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2013年5月26日 (日) 13:16時点における版
ディープインパクト | |
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2009年8月13日、社台スタリオンステーションにて | |
現役期間 | 2004年 - 2006年 |
欧字表記 | Deep Impact |
香港表記 | 大震撼 |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 2002年3月25日(22歳) |
抹消日 | 2006年12月25日 |
父 | サンデーサイレンス |
母 | ウインドインハーヘア |
母の父 | Alzao |
生国 | 日本(北海道早来町) |
生産者 | ノーザンファーム |
馬主 | 金子真人→金子真人ホールディングス(株) |
調教師 | 池江泰郎(栗東) |
厩務員 | 市川明彦 |
競走成績 | |
生涯成績 |
14戦12勝 (中央競馬13戦12勝) (フランス1戦0勝) |
獲得賞金 |
14億5455万1000円 ※歴代2位(引退時) |
WTRR |
L124-E118 / 2005年 L127-E123 / 2006年 |
勝ち鞍 |
GI:皐月賞、東京優駿、菊花賞(2005年) 天皇賞(春)、宝塚記念、ジャパンカップ、 有馬記念(2006年) GII:弥生賞、神戸新聞杯(2005年) 阪神大賞典(2006年) |
ディープインパクト(英: Deep Impact、2002年(平成14年)3月25日 - )は日本の元競走馬、種牡馬。史上6頭目の中央競馬クラシック三冠馬(史上2頭目の無敗での三冠馬)である。2005年(平成17年)、2006年(平成18年)JRA賞年度代表馬、2005年(平成17年)JRA賞最優秀3歳牡馬、2006年(平成18年)JRA賞最優秀4歳以上牡馬。 2008年(平成20年)には顕彰馬に選出された。
経歴
デビュー前
ノーザンファーム時代
ディープインパクトは2002年(平成14年)3月25日[注 1]に北海道勇払郡早来町(現在の安平町)のノーザンファームで生まれた[注 2]。ノーザンファーム場長の秋田博章は生まれたばかりの同馬を見て、体のバランスは良いと思ったが、ほかの馬と比較して目立って良い点があるとは感じなかったと証言している[1]。
0歳時にセレクトセールに上場されたディープインパクトは、金子真人に7000万円で落札された。馬体の薄さが嫌われたのか、上場されたサンデーサイレンスの産駒14頭のうち9番目[注 3]の落札価格だった。購入した金子はこのときの瞳の輝きに衝撃を受け、また多くの人々に強い衝撃を与える馬になって欲しいという思いから「ディープインパクト」と名付けた[2]。
ディープインパクトは0歳10月にノーザンファーム遠浅の1歳馬用の厩舎に移動した[3]。関節に不安があると判断されたため、遠浅に移動した翌日から「パドック」と呼ばれる小さな放牧地に入れられて運動を制限された。広い場所で放牧されるようになったのはそれから約1か月後だった[4]。ノーザンファーム場長の秋田は遠浅時代のディープインパクトについて、集団のリーダーではなかったものの、集団の先頭に立って走ろうとし、薄い蹄(身体的特徴の項目を参照)を擦り減らして血だらけになりながらも走るのをやめなかったと証言している[5]。
1歳9月にはノーザンファーム早来に移り育成を受けた[3]。小柄で繊細な面があったため、女性スタッフが育成を担当した[5]。その育成担当スタッフやノーザンファーム場長の秋田は共にディープインパクトの柔軟性の高さを指摘している(身体的特徴の項目を参照)。一方で、柔軟性がありすぎるところや、小柄で非力なところを欠点として指摘する声もあった[6]。
池江泰郎厩舎に入厩
ディープインパクトは2004年(平成16年)4月15日にに早来町のホルスタイン市場で産地馬体審査を受けた[7]。そして同年9月8日、栗東トレーニングセンターの池江泰郎厩舎に入厩し[7]、池江敏行調教助手と市川明彦厩務員が担当することになった。初めてディープインパクトを見た市川は、同馬が小柄でかわいらしい顔をしていたため牝馬ではないかと思い、本当に牡馬かどうか股を覗きこみ確認したという[8]。
入厩して1か月が経過した10月、坂路の調教で初めてタイムを計ったときに、調教師の池江が58秒から59秒で走らせるように指示したが、これよりも速い54秒前半のタイムを出してきた。それにもかかわらず、汗もかかずにまったく疲れた様子がなかった。このとき厩務員の市川は、ディープインパクトを「ただ者ではない」と思ったとのちに語っている[9]。その後12月に武豊騎乗でデビューすることが決定したため、デビュー戦4日前の調教で武豊が初めて騎乗することになった。調教を終えると武豊は調教助手の池江敏行に「この馬、ちょっとやばいかも」と興奮気味に話し[10]、翌年の活躍に期待した。
現役競走馬時代
2歳 - 3歳(2004年 - 2005年)
新馬戦から東京優駿まで
