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丸山義行

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丸山 義行(まるやま よしゆき、1931年10月28日 - )は、栃木県出身のサッカー審判員・指導者。

経歴

栃木県立今市高等学校中央大学卒業。大学卒業後に審判員となり、1961年から1976年まで国際審判員を務める。

1970年のワールドカップ・メキシコ大会では、日本人として初めてワールドカップに出場する。ペルーブルガリア戦など2試合で線審を務める。

丸山はW杯の経験を後に「審判と選手は両輪です。審判だけのレベルが高い国はないし、選手だけのレベルが高い国もないでしょう?強いリーグには良い審判員がいる。」と振り返る。帰国後、「審判のレベルを上げないと、リーグのレベルも上がらない」と説いたが、当時のサッカー後進国日本では一笑に付されるだけだった。その後、日本サッカー界の選手と審判の溝は深まってゆく[1]

1979年、FIFA審判特別功労賞を受賞。1992年4月から2002年2月までJリーグ規律委員会委員長を務めた。1995年からはマッチコミッショナー委員会委員も務め、退任後はJリーグ参与に就任した。

審判員としての活動の一方で母校の中央大学サッカー部の監督を長く務めた。

2009年、日本サッカー殿堂入り[2]

脚注

外部リンク