ウフク・タレイ
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ノースクイーンズランド・フューリー時代(2011年) | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | ウッフィー | |||||
ラテン文字 | Ufuk TALAY | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
オーストラリア トルコ | |||||
生年月日 | 1976年3月26日(48歳) | |||||
出身地 | シドニー | |||||
身長 | 178cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (CMF) | |||||
利き足 | 左足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1992-1995 | マルコーニ・スタリオンズ | 42 | (4) | |||
1995-2002 | ガラタサライ | 28 | (1) | |||
1996-1997 | → アンタルヤスポル (loan) | 12 | (0) | |||
1997-1998 | → カラビュックスポル (loan) | 20 | (3) | |||
1999-2000 | → ブルサスポル (loan) | 24 | (1) | |||
2001 | → ブルサスポル (loan) | 0 | (0) | |||
2001-2002 | → ニーム・オリンピック (loan) | 12 | (2) | |||
2002-2004 | ガズィアンテプスポル | 15 | (0) | |||
2004-2005 | メルスィン・イドマン・ユルドゥ | 23 | (1) | |||
2005-2008 | シドニーFC | 59 | (6) | |||
2008 | アビスパ福岡 | 37 | (5) | |||
2009-2011 | ノースクイーンズランド・フューリー | 33 | (3) | |||
2011 | シドニー・ユナイテッド | 0 | (0) | |||
通算 | 305 | (26) | ||||
代表歴 | ||||||
1994-1995 | オーストラリア U-20 | 10 | (1) | |||
2008 | オーストラリア | 0 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2012 | シドニー・ユナイテッド(アシスタント) | |||||
2012-2016 | AIS(アシスタント) | |||||
2013-2016 | オーストラリア U-17(アシスタント) | |||||
2016-2018 | オーストラリア U-20 | |||||
2018-2019 | シドニーFC(アシスタント) | |||||
2019- | ウェリントン・フェニックス | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ウフク・タレイ(Ufuk Talay, 1976年3月26日 - )は、オーストラリア・シドニー出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはMF(セントラルミッドフィールダー)。トルコ系オーストラリア人であり、苗字についてはオーストラリア英語及びトルコ語の発音ではタライがより近い。
クラブ歴
[編集]NSLのマルコーニ・スタリオンズFCでキャリアをスタートさせ、1992-93シーズン終盤にスティーヴ・コリカの代役として出場機会を得る。実力を認められて翌シーズンからはチームの主力としてプレーした。
1995-96シーズンからは自身のルーツであるトルコで国内選手扱いとしてガラタサライSKに入団するが、所属期間6年の殆どを期限付き移籍で渡り歩くこととなる。
2005-06シーズンよりAリーグ・シドニーFCに所属しオーストラリアへ復帰する。移籍1年目より主力としてプレーするがシーズン終盤に膝を故障。2005年のFIFAクラブ世界選手権で来日しているが、途中出場の1試合のプレーに終わる。2008年1月にはクラブでの活躍が認められ、31歳でオーストラリア代表に初招集されたが出場機会は訪れなかった。
2008年2月18日、1年契約でJ2・アビスパ福岡と1年契約を締結[1]。クラブが2次キャンプを行っている宮崎へ直接合流した。福岡では数か月前までシドニーFCにて同僚であったマーク・ルダンや、かつての監督であったピエール・リトバルスキーと再び一緒にプレーする事になる。中盤の攻撃の起点として36試合出場5得点を記録するが、契約満了により1年で退団する。
2009-10シーズンよりAリーグに新規参入するノースクイーンズランド・フューリーFCに加入[2]。同クラブではキャプテンを務めた。
2011年3月11日、オーストラリア州リーグの1つ、NSWプレミアリーグに所属するシドニー・ユナイテッドFCに加入した[3]。
指導歴
[編集]現役引退後は指導者に転身し、U-17オーストラリア代表でアシスタントコーチを務め、2016年からはポール・オコンに代わりU-20同代表を指揮[4]。2018年6月18日に退任し、かつての同僚であるスティーヴ・コリカ率いるシドニーFCのアシスタントコーチに就任する[5]。
2019-20シーズンより、ウェリントン・フェニックスFCの指揮官として招聘された[6]。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
オーストラリア | リーグ戦 | リーグ杯 | FFA杯 | 期間通算 | |||||||
1992-93 | マルコーニ | NSL | 6 | 1 | 0 | 0 | - | 6 | 1 | ||
1993-94 | 21 | 1 | 0 | 0 | - | 21 | 1 | ||||
1994-95 | 15 | 2 | 0 | 0 | - | 15 | 2 | ||||
トルコ | リーグ戦 | トルコ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1995-96 | ガラタサライ | トルコ1部 | 12 | 1 | 7 | 0 | - | 19 | 1 | ||
1996 | 1 | 0 | 0 | 0 | - | 1 | 0 | ||||
1996-97 | アンタルヤスポル | 12 | 1 | 0 | 0 | - | 12 | 1 | |||