2004年(平成16年)12月19日阪神競馬第5競走の2歳新馬戦(芝2000メートル)で武豊を主戦騎手に据えてデビュー。武豊は引退まで手綱を握ることとなる。レースでは、上がり3ハロン33秒1の脚で、のちに金鯱賞・マイラーズカップなど重賞4競走に優勝し安田記念で2着となるコンゴウリキシオーに4馬身の差を付けて勝利。レース後、厩務員の市川は、このデビュー戦の強い勝ち方に「派手にやってしまった」と消耗を心配したが、レース後すぐに息が戻っていたので「クラシックでも戦える」と思ったという[11]。
続く2戦目は2005年(平成17年)1月22日に、京都競馬場で行われた若駒ステークスだった。レース数日前、武豊は「すごいことになるから見ていてください」と対談相手に語っていた[12]。レースでは最後方から競馬をし、4コーナーに入っても先頭の馬から10馬身程度の差があったが、直線で一気に突き抜け5馬身差で勝利。この勝ちっぷりで、ディープインパクトの名が一気に全国区となった。またこの時点で三冠達成を確実視する声もあった[13]。
さらに中山競馬場での第42回弥生賞。関東では初出走となったが、ハイセイコーを超える当競走史上最高の単勝支持率71.5パーセントを記録した。レースでは2歳王者のマイネルレコルトや京成杯を制したアドマイヤジャパン以下にクビ差ではあったものの鞭を一回も振るわずに[14]勝利し、クラシックの最有力馬に躍り出る。
第65回皐月賞では、単勝支持率が63.0パーセント(オッズは1.3倍)と、1951年(昭和26年)のトキノミノルの73.3パーセントに次ぐ史上2位となった。レース開始直後にいきなり躓き落馬寸前まで体勢を崩し後手を踏み、ほかの馬から4馬身ほど離れた最後方からの競馬になった。さらに向こう正面でローゼンクロイツと接触する場面があった。それでも、4コーナーでディープインパクトの気を抜く素振りを感じた武豊がレースで初めて鞭を入れると[15]、直線では2着のシックスセンスに2馬身半の差をつけ勝利。フジテレビ系で実況を担当した塩原恒夫アナウンサーはゴール直後、「武豊、三冠馬との巡り合い」と五七五風にその勝利を讃えると同時に三冠を確実視するコメントを発した。勝利騎手インタビューで武豊は「いや、もうパーフェクトですよ、ホントにね。走っていると言うより飛んでいる感じなんでね」と言葉を残した。レース後の記念撮影で武豊は指を1本立てて一冠をアピールした。これはシンボリルドルフの三冠競走で主戦騎手であった岡部幸雄が行ったパフォーマンスと同じ事実上の三冠宣言であった。
迎えた東京優駿。当日の東京競馬場には前年比114.8パーセントとなる14万143人もの観衆が押し寄せた[16]。左回りのコースは初めてだったが、単勝支持率は73.4パーセント(オッズは1.1倍)とハイセイコーの持っていた当競走における単勝支持率最高記録を更新する人気となった。スタートは皐月賞同様に出遅れ、道中は後方につけるも、4コーナーでは横に大きく広がった馬群の最外を通り、直線では1頭先に抜け出したインティライミに残り200メートル地点で並んでから同馬を突き放して5馬身の差をつけ、前年のキングカメハメハに並ぶ2分23秒3のレースレコードタイで優勝。1992年(平成4年)のミホノブルボン以来となる史上6頭目の無敗の二冠を達成した。武豊は勝利騎手インタビューで「感動しています。この馬の強さに…」と言い、レース後の記念撮影では指を2本立てて二冠をアピールした。そして翌日のスポーツニッポンの手記で武豊はディープインパクトのことを英雄というニックネームで呼ぶことを自ら提案した[注 4][17]。対戦した騎手もその勝ち方を高く評価し、四位洋文は「サラブレッドの理想形」、ケント・デザーモは「セクレタリアトのようなレース運びだった」と語っている[18]。
三冠達成、そして有馬記念での初黒星
東京優駿の後は、まず栗東トレーニングセンターで調整されたが、7月10日に札幌競馬場に移動し[19]、それから約2か月間は同競馬場で調整された[20]。放牧に出されずに札幌競馬場で調整されたのは、厩舎での調整のリズムを変える必要がないことと、避暑ができるからであった[19]。札幌競馬場での調整では行きたがる気性を治すための調教もされた(性格・気性の項目を参照)。9月11日に栗東トレーニングセンターに戻り、その後は栗東で調整が行われた[20]。
秋初戦となった神戸新聞杯は、最後方から2番手の位置でレースを進めたが、直線に向くと先頭に立ち、2着シックスセンスに楽に2馬身半の差をつける完勝。勝ちタイム1分58秒4はトウショウボーイが持つ従来の記録を塗り替えるレースレコード。菊花賞に向けて順調なスタートを切った。
そして三冠のかかった2005年(平成17年)10月23日の第66回菊花賞。京都競馬場には菊花賞の入場動員レコードとなる13万6701人(前年度比182.0パーセント)の観客が押し寄せた[21]。ディープインパクトの単勝支持率は79.03パーセントとなり、単勝式オッズは1.0倍(100円元返し)となった。この単勝支持率は菊花賞としては1963年(昭和38年)のメイズイ(6着)の83.2パーセントに次ぐ史上2位[注 5]、グレード制施行後の重賞としては当時史上最高の単勝支持率であった[注 6]。レースでは好スタートを切ったものの、スタート後の最初の3コーナーから掛かってしまう。そのため武豊はディープインパクトを馬群の内側に入れ、前に行くのを防いだ。その後馬群中団で落ち着いたディープインパクトは、直線で先に抜け出していたアドマイヤジャパンを差し切り2馬身差をつけて優勝。シンボリルドルフ以来、21年ぶり史上2頭目の無敗での三冠馬となった。なお、ゴール前での馬場鉄志アナウンサーの実況「世界のホースマンよ見てくれ! これが! 日本近代競馬の結晶だ!」は2005年(平成17年)のFNSアナウンス大賞を受賞した。そしてレース後の記念撮影では武豊が指を3本立てて三冠をアピールした(レースに関する詳細については第66回菊花賞を参照)。
