コンテンツにスキップ

歩兵第45連隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2024年4月8日 (月) 09:47; はすかっぽ (会話 | 投稿記録) による版 (沿革: 1931年 昭和天皇の行幸)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
歩兵第45連隊
日露戦争での歩兵第45連隊
創設 1896年
廃止 1945年
所属政体 日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 連隊
兵科 歩兵
所在地 熊本 - 鹿児島
通称号/略称 明9020
上級単位 第6師団
最終位置 ソロモン諸島 ブーゲンビル島
戦歴 日露 - 済南事件 - 日中 - 第二次世界大戦
テンプレートを表示

歩兵第45連隊(ほへいだい45れんたい、歩兵第四十五聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。

沿革

[編集]
7月 - 盧溝橋事件の後に動員
8月 - 豊台に到着し永定橋で中国軍と交戦
10月 - 杭州湾作戦に参加
12月 - 南京攻略戦に参加
3月 - 南昌作戦
9月 - 贛湘作戦
1月 - 陸水作戦
9月 - 第一次長沙作戦
12月 - 第二次長沙作戦
4月 - 浙贛作戦
ガダルカナル島救援のため第6師団が派遣されることとなるが、輸送船団がトラック島付近に来たところでガダルカナル撤退が決まり、急遽ブーゲンビル島に行くこととなる
1月 - ブーゲンビル島エレベンタに上陸し、島の中部キエタに駐屯する
11月 - アメリカ軍タロキナ岬に上陸、以後本連隊はタロキナをめぐる攻防戦を展開する
  • 1944年(昭和19年)3月 - 第二次タロキナ作戦を実施するも壊滅する
  • 1945年(昭和20年)
8月 - 終戦。最終的に帰還・復員できたのは六千余名のうち八百余名であった。

歴代連隊長

[編集]
歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐
氏名 在任期間 備考
1 野島丹蔵 1896.9.25 - 1903.3.14 中佐、1899.12.大佐
2 太田栄次郎 1903.3.14 - 中佐、1903.12.大佐
3 吉岡竹次郎 1905.4.14 - 1909.9.3 中佐、1905.4.19大佐
4 山崎義重 1909.9.7 - 1913.8.22
5 浜面又助 1913.8.22 - 1915.1.25
6 高梨慶三郎 1915.1.25 -
7 石川武文 1918.9.9 - 1922.8.15[3]
8 宮崎虎喜 1922.8.15 -
9 末松茂治 1925.5.1 -
10 末松俊造 1926.3.2 -
11 深沢友彦 1929.8.1 -
12 伊藤貞雄 1930.12.22 - 1932.8.8[4]
13 迎専八 1932.8.8 -
14 伊藤精司 1933.8.1 -
15 神田正種 1936.3.7 -
16 竹下義晴 1937.10.27 -
17 若松平治 1938.7.15 -
18 池田純久 1939.8.1 -
19 平岡力 1940.8.1 -
20 真方勲 1942.11.18 -
福永康夫 1945.4.27 -

脚注

[編集]
  1. ^ 中央防災会議(2011)、p.92-93.
  2. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、71頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  3. ^ 『官報』第3013号、大正11年8月16日。
  4. ^ 『官報』第1683号、昭和7年8月9日。

参考文献

[編集]
  • 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
  • 原 剛『明治期国土防衛史』錦正社、2002年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 歩兵第四十五聯隊ソロモン戦誌編さん委員会「歩兵第四十五聯隊ソロモン戦誌」1985年。
  • 官報
  • 中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1914桜島噴火」中央防災会議、2011

関連項目

[編集]