ラーダ
ラーダ (lada, rada)
- 自動車のラーダ(ЛАДА;LADA)についてはラーダ (自動車)を参照のこと。
- ラーダ(рада;rada)は、ウクライナ語で「助言」や「議会」等を意味する一般名詞。歴史・政治分野では特にウクライナやポーランドなどの政治機関としての「議会」を意味する単語として用いられる。(ウクライナ語のものに関しては後述)
- ラーダ級潜水艦(пр.677 "Лада")はロシア海軍の潜水艦の型のひとつで、同級にはS-100サンクトピェチェルブールクがある。
ラーダ(ウクライナ語:рада;ポーランド語:rada)は、基本的にはロシア語の「совет」(サヴィェート)に相当する名詞で、「忠告、勧告、勧め、助言」や「(一般的な)議会、会議」を意味すると共に、「(政治機関としての)議会」を意味する語である。ソ連時代には「ソヴィエト」(ロシア語:совет)を意味する語句としても用いられた。
概要
「рада」の形容詞形は「радянський」(ラヂャーンスィクィイ)であるが、「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国」は、ロシア語では「Украинская Советская Социалистическая Республика」(ウクライーンスカヤ・サヴィェーツカヤ・サツィアリスチーチェスカヤ・リスプーブリカ)であるところが、ウクライナ語では「Українська Радянська Соціалістична Республіка」(ウクライィーンスィカ・ラヂャーンスィカ・ソツィアリスチーチュナ・レスプーブリカ)である。
独立後のロシアではロシア帝国時代に「議会」を意味する語句として用いられてきた「дума」(ドゥーマ)という古い単語を「совет」に代る語として採用したが、ウクライナではロシア革命前、国内戦期、ソ連時代を通じて常に「議会」を表す語は「рада」であったためか(つまり他に「議会」を表す適切な単語がない)、独立後も一貫して「рада」を使用しており、現在のウクライナの国会もヴェルホーヴナ・ラーダ・ウクライィーヌィ(Верховна Рада України:「ウクライナの最高議会」という意味)と呼ばれている。また、「議会」の類はすべて「ラーダ」であるために町中到るところに「ラーダ」があるという状態になっており、これもいわゆるソ連・ロシアの「ソヴィエト」とは異質な点である。
なお、「рада」の第一義的意味である「勧告、勧め」などを意味する名詞としては、他に「порада」(ポラーダ)がある。また、「рада」に関係するものとしては、「勧告する、助言する、勧める」といった意味の動詞の「радити」(ラーディティ)、「相談する」という意味の動詞の「радитися」がある。なお、ウクライナ語にはロシア語から入った「совіт」(ソヴィート)及び「совєт」(ソヴィェート)という名詞及びそれから派生した動詞・形容詞などがあるが、「рада」の方が一般的である。
ウクライナ・コサックのラーダ
ウクライナでは、15世紀頃からコサックによる統治が始められたとされるが、コサック国家の基本機関となったのがラーダであった。これは、「民族議会」、「全体会議」などと意訳されるが、その通り平等を原則に集団の成員男子全員が参加する最高議会であり、軍事行動や外国との同盟などの重要を決める場合には原則として必ず開かれていた。また、ここでは「大統領」とも意訳されるヘーチマンを選出することも行われた。なお、ザポロージエ・コサックには、「ヘーチマン」、「スタルシーナ」、「ラーダ」という順に組織が組まれていた。
ウクライナの主なラーダ
ウクライナの各時代・各勢力におけるラーダ。
- ヘネラール・ラーダ
- 「全体議会」と訳される、コサック政府の中心議会。身分に関係なくすべてのコサック成員が参加する。ヘーチマンはここで選出された。
- ラーダ・スタルシーン
- 「長老議会」と訳される。当初は選挙によって選ばれたヘーチマン、参謀部幕僚、連隊長などで構成されていたが、のちにこれらの「長老」は世襲化され、貴族化し、コサック国家の大原則であった平等性を脅かすこととなった。
- 1917年3月に結成された政治組織で、「ウクライナ中央ラーダ」、或は単に「中央ラーダ」、「民族議会」と訳される。ロシア連邦内でのウクライナの自治確立を目指し、臨時政府によって認められた。しかしながら、二月革命には賛同せずウクライナ民族共和国として独立を宣言したため内戦となり、結局はドイツ軍によって解散された。中央ラーダ勢力の残党は、のちに執政内閣政府を作った。
- 現在の独立ウクライナの国会。「最高議会」。
この他、ミースィカ・ラーダ(市議会)からソ連時代のソヴィエトまで、議会と名の付くものはウクライナではすべてラーダである。