コンテンツにスキップ

ウィリー・デービス (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。42.148.145.55 (会話) による 2020年4月22日 (水) 05:00個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (来歴・人物)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ウィリー・デービス
Willie Davis
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アーカンソー州ハワード郡
生年月日 (1940-04-15) 1940年4月15日
没年月日 (2010-03-09) 2010年3月9日(69歳没)
身長
体重
186 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1958年
初出場 MLB / 1960年9月8日
NPB / 1977年4月2日
最終出場 MLB / 1979年9月30日
NPB / 1978年9月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ウィリアム・ヘンリー・デービスWilliam Henry "Willie" Davis , 1940年4月15日 - 2010年3月9日)は、アメリカ合衆国アーカンソー州出身の元プロ野球選手外野手)。

日本プロ野球では中日ドラゴンズおよびクラウンライターライオンズに所属し、「黒豹」と呼ばれた。

創価学会員でもあり、来日については「創価学会の発祥の地である日本でなら、きっと居心地よく暮らすことができるに違いない、と思ったに違いない」という見方があるほどであった[1]。題目を唱えて精神を集中させることを日課としていたという。

来歴・人物

アーカンソー州出身だが、学生時代に家族でロサンゼルスに転居。高校時代は野球の他、陸上競技(短距離・走り幅跳び)でも活躍した。

1958年に地元ロサンゼルス・ドジャースと契約し、1960年メジャーデビュー。程なく、後にアメリカ野球殿堂入りするベテランの強打者デューク・スナイダーからセンターの定位置を奪い、快速モーリー・ウィルスと共に活躍する。1962年には自己最高の21本塁打を記録し、1964年には自己最高のシーズン42盗塁を記録する。

1969年には自己最高の打率.311を記録。同年は34試合連続安打を記録し、ザック・ウィート1916年に樹立したドジャースの球団記録を更新した。

1971年1973年MLBオールスターゲームに出場し、1972年も併せ、3年連続でゴールドグラブ賞にも選ばれた。

1973年オフ、マイク・マーシャル投手との交換トレードモントリオール・エクスポズに移籍する。以後は移籍の繰り返しで、打率.295を記録しながら、エクスポズは1シーズン限りで、翌1974年オフにはテキサス・レンジャーズに移籍。1975年シーズン途中にはセントルイス・カージナルスに移籍し、1976年にはサンディエゴ・パドレスに移籍し、1シーズンプレー。

1977年中日ドラゴンズに入団。来日当時メジャー通算2547安打、通算397盗塁を誇り、これは来日メジャーリーガーの中で最多安打、最多盗塁である。来日した時は全盛期を過ぎてはいたもののメジャーの実力を発揮、特に1977年5月14日ナゴヤ球場での対読売ジャイアンツ戦では西本聖投手から“60歩13秒”のランニング満塁本塁打を放つ快足を披露している[2][3]。しかし、チームメイトや首脳陣と頻繁にトラブルを起こすなど素行に問題があった[2]。同年8月、フライを追った際フェンスに激突して左手首を骨折し、戦線離脱した後、低迷していたチームが好調になったこともあり、シーズンオフ後、中日首脳はデービスが在籍することによるマイナス面が大きすぎるとして放出を決定し、クラウンライターライオンズに金銭トレードで移籍した。

クラウンに移籍した翌1978年も活躍したが、中日時代と同様の素行不良に悩まされ1年で退団した。同時期に夫人がハワイで転落死する不幸に見舞われている[2]。翌1979年にはカリフォルニア・エンゼルスと契約し、メジャーに復帰したが、往年の力を見せることなく1シーズンで退団し、現役を引退した。

1996年にはカリフォルニア州に住む両親に対して日本刀や手裏剣で脅して現金を要求したとして逮捕された[2]。事件後の両親の話では、本人は定職に就いておらず生活に困っていたという。

2010年3月9日、ロサンゼルス郊外の自宅で死去。満69歳没[4]

プレースタイル

本来は俊足で守備範囲も広かったが、ドジャース時代、1966年のワールドシリーズ第2戦で1イニング3失策を記録。これは、ポジションを問わずワールドシリーズのワースト記録となっている。この試合は後にアメリカ野球殿堂入りする31歳のサンディー・コーファックス(ドジャース)と21歳のジム・パーマーオリオールズ)の投げ合いとなった。シリーズはオリオールズが4勝0敗で制した。また、結果的にこのシーズン限りで引退したコーファックスにとって最後の登板になった。

