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コリーナ・モラリュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コリーナ・モラリュー
Corina Morariu
コリーナ・モラリュー
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 同・ミシガン州デトロイト
生年月日 (1978-01-26) 1978年1月26日(46歳)
身長 174cm
体重 59kg
利き手
ツアー経歴
デビュー年 1994年
引退年 2007年
ツアー通算 14勝
シングルス 1勝
ダブルス 13勝
生涯通算成績 408勝292敗
シングルス 160勝134敗
ダブルス 248勝158敗
生涯獲得賞金 1,733,916 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 2回戦(1998)
全仏 2回戦(1998・2000・03)
全英 3回戦(1998・99)
全米 2回戦(1997)
優勝回数 $1,733,916
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 準優勝(2001・05)
全仏 ベスト4(2005)
全英 優勝(1999)
全米 ベスト8(1999・2002・05・07)
優勝回数 1(英1)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪 優勝(2001)
全仏 ベスト8(2003・05)
全英 3回戦(2006)
全米 ベスト4(2002)
優勝回数 1(豪1)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 29位(1998年8月24日)
ダブルス 1位(2000年4月3日)

コリーナ・モラリュー(Corina Morariu、1978年1月26日 - )は、アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト出身の女子プロテニス選手。

ダブルスの得意な選手で、1999年ウィンブルドン女子ダブルスと2001年全豪オープン混合ダブルスで優勝した。自己最高ランキングはシングルス29位、ダブルス1位。WTAツアーでシングルス1勝、ダブルス13勝を挙げた。

来歴

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モラリューの両親はルーマニア出身で、彼女の父親は神経科医の仕事に従事している。1994年にプロ入り。1996年4月にジャパン・オープンで初来日し、予選3試合を勝ち上がった後、本戦の2回戦で当時の日本の2番手だった沢松奈生子を 5-7, 6-3, 7-6 の逆転で破り、雉子牟田直子との準々決勝まで進出した。同大会では2年後の1998年に準優勝があるが、この時は決勝で日本のエース杉山愛に 3-6, 3-6 で敗れている。1999年にモラリューはダブルスで年間6勝を挙げ、ウィンブルドン女子ダブルスでリンゼイ・ダベンポートとペアを組んで4大大会初優勝を飾った。(ダベンポートはシングルス決勝でもシュテフィ・グラフを破って優勝したため、1999年のウィンブルドンは“単複2冠制覇”となった。)モラリューのダブルス6勝は、ウィンブルドンを含む3勝がダベンポートとのペアで、他の3勝の中には日本のジャパン・オープンの女子ダブルス部門もある。ジャパン・オープンの女子ダブルスは1999年2000年の2年連続制覇を成し遂げた。

2001年全豪オープンで、モラリューは女子ダブルス・混合ダブルスの2部門で決勝に進出し、エリス・フェレイラ南アフリカ)と組んだ混合ダブルスで優勝した。ダベンポートと組んだ女子ダブルス決勝では、ビーナスセリーナのウィリアムズ姉妹組に 2-6, 6-4, 4-6 で敗れて準優勝に終わった。

ところが、同年の5月にモラリューはドイツベルリンの大会中に右足を捻挫して倒れてしまう。モラリューは急性骨髄性白血病の診断を下され、化学療法による治療を受けた。生死の境を乗り越えて、2002年8月から現役復帰を果たし、同年の全米オープン1回戦で再び4大大会にも姿を見せたが、第1シードのセリーナ・ウィリアムズに 2-6, 3-6 で完敗した。モラリューは2002年のWTAアワードのカムバック賞を受賞した。

2005年以後は活動をダブルスのみに絞ったが、全豪オープン女子ダブルスでは再びダベンポートとペアを組み、4年ぶり2度目の決勝に進出している。そこではロシアスベトラーナ・クズネツォワオーストラリアアリシア・モリク組に 3-6, 4-6 で敗れ、2度目の準優勝に終わった。2006年度は女子ツアーのダブルスで2勝を挙げ、これでモラリューのダブルス優勝は「13勝」になった。

コリーナ・モラリューは2007年全米オープン女子ダブルスのベスト8を最後に現役引退を表明した。現役最後の試合では、同じアメリカのメガン・ショーネシーとペアを組み、レネ・スタブスオーストラリア)&クベタ・ペシュケチェコ)組に 2-6, 2-6 で敗れた。こうして彼女は、13年間のプロ生活に終止符を打った。

WTAツアー決勝進出結果

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シングルス: 4回 (1勝3敗)

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大会グレード
グランドスラム (0–0)
ティア I (0–0)
ティア II (0–0)
ティア III (0–1)
ティア IV & V (1–2)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 1997年5月4日 クロアチアの旗 ボル クレー クロアチアの旗 ミリヤナ・ルチッチ 5–7, 7–6(7), 6–7(5)
準優勝 2. 1998年4月19日 日本の旗 東京 ハード 日本の旗 杉山愛 3–6, 3–6
準優勝 3. 1998年5月3日 クロアチアの旗 ボル クレー クロアチアの旗 ミリヤナ・ルチッチ 2–6, 4–6
優勝 1. 1999年5月2日 クロアチアの旗 ボル クレー フランスの旗 ジュリー・アラール=デキュジス 6–2, 6–0

ダブルス: 20回 (13勝7敗)