菊花賞後、陣営はディープインパクトを年内にあと1レース出走させる方針を示したうえで、ジャパンカップと有馬記念のどちらに出走するかを検討し、最終的に有馬記念に出走させることを決定した[22]。事前のファン投票では160,297票を集めて1位となった。レース当日の中山競馬場には前年比129.6パーセントとなる16万2409人もの大観衆[23]が押し寄せた。古馬とは初対決となったものの、単勝式オッズは1.3倍を記録した。しかしレースでは、いつものように後方から進めるも、ハーツクライに半馬身及ばず2着に惜敗し、8戦目にして初黒星を喫した。レース後、鞍上の武豊は「今日は飛ぶような走りではなかった。普通に走ってしまった」と初めての敗戦にショックを隠し切れないコメントを残している[24](レースに関する詳細については第50回有馬記念を参照)。
2005年(平成17年)の活躍をうけ、この年のJRA賞では年度代表馬および最優秀3歳牡馬に選出された。JRA賞選考委員会の記者投票では最優秀3歳牡馬では満票(291票)を、年度代表馬では285票を獲得した。関西競馬記者クラブ賞も受賞した。
4歳(2006年)
阪神大賞典から宝塚記念まで
1月23日に行われた前年のJRA賞授賞式において、オーナーの金子が「夏にヨーロッパでいいレースがあれば使いたい」と発言し、海外遠征を行う意向が示された。海外遠征については2月、調教師の池江によって、春は阪神大賞典から天皇賞(春)へ向かい、天皇賞(春)の後にイギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスとフランスの凱旋門賞のどちらに出走するか決定すると発表された[25]。
2006年(平成18年)の初戦となった阪神大賞典は初めて経験する稍重馬場だったが、レースでは3コーナーで進出を開始して4コーナーで先頭に並ぶと、最後の直線でデルタブルースやトウカイトリックを寄せ付けず、決勝戦手前では武豊が抑える余裕を見せ3馬身半の差で優勝。順調なスタートを切った。
4月30日、続く第133回天皇賞(春)。単勝支持率は当競走史上最高となる75.3パーセント(オッズは1.1倍)を記録した。スタートではまたも出遅れ、道中は最後方から2番手の位置で折り合いをつけて進んだ。そして3コーナー手前の残り1000メートル地点からロングスパートを開始して[注 7]先行馬を交わしていくと、ゆっくり下ることがセオリーとされる下り坂でもスパートを続け、4コーナーで早くも先頭に立った。直線では、出走馬中最速となる上がり3ハロン33秒5の脚を使ってそのまま先頭を維持し、2着のリンカーンに3馬身半の差をつけ優勝した。勝ち時計の3分13秒4はレコードタイムで、1997年(平成9年)の第115回天皇賞においてマヤノトップガンが記録した3分14秒4のレコードを1秒更新した。2着に入ったリンカーン(3着に5馬身差をつけ、かつ自らも従来のレコードタイムを上回る走破時計を出す)に騎乗した横山典弘が「(リンカーンは、生まれた)時代が悪かった。しょうがない」と言うほどの内容だった。武豊は「世界にこれ以上強い馬がいるのかな」と言い[26]、海外遠征での勝利に期待感を示した。レース後の記念撮影で武豊は指を4本立てて四冠をアピールした。
5月8日、調教師の池江によって凱旋門賞出走に向けた海外遠征プランが発表され[注 8][7]、その前哨戦として6月25日に京都競馬場で開催される第47回宝塚記念[注 9]に出走することとなった。事前に行われたファン投票では89,864票を集め1位となり、単勝支持率も天皇賞(春)に続きレース史上最高の75.2パーセント(オッズは1.1倍)をマークした。当日の京都競馬場は雨で馬場が悪くなっていたが、道中後方2番手追走から残り700メートル地点で進出を開始すると、直線では馬場外目を伸び、2着のナリタセンチュリーに4馬身差を付け優勝した。そして同競走を優勝したことで史上7頭目、史上最速での(収得賞金額)10億円馬となった。レース後の記念撮影で武豊は指を5本立てて五冠をアピールした。
凱旋門賞
凱旋門賞の行われるフランスに出発する前に、2006年(平成18年)7月2日にマイクロチップが埋め込まれた[27]。これはフランスでは2006年からすべての出走馬にマイクロチップを埋め込むことが義務付けられているからである。日本では2007年(平成19年)に産まれてくる産駒から個体識別のためにマイクロチップを埋め込むことが義務付けられたが(2006年(平成18年)に産まれた産駒や現役馬は順次導入)、ディープインパクトはこれに先立ち日本産馬としてはマイクロチップの埋め込み導入第1号となった[28]。
ディープインパクトは8月2日から美浦トレーニングセンターに滞在して検疫を受けた[27]。そして8月9日、凱旋門賞出走のために帯同馬のピカレスクコートとともに出国し、現地時間9日午後2時56分にフランスに到着した[27]。その後はシャンティー競馬場の隣の調教場にあるカルロス・ラフォンパリアス厩舎に滞在し、おもにそこで調整された。9月13日には凱旋門賞が開催されるロンシャン競馬場でも調教が行われた[27]。
