アンネ (企業)
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種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒259-11(現在は259-1114) 神奈川県伊勢原市高森1450番地 |
設立 | 1961年 |
業種 | 生理用品 |
主要株主 |
ライオン(100%) ユナイテッド製薬(日本)株式会社 |
特記事項:1993年ライオンに吸収合併、合併後はライオン伊勢原工場となる。2002年工場閉鎖。跡地は現在、住宅地となる。 |
アンネ株式会社は、かつて存在していた、ナプキンやタンポンなどの生理用品を製造・販売する会社。1993年(平成5年)に東証1部上場のライオン&ユナイテッド製薬(日本)株式会社と合併した。
概要
[編集]社名は『アンネの日記』で月経に関する記述があったことに由来する。日本では平安時代以降、長く穢れとして扱われていた月経を『アンネの日記』では“甘美な秘密”と肯定的に表現しており、これがアンネ社の目指す月経観であるとして、社長が「アンネ」を社名として提案した。
1961年「アンネナプキン」発売時のキャッチフレーズは『40年間お待たせしました』[1]である。これは、アメリカでは40年前に既にコーテックスという生理用品が発売され、有経女性の80%が紙綿の生理用品を使っていた事から、「アメリカに遅れること40年」という意味である。その後、このキャッチコピーに対して厚生省から、「まるで40年間ずっとナプキンの研究を行っていたかのような誤解を与える」として、改めるようにとの指導があった。そのため『〈アンネの日〉ときめました!』[2]を新たにキャッチコピーとして採用した。
近年ではあまり使われなくなったが、月経の隠語として“アンネ”という言葉は、この会社名が語源である。
歴史
[編集]- 1961年(昭和36年) - 当時27歳の坂井泰子(当時専業主婦だった)が「アンネ株式会社」を設立。出資スポンサーとしてミツミ電機(現・ミネベアミツミ)が参加していた。300人以上の女性にヒアリングを行った。11月、水洗トイレに流せる「アンネナプキン」(日本で初の使い捨てナプキン)を発売(発売当初より商品は完売した)。
- 1971年(昭和46年) - 大株主だったミツミ電機が、業績悪化のため経営から撤退。保有していたアンネの株式を本州製紙・ライオン歯磨(当時)・ライオン油脂(当時)・東レの4社に分配。
- 1980年(昭和55年) - ライオン & 日本ユナイテッド製薬の子会社となる。
- 1991年(平成3年) - アンネナプキン生産終了。
- 1993年(平成5年) - ライオンへ吸収合併される。
- 2002年(平成14年) - ライオンが生理用品から撤退[3]、エルディタンポンをユニ・チャームへ譲渡[4]。
脚注
[編集]- ^ 『婦人生活』1961年11月号、219頁。NDLJP:2324665/115
- ^ 『婦人生活』1962年6月号、137頁。NDLJP:2324672/69
- ^ “SHIKOKU NEWS 全国ニュース”. 四国新聞社 (2001年12月13日). 2015年6月20日閲覧。
- ^ “社史”. ユニチャームHP. 2015年6月20日閲覧。
関連項目
[編集]- ライオン
- 月経
- ユニ・チャーム - チャームナップシリーズの一部およびチャームタンポンは同社の事業を引き継いだものとされている。また、ライオン子会社時代に新たに立ち上げた生理用品ブランド「エルディ」はユニ・チャームのブランドとして存続。
- 1961年の日本の女性史
- 赤とんぼの唄 - 1973年発表のあのねのねの楽曲。歌詞に「アンネ」が登場する。あのねのね 赤とんぼの唄 - 歌ネット