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結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 1997年4月20日 日本の旗 東京 ハード オーストラリアの旗 ケリー=アン・グース フランスの旗 アレクシア・デショーム
日本の旗 平木理化
4–6, 2–6
優勝 1. 1997年11月23日 タイ王国の旗 パタヤ ハード オーストラリアの旗 クリスティン・クンシェ アルゼンチンの旗 フロレンシア・ラバト
ベルギーの旗 ドミニク・ファン・ルースト
6–3, 6–4
優勝 2. 1999年1月9日 オーストラリアの旗 ゴールドコースト ハード ラトビアの旗 ラリサ・ネーランド オーストラリアの旗 クリスティン・クンシェ
ルーマニアの旗 イリナ・スピールリア
6–3, 6–4
優勝 3. 1999年4月18日 日本の旗 東京 ハード アメリカ合衆国の旗 キンバリー・ポー オーストラリアの旗 ケリー=アン・グース
オーストラリアの旗 キャスリーン・バークレー
6–3, 6–2
優勝 4. 1999年6月14日 イギリスの旗 バーミンガム ラトビアの旗 ラリサ・ネーランド アルゼンチンの旗 イネス・ゴロチャテギ
フランスの旗 アレクサンドラ・フセ
6–4, 6–4
優勝 5. 1999年7月4日 イギリスの旗 ウィンブルドン アメリカ合衆国の旗 リンゼイ・ダベンポート 南アフリカ共和国の旗 マリアン・デ・スウォート
ウクライナの旗 エレナ・タタルコワ
6–4, 6–4
優勝 6. 1999年8月1日 アメリカ合衆国の旗 スタンフォード ハード アメリカ合衆国の旗 リンゼイ・ダベンポート ロシアの旗 アンナ・クルニコワ
ロシアの旗 エレーナ・リホフツェワ
6–4, 6–4
優勝 7. 1999年8月8日 アメリカ合衆国の旗 サンディエゴ ハード アメリカ合衆国の旗 リンゼイ・ダベンポート アメリカ合衆国の旗 セリーナ・ウィリアムズ
アメリカ合衆国の旗 ビーナス・ウィリアムズ
6–4, 6–1
優勝 8. 2000年2月27日 アメリカ合衆国の旗 オクラホマシティ ハード (室内) アメリカ合衆国の旗 キンバリー・ポー タイ王国の旗 タマリネ・タナスガーン
ウクライナの旗 エレナ・タタルコワ
6–4, 4–6, 6–2
優勝 9. 2000年3月19日 アメリカ合衆国の旗 インディアンウェルズ ハード アメリカ合衆国の旗 リンゼイ・ダベンポート ロシアの旗 アンナ・クルニコワ
ベラルーシの旗 ナターシャ・ズベレワ
6–2, 6–3
優勝 10. 2000年5月7日 クロアチアの旗 ボル クレー フランスの旗 ジュリー・アラール=デキュジス スロベニアの旗 ティナ・クリザン
スロベニアの旗 カタリナ・スレボトニク
6–2, 6–2
準優勝 2. 2000年5月14日 ドイツの旗 ベルリン クレー 南アフリカ共和国の旗 アマンダ・クッツァー スペインの旗 アランチャ・サンチェス・ビカリオ
スペインの旗 コンチタ・マルティネス
6–3, 2–6, 6–7(7)
優勝 11. 2000年10月15日 日本の旗 東京 ハード フランスの旗 ジュリー・アラール=デキュジス スロベニアの旗 ティナ・クリザン
スロベニアの旗 カタリナ・スレボトニク
6–1, 6–2
準優勝 3. 2001年1月26日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード アメリカ合衆国の旗 リンゼイ・ダベンポート アメリカ合衆国の旗 セリーナ・ウィリアムズ
アメリカ合衆国の旗 ビーナス・ウィリアムズ
2–6, 6–2, 4–6
準優勝 4. 2004年11月7日 アメリカ合衆国の旗 フィラデルフィア ハード (室内) 南アフリカ共和国の旗 リーゼル・フーバー アメリカ合衆国の旗 リサ・レイモンド
オーストラリアの旗 アリシア・モリク
5–7, 4–6
準優勝 5. 2005年1月29日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード アメリカ合衆国の旗 リンゼイ・ダベンポート ロシアの旗 スベトラーナ・クズネツォワ
オーストラリアの旗 アリシア・モリク
3–6, 4–6
準優勝 6. 2005年2月6日 日本の旗 東京 カーペット (室内) アメリカ合衆国の旗 リンゼイ・ダベンポート スロバキアの旗 ヤネッテ・フサロバ
ロシアの旗 エレーナ・リホフツェワ
4–6, 3–6
優勝 12. 2006年1月17日 オーストラリアの旗 シドニー ハード オーストラリアの旗 レネ・スタブス アルゼンチンの旗 パオラ・スアレス
スペインの旗 ビルヒニア・ルアノ・パスクアル
6–3, 5–7, 6–2
優勝 13. 2006年9月17日 インドネシアの旗 バリ ハード アメリカ合衆国の旗 リンゼイ・ダベンポート 南アフリカ共和国の旗 ナタリー・グランディン
オーストラリアの旗 トゥルーディ・マスグレーブ
6–3, 6–4
準優勝 7. 2006年10月29日 オーストリアの旗 リンツ ハード (室内) スロベニアの旗 カタリナ・スレボトニク アメリカ合衆国の旗 リサ・レイモンド
オーストラリアの旗 サマンサ・ストーサー
3–6, 0–6

4大大会シングルス成績

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略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 通算成績
全豪オープン A 1R 2R 1R 1R 1R A A 1–5
全仏オープン LQ LQ 2R 1R 2R A A 2R 3–4
ウィンブルドン 1R 2R 3R 3R 1R A A 1R 5–6
全米オープン 1R 2R 1R 1R A A 1R 1R 1–6

外部リンク

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