10月1日の凱旋門賞は、前年の同競走の優勝馬ハリケーンラン、前年のブリーダーズカップ・ターフの優勝馬シロッコ、そしてディープインパクトの古馬3頭が「三強」を形成した。直前の各ブックメーカーのオッズではこの3頭が上位人気を占め、中にはディープインパクトを単独で1番人気に推すところもあった[29]。この3頭と対戦するのを他陣営が嫌ったためか[30]、レースは8頭という史上2番目の少頭数で行われることになった。それまで欧州調教馬以外勝ったことのない凱旋門賞だが、現地のメディアやファンからは「今回はディープインパクトに勝たれても仕方ない」という諦めムードさえ見られた[31]。ロンシャン競馬場内では、日本人がディープインパクトの単勝馬券を多数購入したため、一時は1.1倍という断然の1番人気となった(最終的なオッズは1.5倍)[32]。
レースでは好スタートを切り、今までの控える競馬とは違い道中2〜3番手でレースを進めると、残り300メートル地点でいったん先頭に立ったものの突き放すことはできず、残り100メートル地点でレイルリンクに、さらにゴール直前でプライドにも交わされて3位入線に終わった。敗因として武豊は「直線を向いてからハミを取らなかった。ギアが一段上がらなかった」と語っている[33]。そのほか競馬関係者もこの敗戦を分析し、元騎手の岡部幸雄と柴田政人は斤量とヨーロッパ特有の重い馬場を敗因として挙げ[34][35]、さらに岡部は現地のレースを1回経験させておいたほうが良かったとの見解も示している[36]。また、ライターの江面弘也はフランスのアンドレ・ファーブル厩舎の3頭[注 10]に囲まれながらレースを進めざるを得なかったことを指摘し、ディープインパクトは「『なにをしてでも勝たなければいけないフランス』に負けた」としている[37](レースに関する詳細は第85回凱旋門賞を参照)。
日本帰国からジャパンカップまで
ディープインパクトは10月4日にフランスから日本に帰国し、競馬学校で検疫が行われた[27]。その後、調教師の池江によって10月29日の天皇賞(秋)が復帰初戦の予定とされたため、規定により同競走が開催される東京競馬場で着地検査が行われた。
10月11日には2006年(平成18年)限りで現役を引退することが発表され、51億円(8500万円×60株)のシンジケートが組まれ種牡馬となることが決定した[38]。この額は日本で繋養された種牡馬としては史上最高価格である。
しかしそのわずか数日後の10月19日、凱旋門賞のレース後に実施された理化学検査でフランス競馬における禁止薬物イプラトロピウムが検出されたことがJRAによって発表された[39]。そして11月16日、正式に凱旋門賞失格が通告された[39](禁止薬物問題についてはディープインパクト禁止薬物検出事件を参照)。
天皇賞(秋)は、帰国して日が浅い中で出走させるのは馬がかわいそうだということで[40]回避が決定され、日本国内での復帰初戦は第26回ジャパンカップにずれ込むこととなった。迎えた11月26日のジャパンカップでは2005年の有馬記念以来のハーツクライとの再戦となった。同競走は海外からは当年のカルティエ賞年度代表馬ウィジャボードを含む2頭しか出走せず、日本馬を合わせても11頭しかいないという、ジャパンカップとしては少数立てのレースとなった。ディープインパクトの単勝支持率は61.2パーセント(オッズは1.3倍)で、日本国内で走ったレースの中ではもっとも低かったが、これでもジャパンカップ史上最高の支持率だった。レースはスローペースとなったが、ディープインパクトは終始最後方で待機し道中を進めた。そして直線に向くと内に入った他馬を大外から一気に捲くり、ドリームパスポートに2馬身差をつけ優勝した。レース後は武豊がウイニングランを行い、ファンに健在ぶりをアピールした。そして表彰式に出るときに武豊はファンといっしょになって万歳三唱をした。記念撮影では武豊の5本指にオーナーの金子の1本指が加わって六冠を表す6本指ができた。一方、再戦ムードを盛り上げたハーツクライは、レース前から陣営が明らかにしていた喘鳴症(喉鳴り)が進行しており、見せ場なく10着に敗れた。
有馬記念、引退まで
そして12月24日、引退レースとなる有馬記念に出走した。事前に行われたファン投票では119,940票を集め2年連続1位、かつファン投票で選ぶレースとしては3レース連続で(2005年有馬記念・2006年宝塚記念・2006年有馬記念)1位となった。単勝支持率は70.1パーセント(オッズ1.2倍)で、1957年(昭和32年)にハクチカラが記録した76.1パーセントに次ぐ史上2位となった。レースでは道中後方3番手につけ、3コーナーから追い出して直線で早々と先頭に立つと、最後は流しながらも2着ポップロックに3馬身の差をつける圧勝で、有終の美を飾った。武豊が「生涯最高のレースができた」[41]「今までにないくらい、強烈な『飛び』だった」[42]と言うほどのレース内容だった。また、このレースでシンボリルドルフやテイエムオペラオーに並ぶ史上3頭目(当時[注 11])の中央競馬GI7勝の最多タイ記録を達成し、獲得賞金ランキングでもテイエムオペラオーに次ぐ単独2位にランクインした。この後ウイニングランは行われなかったが、その理由について武豊は、ゴールを過ぎてから走るのを嫌がったためだと語っている[43]。記念撮影では武豊の5本指にオーナーの金子の2本指が加わって七冠を表す7本指ができた(レースに関する詳細については第51回有馬記念を参照)。