1997-98 | カラビュックスポル | トルコ2部 | 20 | 3 | 0 | 0 | - | 20 | 3 | ||
1998-99 | ガラタサライ | トルコ1部 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||
1999-00 | ブルサスポル | - | |||||||||
2000-01 | ガラタサライ | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |||
2001 | ブルサスポル | - | |||||||||
フランス | リーグ戦 | F・リーグ杯 | フランス杯 | 期間通算 | |||||||
2001-02 | ニーム | リーグ・ドゥ | 12 | 2 | - | 12 | 2 | ||||
トルコ | リーグ戦 | トルコ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2002-03 | ガズィアンテプスポル | トルコ1部 | 15 | 0 | 0 | 0 | - | 15 | 0 | ||
2003-04 | - | ||||||||||
2004-05 | メルスィン | トルコ2部 | 23 | 1 | - | 23 | 1 | ||||
オーストラリア | リーグ戦 | リーグ杯 | FFA杯 | 期間通算 | |||||||
2005-06 | シドニーFC | 6 | Aリーグ | 16 | 1 | 3 | 0 | - | 19 | 1 | |
2006-07 | 20 | 2 | 4 | 0 | - | 24 | 2 | ||||
2007-08 | 20 | 3 | 5 | 1 | - | 25 | 4 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2008 | 福岡 | 8 | J2 | 37 | 5 | - | 0 | 0 | 37 | 5 | |
オーストラリア | リーグ戦 | リーグ杯 | FFA杯 | 期間通算 | |||||||
2009-10 | ノースクイーズランド | Aリーグ | 11 | 0 | - | 11 | 0 | ||||
2010-11 | 20 | 3 | - | 20 | 3 | ||||||
2011-12 | シドニー・U | NSWプレミア | - | ||||||||
通算 | 豪州 | Aリーグ | 56 | 6 | 12 | 1 | - | 68 | 7 | ||
豪州 | NSL | 42 | 4 | 0 | 0 | - | 42 | 4 | |||
豪州 | NSWプレミア | - | |||||||||
トルコ | トルコ1部 | 40 | 2 | 0 | 0 | - | 40 | 2 | |||
トルコ | トルコ2部 | 20 | 3 | 0 | 0 | - | 20 | 3 | |||
フランス | リーグ・ドゥ | 12 | 2 | - | 12 | 2 | |||||
日本 | J2 | 37 | 5 | - | 0 | 0 | 37 | 5 | |||
総通算 |
- 上記表以外にAリーグファイナルシリーズに出場。
- 2007年 1試合0得点
- 2008年 2試合0得点
国際大会個人成績 | FIFA | |||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
OFC | OFC CL | クラブW杯 | ||||
2005 | シドニーFC | 6 | 1 | 0 | ||
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2007 | シドニーFC | 6 | 6 | 2 | ||
通算 | OFC | - | ||||
AFC | 6 | 2 | - | |||
FIFA | 1 | 0 |
- Jリーグ初出場 - 2008年3月16日 J2 第2節 対水戸ホーリーホック戦 (レベルファイブスタジアム)
- Jリーグ初得点 - 2008年3月16日 J2 第2節 対水戸ホーリーホック戦 (レベルファイブスタジアム)
タイトル
[編集]- マルコーニ・スタリオンズ
- NSLチャンピオンシップ : 1992-93
- ガラタサライ
- シドニーFC
- Aリーグ・チャンピオンシップ : 2005-06
- OFCチャンピオンズリーグ : 2004-05
代表歴
[編集]- 1994 - 1995年 U-20オーストラリア代表 10試合1得点
- 2008年 オーストラリアA代表候補
脚注
[編集]- ^ “福岡が豪州代表タレイを獲得”. ゲキサカ (2008年2月19日). 2021年5月12日閲覧。
- ^ “福岡MFタレイが退団”. ゲキサカ (2008年11月22日). 2021年5月12日閲覧。
- ^ “Ufuk Talay signs for Sydney United”. Football NSW (2011年3月11日). 2021年5月12日閲覧。
- ^ “Talay replaces Okon as Young Socceroos coach”. The World Game (2016年9月2日). 2021年5月12日閲覧。
- ^ “Ufuk Talay replaces Phil Moss at Sydney FC”. ESPN (2018年6月18日). 2021年5月12日閲覧。
- ^ “Full interview: New Phoenix boss Ufuk Talay sits down ahead of 2019/20 season”. TVNZ (2019年6月27日). 2021年5月12日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ウフク・タレイ - Soccerway.com
- ウフク・タレイ - FootballDatabase.eu
- ウフク・タレイ - WorldFootball.net
- ウフク・タレイ - Transfermarkt.comによる選手データ
- ウフク・タレイ - Transfermarkt.comによる指導者データ
- ウフク・タレイ - FIFA主催大会成績
- ウフク・タレイ - J.League Data Siteによる選手データ
- ウフク・タレイ - トルコサッカー連盟 (player)
- ウフク・タレイ - Mackolik.com
- アビスパ福岡公式サイト
- アビスパ福岡選手紹介