足が速いが正確には一歩(ストライド)が長い状態で塁間を13歩で走り抜けた。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1960 LAD 22 94 88 12 28 6 1 2 42 10 3 5 2 0 4 2 0 12 1 .318 .348 .477 .825
1961 128 380 339 56 86 19 6 12 153 45 12 5 6 3 27 4 5 46 5 .254 .316 .451 .767
1962 157 666 600 103 171 18 10 21 272 85 32 7 10 8 42 10 6 72 14 .285 .334 .453 .787
1963 156 555 515 60 126 19 8 9 188 60 25 11 6 6 25 6 3 61 9 .245 .281 .365 .646
1964 157 652 613 91 180 23 7 12 253 77 42 13 10 6 22 1 1 59 4 .294 .316 .413 .729
1965 142 595 558 52 133 24 3 10 193 57 25 9 9 7 14 3 7 81 7 .238 .263 .346 .609
1966 153 653 624 74 177 31 6 11 253 61 21 10 5 5 15 2 4 68 4 .284 .302 .405 .708
1967 143 610 569 65 146 27 9 6 209 41 20 6 6 3 29 5 3 65 8 .257 .295 .367 .662
1968 160 686 643 86 161 24 10 7 226 31 36 10 7 4 31 4 1 88 3 .250 .284 .351 .636
1969 129 540 498 66 155 23 8 11 227 59 24 10 0 5 33 5 4 39 11 .311 .356 .456 .811
1970 146 637 593 92 181 23 16 8 260 93 38 14 8 6 29 2 1 54 6 .305 .335 .438 .774
1971 158 672 641 84 198 33 10 10 281 74 20 8 3 5 23 3 0 47 17 .309 .330 .438 .769
1972 149 654 615 81 178 22 7 19 271 79 20 3 4 7 27 4 1 61 9 .289 .317 .441 .758
1973 152 641 599 82 171 29 9 16 266 77 17 5 1 7 29 12 5 62 7 .285 .320 .444 .764
1974 MON 153 654 611 86 180 27 9 12 261 89 25 7 2 11 27 9 3 69 8 .295 .322 .427 .749
1975 TEX 42 174 169 16 42 8 2 5 69 17 13 5 0 0 4 0 1 25 2 .249 .270 .408 .678
STL 98 376 350 41 102 9 6 6 151 50 10 1 0 8 14 1 4 27 5 .291 .319 .431 .750
'75計 140 550 519 57 144 27 8 11 220 67 23 6 0 8 18 1 5 52 7 .277 .304 .424 .728
1976 SD 141 522 493 61 132 18 10 5 185 46 14 2 3 5 19 2 2 34 6 .268 .295 .375 .670
1977 中日 72 302 288 47 88 13 2 25 180 63 10 3 1 1 10 1 2 18 6 .306 .332 .625 .957
1978 クラウン 127 532 509 67 149 21 4 18 232 69 12 3 0 6 12 2 5 24 6 .293 .312 .456 .768
1979 CAL 43 61 56 9 14 2 1 0 18 2 1 0 1 0 4 0 0 7 2 .250 .300 .321 .621
MLB:18年 2429 9822 9174 1217 2561 395 138 182 3778 1053 398 131 83 96 418 75 51 977 128 .279 .311 .412 .723
NPB:2年 199 834 797 114 237 34 6 43 412 132 22 6 1 7 22 3 7 42 12 .297 .319 .517 .836
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

MLB
NPB

記録

MLB
NPB

背番号

  • 26 (1960年)
  • 3 (1961年 - 1973年、1975年 - 同年途中、1976年 - 1977年)
  • 1 (1974年)
  • 5 (1975年途中 - 同年終了)
  • 8 (1978年)
  • 24 (1979年)

脚注

  1. ^ ロバート・ホワイティング著・玉木正之訳『和をもって日本となす』139頁、角川書店、1990年3月30日
  2. ^ a b c d 【5月14日】1977年(昭52)“黒い弾丸”デービス、満塁ランニングホームラン Sponichi Annex 野球 日めくりプロ野球 スポーツニッポン 2008年5月8日
  3. ^ コミュファラジオ ブロードバンド東海ラジオ ガッツナイタープレイバック1974年~1979年
  4. ^ 元中日のデービス氏死去 巨人戦でランニング満塁本塁打朝日新聞2010年3月10日(ウェブアーカイブ)

関連項目

外部リンク