そして有馬記念当日の全競走が終了したあとに引退式が行われた。約5万人[44]のファンが見守る中、厩務員の市川と調教助手の池江に曳かれながら、武豊を背に同日の有馬記念のゼッケンを付けて登場し、ファンに最後の勇姿を披露した。
2006年(平成18年)のJRA賞では年度代表馬および最優秀4歳以上牡馬に選出された。年度代表馬は2年連続の受賞だった[注 12]。JRA賞選考委員会の記者投票では総得票数289票のうち年度代表馬で287票、最優秀4歳以上牡馬で288票を獲得した。前年に続き関西競馬記者クラブ賞も受賞した。
競走馬引退後
2006年(平成18年)12月25日付で競走馬登録が抹消され、2007年(平成19年)から北海道勇払郡安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬となった。それからディープインパクトは、父サンデーサイレンスやノーザンテースト、リアルシャダイが過ごした「功労馬厩舎」と呼ばれている厩舎で過ごすことになった[45]。同スタリオンでの担当厩務員はノーザンテーストを担当していた森田敬治である[46]。
2007年(平成19年)2月14日には社台スタリオンステーションで引退後初めての一般公開が行われ、会場には約1200人のファンが集まった[47]。以後は同スタリオンで繋養される一部の内国産種牡馬と同様、放牧地にいる間の一般見学が可能になっているが、本馬にのみ専門の警備員が付き添う形になっている。
2008年(平成20年)5月8日、平成20年度顕彰馬選出投票において競馬担当記者による投票で186票中164票(得票率86.6パーセント)を獲得し、28頭目の顕彰馬(競馬殿堂入り)に選出された[48]。それを記念してJRA競馬博物館の1階メモリアルホールにおいて「祝 ディープインパクト号殿堂入り記念展」が5月17日より開催され、馬主服の複製や東京優駿とジャパンカップ優勝時に装着した蹄鉄などが展示された[49]。
2010年(平成22年)5月2日に京都競馬場で第12競走として開催されるJRAプレミアムレース「京都ゴールデンプレミアム」の人気投票において当馬が最多得票を獲得し、「ディープインパクトメモリアル」の副名称を付与して開催された。
2012年(平成24年)にJRAが近代競馬150周年を記念して制作したテレビCM「次の夢へ」(60秒版)では、ディープインパクトの出走シーンがCM内で使用されていた。
種牡馬時代
初年度(2007年)の種付料は当時の日本で繋養される種牡馬としては最高額となる1200万円であった[注 13]。初年度は日本国内の新種牡馬の中では最多となる206頭に種付けを行い[50]、2008年(平成20年)1月9日には初産駒が鳥井牧場で誕生した(牝馬。母ロングディライト)[注 14][51]。
2008年(平成20年)7月15日と7月16日に行われたセレクトセール2008当歳馬セールにて産駒が初めてセリに出され、2日間で総勢36頭が登場して31頭が落札された。最高落札価格馬は初日に登場したビワハイジの2008で、2億2000万円という高値で島川隆哉に落札された[注 15]。最終的にこの2日間でディープインパクト産駒の総売却額は19億1000万円、1頭平均売却額約6161万円となり、2006年(平成18年)にキングカメハメハが記録した新種牡馬産駒の総売却額17億4500万円、1頭平均売却額約5629万円の記録を更新し、売却頭数31頭は2006年(平成18年)のキングカメハメハと同数となった。
2010年(平成22年)に初年度産駒がデビューした。6月26日に福島競馬場で行われたメイクデビュー福島にてサイレントソニックが勝利し、産駒の中央競馬初勝利を記録した。その後も産駒の勝利数は順調に増え続け、11月21日に京都競馬場で行われた2歳未勝利戦でボレアスが勝利し、産駒26頭目の勝ち馬となり、2005年(平成17年)にアグネスタキオンが記録した25頭を抜きJRA2歳新種牡馬の勝馬頭数の新記録を達成。さらに11月27日には京都競馬場で行われた2歳未勝利戦でハッピーグラスが勝利して、産駒のJRA通算勝利数が31勝となった。これにより父サンデーサイレンスが持っていた種牡馬供用初年度のJRA通算勝利数30勝の記録を16年ぶりに更新した。さらに12月25日には阪神競馬場で行われたラジオNIKKEI杯2歳ステークスでダノンバラードが1着になり、産駒初の重賞制覇となった。最終的に初年度産駒がJRAの2歳戦で41勝し、総獲得賞金5億3704万3000円をあげた結果、ディープインパクトは2010年度のJRA2歳リーディングサイアーに輝いた。なお、この産駒出走初年度の総獲得賞金記録も、サンデーサイレンスが持っていた4億9062万5000円の記録を16年ぶりに更新することとなった。
2011年(平成23年)にはマルセリーナが桜花賞を制し、産駒のGI競走およびクラシック初制覇を果たした。また、その年に行われた安田記念ではリアルインパクトが3歳馬ながら古馬を相手に勝利した[注 16]。10月22日には産駒がJRA年間100勝を達成したが、産駒がデビューして2年目の同日における達成は最速記録だった[注 17][52]。この年は最終的にJRAのサイアーランキングではキングカメハメハに次ぐ2位(中央競馬と地方競馬の合算では4位)、2歳部門ではJRAと中央・地方合算の総合部門でともに2年連続でリーディングサイアーとなった。
