーズの初期の作品において、ババンギダをモデルとした選手がスピードの能力値が最高の非常に強力な選手として収録されたことで、日本のウイニングイレブンファンの間で一気に認知度が高まった[4]。2016年に六本木ヒルズでウイニングイレブンの20周年記念ファンイベントが行われた際には、会場にババンギダの広告やパネルが用意されたり[5]、ババンギダラテなるドリンクまで発売される大人気ぶりで[6]、初期のウイニングイレブンを象徴する選手の一人であった。
脚注
[編集]- ^ https://www.footballchannel.jp/2020/06/01/post375789/
- ^ https://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20150728/334648.html/amp
- ^ https://news.livedoor.com/article/detail/10475230/
- ^ https://the-ans.jp/news/282161/
- ^ https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2016/03/12/62346/
- ^ https://www.walkerplus.com/article/74067/image416160.html