イワン・ヤクボフスキー
イワン・ヤクボフスキー Ива́н Игна́тьевич Якубо́вский | |
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生誕 |
1912年1月7日 ロシア帝国 モギリョフ県 |
死没 |
1976年11月30日 ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 モスクワ市 |
軍歴 | 1932年-1976年 |
最終階級 | ソ連邦元帥 |
勲章 | ソビエト連邦英雄(二回) |
墓所 | クレムリンの壁墓所 |
イワン・イグナチエヴィチ・ヤクボフスキー(Ива́н Игна́тьевич Якубо́вский、1912年1月7日 - 1976年11月30日)は、ソ連の軍人。ソ連邦元帥。ソ連邦英雄(2度)。
経歴
[編集]モギリョフ州ゴレツキー地区ザイツェフ村出身。ベラルーシ人。オルシャン教育専門学校で学ぶ。1932年から赤軍。1934年に統合白ロシア軍事学校、1935年にレニングラード装甲戦車指揮要員課程を卒業。ポーランド侵攻、冬戦争に従軍。
独ソ戦時、戦車大隊長であり、1941年7月から連隊長となった。1942年1月から第91戦車旅団副旅団長、同年3月から旅団長。第91旅団は、西部、南部、南西、スターリングラード、ドン、ブリャンスク、中央、ヴォロネジ戦線で戦い、ミンスク、モギリョフ、モスクワの戦い、スターリングラード攻防戦、クルスクの戦い、ウクライナの解放に参加した。1944年1月10日、ソ連邦英雄の称号とレーニン勲章が授与された。
1944年6月から第6親衛戦車軍団副軍団長となり、ペレムイシュリ、ヴィスワ川渡河、サンドミール橋頭堡の奪取に参加した。同年9月23日、2つ目のソ連邦英雄の称号が授与された。
1945年4月から第7親衛戦車軍団副軍団長となり、ベルリンの戦い、プラハ作戦に参加した。
戦後、1948年に参謀本部アカデミーを卒業し、師団長、軍司令官、駐独ソビエト軍集団副総司令官(1957年~1960年、1961年~1962年)、総司令官(1960年~1961年、1962年~1965年)を歴任。1965年からキエフ軍管区司令官。1967年4月12日、ソ連邦元帥の称号が授与され、ソ連国防第一次官兼ワルシャワ条約機構統合軍総司令官となる。
第22回~第24回大会において、ソ連共産党中央委員会委員に選出。第6期~第9期ソ連最高会議代議員。第2期、第4期、第5期ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国最高会議代議員。
1976年11月30日、死去。赤の広場のクレムリンの壁に埋葬。
パーソナル
[編集]ソ連邦英雄(2度)、チェコスロバキア社会主義共和国英雄。レーニン勲章4個、赤旗勲章4個、二等スヴォーロフ勲章2個、一等祖国勲章、赤星勲章、三等「ソ連軍における祖国への奉仕に対する」勲章を受章。
モギリョフ州ゴルカ市には彼の胸像がある。ミンスク市の通りには彼の名前が付けられた。
- ソビエト連邦元帥
- 第二次世界大戦期のソビエト連邦の軍人
- ドイツ駐留ソ連軍総司令官
- キエフ軍管区司令官
- ソビエト連邦英雄
- レーニン勲章受章者
- 赤旗勲章受章者
- スヴォーロフ勲章受章者
- 祖国戦争勲章受章者
- 赤星勲章受章者
- ソ連軍勤務時祖国奉仕勲章受章者
- スフバートル勲章受章者
- カール・マルクス勲章受章者
- チェコスロバキア社会主義共和国英雄
- クレメント・ゴットワルト勲章受章者
- ソビエト連邦共産党中央委員会の人物
- ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国最高会議の代議員
- 第6回ソビエト連邦最高会議の代議員
- 第7回ソビエト連邦最高会議の代議員
- 第9回ソビエト連邦最高会議の代議員
- クレムリンの壁墓所に埋葬された人物
- ロシア帝国のベラルーシ人
- モギリョフ県出身の人物
- 1912年生
- 1976年没