2012年(平成24年)に入ると、ジェンティルドンナが桜花賞を制し、産駒初の重賞2勝馬の誕生となった[注 18]。後に同馬は優駿牝馬、秋華賞も制し、牝馬クラシック三冠を達成すると同時に、日本競馬史上初の親子での三冠馬となった[注 19]。さらに同馬は3歳牝馬として初めてジャパンカップも制し、同競走では史上3組目となる父仔制覇となった。4月15日にはフランスのグロット賞 (G3) をビューティーパーラー (Beauty Parlour) が勝利し、産駒初の日本国外重賞初制覇を果たした。同馬は続く5月13日、プール・デッセ・デ・プーリッシュ(フランス1000ギニー) (G1) にも勝利し、日本国外のG1競走初制覇も達成した。そして5月27日に行われた第79回東京優駿(日本ダービー)でディープブリランテが優勝し、史上7組目の父仔ダービー制覇を成し遂げた。最終的には産駒がG1・5勝を含む重賞18勝を挙げるなど活躍し、初のJRAリーディングサイアーに輝いた。産駒はJRAで216勝を挙げたが、これはキングカメハメハの184勝(2011年)を塗り替える、内国産種牡馬のJRA年間勝利数の新記録である。また、JRA2歳リーディングサイアーの座も獲得した。種牡馬デビューから3年連続での2歳リーディングサイアー獲得は、父・サンデーサイレンスも成し得なかった快記録である。なお、中央・地方合算の全国リーディングも獲得している。これらの産駒の活躍で翌2013年の種付料は、種付時までに全納のみで1,500万円(不受胎時全額返還)にまで値上げされたが、すぐにBOOK FULLとなるなど、サンデーサイレンスの後継種牡馬の一頭と目されている[53]。なお、東京優駿とジャパンカップをそれぞれ別の馬で父仔制覇を成し遂げたのはディープインパクトが初である。
2013年(平成25年)の桜花賞をアユサンが制して産駒の同競走3連覇を達成した。桜花賞での同一種牡馬の産駒による3連覇は史上初であり、同一クラシック競走における3連覇は2003年から2005年にかけて産駒が皐月賞を制したサンデーサイレンス以来である。同年のヴィクトリアマイルをヴィルシーナが制して産駒のJRA・G1勝利10勝目となった。同馬は4度出走したG1レースですべて2着であったが、5度目の挑戦で遂にG1初制覇となった。そして同年の東京優駿をキズナが制して、産駒による同競走連覇を達成するとともに、史上8組目の父仔ダービー制覇そして史上初となる同じ騎手(武豊)による父仔制覇を達成した。
競走成績
年月日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 | 騎手 | 斤量 [kg] |
距離(馬場) | タイム (上り3F) |
タイム 差 |
勝ち馬/(2着馬) | 馬体重 [kg] | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004. | 12. | 19 | 阪神 | 2歳新馬 | 9 | 4 | 4 | 1.1(1人) | 1着 | 武豊 | 55 | 芝2000m(良) | 2:03.8 (33.1) | -0.7 | (コンゴウリキシオー) | 452 | |
2005. | 1. | 22 | 京都 | 若駒S | OP | 7 | 4 | 4 | 1.1(1人) | 1着 | 武豊 | 56 | 芝2000m(良) | 2:00.8 (33.6) | -0.9 | (ケイアイヘネシー) | 450 |
3. | 6 | 中山 | 弥生賞 | GII | 10 | 8 | 10 | 1.2(1人) | 1着 | 武豊 | 56 | 芝2000m(良) | 2:02.2 (34.1) | 0.0 | (アドマイヤジャパン) | 446 | |
4. | 17 | 中山 | 皐月賞 | GI | 18 | 7 | 14 | 1.3(1人) | 1着 | 武豊 | 57 | 芝2000m(良) | 1:59.2 (34.0) | -0.4 | (シックスセンス) | 444 | |
5. | 29 | 東京 | 東京優駿 | GI | 18 | 3 | 5 | 1.1(1人) | 1着 | 武豊 | 57 | 芝2400m(良) | 2:23.3 (33.4) | -0.8 | (インティライミ) | 448 | |
9. | 25 | 阪神 | 神戸新聞杯 | GII | 13 | 6 | 9 | 1.1(1人) | 1着 | 武豊 | 56 | 芝2000m(良) | 1:58.4 (34.1) | -0.4 | (シックスセンス) | 448 | |
10. | 23 | 京都 | 菊花賞 | GI | 16 | 4 | 7 | 1.0(1人) | 1着 | 武豊 | 57 | 芝3000m(良) | 3:04.6 (33.3) | -0.3 | (アドマイヤジャパン) | 444 | |
12. | 25 | 中山 | 有馬記念 | GI | 16 | 3 | 6 | 1.3(1人) | 2着 | 武豊 | 55 | 芝2500m(良) | 2:32.0 (34.6) | 0.1 | ハーツクライ | 440 | |
