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リョコウバト

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リョコウバト
リョコウバトの若鳥、成鳥のオスとメス
左:若鳥、中:オス、右:メス
保全状況評価
EXTINCT
(IUCN Red List Ver.3.1 (2001))
分類
ドメイン : 真核生物 Eukaryota
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 鳥綱 Aves
: ハト目 Columbiformes
: ハト科 Columbidae
: リョコウバト属 Ectopistes
: リョコウバト E. migratorius
学名
Ectopistes migratorius
(Linnaeus, 1766)
和名
リョコウバト、アメリカリョコウバト
英名
Passenger Pigeon, Wild Pigeon

リョコウバト(旅行鳩、学名Ectopistes migratorius)は、北アメリカ大陸東岸に棲息していたハト目ハト科渡り鳥。生息地のアメリカにちなんで、アメリカリョコウバトとも俗称される。

鳥類史上最も多くの数がいたと言われたが、乱獲によって20世紀初頭に絶滅した。

形態と生態

かつてのリョコウバトの生息域。赤色は繁殖地、オレンジ色は越冬地。

頭部と上面は青灰色、下面はバラ色、くちばしは黒、脚は赤色。羽と尾は尖っていて長かった。全長は40センチメートルほど。その名の通り渡りを行う鳩で、夏の営巣地はニューヨークから五大湖周辺にかけて、越冬地はメキシコ湾岸が主だった。移動速度は時速約60マイル(約96キロメートル)にも及んだという。巨大な群れをつくるのが特徴で、ウィスコンシン州の営巣地で850平方マイル(約2200平方キロメートル)に1億3600万羽が確認された例もある。1810年にケンタッキー州の営巣地の群れについて、22億3000万羽以上と推計がされた記録もある。止まり木にした木の枝が重みで折れることもあったといい、止まり木の下には雪のように糞が積もっていたという。鳥類の博物画家として有名なジョン・ジェームズ・オーデュボンは、1838年の日記に、頭上を通過中のリョコウバトの群れが、まるで空を覆い尽くすかのように3日間途切れることなく飛び続けたと記録している。18世紀には北アメリカ全土で約50億羽が棲息したと推定される。

絶滅の経緯

リョコウバトの肉は非常に美味であったと言われ、都会でも良い値段で売れたため、を使用して多くの人々が捕獲を行った。北アメリカ先住民もリョコウバトの肉を食用としていた。19世紀に入ると北アメリカにおける人口は急増し、電報などの通信手段が発達すると効率的に狩猟が可能となり[1]、食肉や飼料、また羽根布団の材料になる羽毛の採取を目的とした無制限な乱獲が行われるようになった結果、わずか数十年ほどでリョコウバトの数は激減していった。保護すべきとの声もあったが、それでもまだ莫大な数がおり検討されなかった。その間にもリョコウバトの数は減り続け、密猟が絶えなかった。ヒナまで乱獲される事態まで起こった。

1890年代に入るとその姿はほとんど見られなくなり、ようやく保護も試みられたが、すでに手遅れであった。

リョコウバトはそのかつての個体数とは裏腹に繁殖力の弱い鳥類であり、小さな集団では繁殖できず、繁殖期は年に1度で、しかも1回の産卵数は1個だけであった。そのため、現在ほど養殖の技術が発達していない当時では、いったん大きく減った個体数を回復することは困難だったのである。また、19世紀以降、リョコウバトの本来の生息地であった森林の開発で減少に拍車をかけることとなった。

1906年にハンターに撃ち落とされたものを最後に、野生の個種は姿を消す。1908年に7羽、1910年8月にはオハイオ州シンシナティ動物園で飼育されていた雌のマーサ(ジョージ・ワシントンの妻マーサから名をとった)のみとなる。マーサは動物園で生まれ、檻の中で一生を過ごした。1914年9月1日午後1時、マーサは老衰のため死亡し、リョコウバトは絶滅した。マーサの標本は現在スミソニアン博物館に収蔵されている。

これらの標本からDNAを抽出して、リョコウバトを復活させようという動きがある[1]

脚注

関連項目

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