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オバフェミ・マルティンス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オバフェミ・マルティンス
レバンテUDでのマルティンス(2012年)
名前
本名 オバフェミ・アキンウンミ・フォルワショラ・オシャディ・マルティンス
Obafemi Akinwunmi Foluwashola Oshadi Martins
愛称 オバオバ
ラテン文字 Obafemi Martins
基本情報
国籍 ナイジェリアの旗 ナイジェリア
生年月日 (1984-10-29) 1984年10月29日(40歳)
出身地 ラゴス
身長 170cm
体重 70kg
選手情報
ポジション FW
利き足 左足
ユース
ナイジェリアの旗 エベデイ
イタリアの旗 レッジャーナ
イタリアの旗 ピアチェンツァ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2001 イタリアの旗 レッジャーナ 2 (0)
2001-2006 イタリアの旗 インテル・ミラノ 88 (28)
2006-2009 イングランドの旗 ニューカッスル 88 (28)
2009-2010 ドイツの旗 ヴォルフスブルク 16 (6)
2010-2012 ロシアの旗 ルビン・カザン 20 (3)
2011 イングランドの旗 バーミンガム (loan) 4 (0)
2012-2013 スペインの旗 レバンテ 21 (7)
2013-2016 アメリカ合衆国の旗 シアトル・サウンダーズ 72 (40)
2016-2018 中華人民共和国の旗 上海申花 43 (16)
2020 中華人民共和国の旗 上海申花 4 (0)
2020 中華人民共和国の旗 武漢卓爾 6 (1)
代表歴
2004-2015 ナイジェリアの旗 ナイジェリア 41 (18)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

オバフェミ・マルティンス(Obafemi Martins)ことオバフェミ・アキンウンミ・フォルワショラ・オシャディ・マルティンス(Obafemi Akinwunmi Foluwashola Oshadi Martins、1984年10月28日 - )は、ナイジェリアラゴス出身の元サッカー選手。元ナイジェリア代表。現役時代のポジションはフォワード

経歴

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14歳の時、ナイジェリアのFC Ebedeiに加入。その後、16歳でイタリアのセリエCレッジャーナのトライアルに参加。2か月のトライアルを経て、Ebedeiのチームメイトスティーヴン・マキンワとともに入団。ユースチームで活躍し、これが、元イタリア代表ストライカーピエルルイジ・カジラギの目に留まり、彼の推薦もあって2001年からレッジャーナのトップチームに昇格する事になった。この年のビアレッジョ国際ユースで優勝するとアフリカ最優秀若手選手にも選出された。

2001年からはインテルへ移籍。初年度はユースチームで23得点を記録する。2002年12月にトップチームデビュー。アルバロ・レコバアドリアーノフリオ・クルスら豪華なFW陣の一角を占める中、先発出場は少ないものの、セリエAで88試合に出場して28得点を記録。中でも2002-03シーズンのチャンピオンズリーグでは、セミファイナルで大会史上初のACミランとのミラノダービーとなった。その第2戦でルーズボールを背中で流し、パオロ・マルディーニをスピードで完全に振り切り得点を奪った。2005年には2010年まで契約を延長。

しかし2006年にユヴェントスからズラタン・イブラヒモビッチチェルシーからエルナン・クレスポの加入が決定。出場機会の激減が予想されたため、移籍を志願。移籍市場ではバレンシアなどがオファーを出すなど注目を集めたが、2006-07シーズンよりイングランドのニューカッスル・ユナイテッドへ移籍。ニューカッスルでは3シーズンで88試合に出場し28ゴールを記録するも、2008-09シーズンにチームが降格。これに伴い、2009年7月、移籍金900万ポンドでドイツのVfLヴォルフスブルクに4年契約で移籍した[1]。2010年7月、ロシア・プレミアリーグFCルビン・カザンに3年契約で移籍した[2]

ナイジェリア代表においては、アフリカネイションズカップ2006での3位入賞に貢献するなど中心選手となっている。2007年11月17日の親善試合・オーストラリア戦では初めてキャプテンを任された。2009年11月14日のワールドカップ予選ケニア戦では同点ゴール、決勝ゴールと2得点を挙げる活躍で、ナイジェリアのワールドカップ出場決定に貢献した。

2011年1月31日、プレミアリーグのバーミンガム・シティFCにレンタル移籍。2月19日のFAカップ5回戦で移籍後初ゴールを決めた。2月27日に行われたリーグカップ決勝・アーセナル戦で途中出場し、1対1で迎えた後半44分に決勝ゴールを挙げ48シーズンぶり2度目の優勝に貢献した。

2016年2月、中国サッカー・スーパーリーグ上海申花へ完全移籍することが発表された。2018年4月3日に行われたAFCチャンピオンズリーグ2018 グループリーグ鹿島アントラーズ戦で大腿四頭筋を断裂、全治7か月の重傷を負った[3]。2018年6月1日、上海申花を退団した[4]

その後は無所属が続いていたが、2020年7月に上海申花へ復帰した[5]

2020年9月、武漢卓爾へ移籍[6]

人物

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  • 妻はマリオ・バロテッリの実姉である[7]
  • 息子のケビン・マルティンスもサッカー選手で、ACミランの下部組織でキャリアをスタートさせたが、2018年に父の古巣インテルに移籍。2022年現在、インテルのU-18カテゴリーに所属している。ポジションはフォワード。ケビンにとってバロテッリは叔父に当たる。
  • インテルでは先輩FWであり、同じ英語話者であるクリスティアン・ヴィエリにかわいがられていた[要出典]
  • 2006年8月にナイジェリアサッカー協会の公式サイトにおいて、生年月日が誤って1978年5月1日(実際は1984年10月28日)と掲載された[要出典]
  • 2007年6月20日、ナイジェリアのラゴスで車の運転中に銃で襲われたことがある[要出典]
  • 2008年7月24日、ナイジェリアのラゴスで起こったタンクローリー爆発事故による火災に、母が巻き込まれて亡くなった[8]。本人はショックを受け、すぐにイングランドからナイジェリアへと向かった。
  • ゴールパフォーマンスとして、頻繁にバク転を披露していた。

タイトル

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クラブ

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インテル
ニューカッスル
バーミンガム
シアトル・サウンダーズ
上海申花

個人

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  • CAF年間最優秀若手選手 : 2003, 2004

脚注

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  1. ^ マルティンスがヴォルフスブルクに移籍!Goal.com、2009年8月1日
  2. ^ マルティンスがルビンへ移籍UEFA.com、2010年7月10日
  3. ^ 超速FWマーティンス、W杯出場の夢が潰える…ACLで全治7ヵ月の大怪我”. qoly.jp (2018年4月5日). 2020年10月8日閲覧。
  4. ^ 登巴巴回归申花在即 马丁斯已解约注册无障碍”. 新波体育 (2018年6月1日). 2020年10月8日閲覧。
  5. ^ “爆速”の元ナイジェリアFWが中国へ帰ってくる 35歳でも大人気の韋駄天FW”. theworldmagazine.jp (2020年7月17日). 2020年10月8日閲覧。
  6. ^ 快足で鳴らした元ナイジェリア代表FWマルティンスが中国の武漢卓爾に加入”. 超WORLDサッカー (2020年9月22日). 2020年10月8日閲覧。
  7. ^ 元インテルのマルティンスがバロテッリ擁護「報道は誇張されている」サッカーキング、2014年12月3日
  8. ^ 快速FWマルティンスの母が火災で亡くなるlivedoorスポーツ、2008年7月25日

外部リンク

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