2006. | 3. | 19 | 阪神 | 阪神大賞典 | GII | 9 | 2 | 2 | 1.1(1人) | 1着 | 武豊 | 58 | 芝3000m(稍) | 3:08.8 (36.8) | -0.6 | (トウカイトリック) | 442 |
4. | 30 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 17 | 4 | 7 | 1.1(1人) | 1着 | 武豊 | 58 | 芝3200m(良) | R3:13.4 (33.5) | -0.7 | (リンカーン) | 438 | |
6. | 25 | 京都 | 宝塚記念 | GI | 13 | 6 | 8 | 1.1(1人) | 1着 | 武豊 | 58 | 芝2200m(稍) | 2:13.0 (34.9) | -0.7 | (ナリタセンチュリー) | 442 | |
10. | 1 | ロンシャン | 凱旋門賞 | G1 | 8 | 2 | 1 | 1.5(1人) | 失格 | 武豊 | 59.5 | 芝2400m(良) | 3位入線 | Rail Link | 計不 | ||
11. | 26 | 東京 | ジャパンC | GI | 11 | 6 | 6 | 1.3(1人) | 1着 | 武豊 | 57 | 芝2400m(良) | 2:25.1 (33.5) | -0.3 | (ドリームパスポート) | 436 | |
12. | 24 | 中山 | 有馬記念 | GI | 14 | 3 | 4 | 1.2(1人) | 1着 | 武豊 | 57 | 芝2500m(良) | 2:31.9 (33.8) | -0.5 | ( ポップロック) | 438 |
- タイム欄のRはレコード勝ちを示す。
種牡馬成績
年度別成績
年 | 総合(中央+地方) | 中央 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出走 | 勝利 | 順位 | AEI | 収得賞金 | 出走 | 勝利 | 順位 | AEI | 収得賞金 | |||||
頭数 | 回数 | 頭数 | 回数 | 頭数 | 回数 | 頭数 | 回数 | |||||||
2010年 | 74 | 189 | 35 | 43 | 40 | 1.82 | 5億4074万3000円 | 74 | 187 | 34 | 41 | 35 | 1.17 | 5億3704万3000円 |
2011年 | 210 | 961 | 111 | 150 | 4 | 3.02 | 24億8904万8000円 | 206 | 879 | 100 | 135 | 2 | 1.94 | 24億5909万4000円 |
2012年 | 317 | 1670 | 169 | 270 | 1 | 4.13 | 50億5732万3000円 | 295 | 1389 | 145 | 216 | 1 | 2.88 | 50億3164万3000円 |
- 2012年(平成24年)終了時点。
おもな産駒
日本調教馬
GI級競走優勝馬
太字はGI競走
- 2008年産
- 2009年産
- 2010年産
グレード制重賞優勝馬
- 2008年産
- 2009年産
- 2010年産
日本国外調教馬
太字はGI級競走、競走名の前の国旗は開催国
- 2008年産
- 2009年産
- ビューティーパーラー / Beauty Parlour(プール・デッセ・デ・プーリッシュ、グロット賞)
特徴
レーススタイル
後方待機からの強烈な追い込みが身上であった。道中は中団から後方につけ、3〜4コーナーから一気にまくりあげて他馬をごぼう抜きするというレーススタイルでGI競走7勝を挙げた。主戦騎手の武豊は、新馬戦の追い切りの際に少しスピードがありすぎると感じたため、ゆったりとしたレースをさせるようにしたと述べている[54]。また、ゲートの中でじっとしているのが嫌いで落ち着きがなかったため、スタートが上手くできず出遅れることが多かったことも、追い込みという脚質になった一因だとされている[55]。
ディープインパクトの強みは優れた瞬発力とスピード、そして末脚の持続力である。実際、上がり3ハロンのタイムは日本国内の競走では全競走で出走馬中最速であり、東京優駿(当時)、菊花賞、天皇賞(春)、ジャパンカップ、有馬記念(4歳時)などでは史上最速であった。また、天皇賞(春)ではいつも通りの後方待機策から残り600メートル付近で早くも先頭に立ったにもかかわらずそのまま押し切っており、そのトップスピードの持続力は卓越していた。武豊は東京優駿後のインタビューで「この馬は瞬発力が続くんです。ド〜ンとゴールまでそのまま行く」と答えている[56]。調教師の池江泰郎も、瞬発力に優れ、しかも長くいい脚を使うのはディープインパクトの強さを感じるところだと述べている[57]。
反面、ほかの馬と馬体を併せるレースとなった弥生賞ではクビ差とディープインパクトにしては僅差での勝利、同じようにほかの馬と馬体を併せる形となった凱旋門賞では3位入線と敗れている。調教助手の池江敏行はこのことに関して、「馬体を併せると、本気で走らない気がする」とディープインパクトの引退後に語っている[58]。武豊も自身の『武豊TV!』内の2006年有馬記念を回顧する回において、「弥生賞や負けた有馬記念、そして凱旋門賞と馬体を併せる形になったレースでは伸びなかった。勝ったレースはすべて大外から一気に馬を抜き去り圧勝した。はっきりしたことは分からないし断言できないが、馬体を併せると物見(馬を見る)をする。相手に合わせて走ってしまう。反面、単走やそれに近い状況なら、調教でもレースでも力を発揮した。ジャパンカップ前に自ら志願して、初めて単走で追い切ったのはそのため」と語った。
身体的特徴
ディープインパクトはレース時の体重が436 - 452キログラムで、サラブレッドとしては小さな体型である。デビュー戦の452キログラムがもっとも重く、最低体重を記録したのは引退レースの1戦前であるジャパンカップだった。出走したGI競走の中でも、皐月賞・菊花賞・有馬記念(2005年)・ジャパンカップ・有馬記念(2006年)では出走馬の中で最低の馬体重だった。馬体が小さいため、当初は他馬に揉まれ弱いという声もあったが、他馬に揉まれながらも皐月賞に勝利したあとは「大型馬よりも故障のリスクが小さい」と馬体の小ささが肯定的に見られるようになった[59][60]。種牡馬入りのときの健康チェックでは体高(キ甲=首と背の境から足元まで)が164センチメートルだったが、社台スタリオンステーションの徳武英介は、父サンデーサイレンスと同じサイズで体格的に種付けは心配ないと述べている[61]。
馬体に関しては、バランスの良さを指摘する声もある。共同通信社の永井晴二はディープインパクトの馬体について、「ボリューム感に欠ける」ものの、「よく見ると実にバランスの取れた馬体」をしていて「すべてがコンパクトにまとまっている」と評している[62]。サラブレッドクラブ・ラフィアン前代表の岡田繁幸は、「お尻のつく位置や骨の太さなど、すべてのバランスがいい」と述べている[63]。
また、体の柔らかさも指摘されている。ノーザンファーム早来時代に育成を担当したスタッフは、「やわらかくて、ゴム鞠のように弾むようなバネがあった」と証言している[6]。また、同ファーム場長の秋田博章もディープインパクトが坂路を走る様子を見て、今まで見たことがないような柔軟性があり、まるで「ネコ科の動物」が走っているようだったと語っている[64]。装蹄師の西内荘は、犬や猫などのように後ろ脚で耳を掻くことができるほど体が柔らかいと発言している[注 20][65]。サラブレッドクラブ・ラフィアンの岡田は「筋肉の質がよくて柔軟性に富んでいる」と述べ、そのため伸び縮みが自在になると考察している[63]。武豊はその柔軟性の高さを「チーター」にたとえている[66]。
さらに、GI馬に共通した特徴である薄い蹄を持っている[67]。皐月賞までは順調に勝ち進んだものの、東京優駿に向かうにあたってこの点が問題になった。蹄が薄い馬の場合、蹄鉄を釘で固定すると馬がストレスを感じるためである[68]。また、皐月賞が終わると蹄もボロボロになり、釘を打てる場所がなくなっていた[69]。そこで装蹄師の西内は、新しい方法で蹄鉄を装着して東京優駿に臨むことにした[70]。それは、装締によって蹄に負担がかからないように従来の釘による装締を止め、クッションの役割を果たすシューライナーを蹄に貼り、その上にエクイロックスという特殊な接着剤で蹄鉄を蹄に装着する方法であった[68][69]。ディープインパクトはこの方法により装着された蹄鉄で東京優駿に勝利した。
走る時の特徴
装蹄師の西内はディープインパクトの蹄鉄の減りがほかの馬に比べて遅いことを証言している[71]。実際、エアシャカールやアグネスワールドが2週間使用した蹄鉄とディープインパクトが3週間使用した蹄鉄を比較すると、ディープインパクトの蹄鉄のほうが減りが少なかった[72]。西内はその理由について、地面をがっちりと捕まえるディープインパクトの走り方を挙げている。西内によれば、本来競走能力の高い馬は蹄鉄の減りが早いのだが、ディープインパクトの場合はそのような走法のために摩擦が少なく蹄鉄が減りにくいという[71]。
心肺機能がほかの馬より優れているのも強さの一つと考えられている。まず、心拍数が最大になったときの血液のスピードを「VHRmax」(単位はm/s・メートル毎秒)、ゴール直後から心拍数が100を切るまでの時間を「HR100」といい、前者は持久力を、後者は回復力を示すものである(前者は数値が大きければ大きいほど、後者は数値が少なければ少ないほどよい)。3歳以上の馬のVHRmaxの平均は14.6であるのに対し、ディープインパクトはデビューの時点で16.3を示した[73]。HR100も一般的な3歳馬は10分以上かかるが、皐月賞のときにディープインパクトが記録したのは2分42秒であった[74]。
走り方も無駄がなく効率的なものとなっている。JRA競走馬総合研究所が菊花賞のディープインパクトの走りを調査したところによると、武豊の「走っていると言うより飛んでいる感じ」という言葉に反して、ディープインパクトは4本の脚がすべて地面についていない時(エアボーン)の時間がほかの馬の平均である0.134秒よりも短く、0.124秒だった。しかし、その間の移動距離は長く、ほかの馬の平均が2.43メートルであるのに対し、ディープインパクトは2.63メートルだった[75][76][77]。同研究所は、飛ぶことによって馬体の上下動に余計な力を使ってしまい、そのうえ前へ進む力も継ぎ足せなくなるため、エアボーンの時間が短いことは速く走るためのメリットだと説明している[78][79]。また、2本の脚が同時に地面に着いている時間が少ないことも明らかになった。この脚と脚が同時に着いている時間が短いという特徴はアメリカの三冠馬セクレタリアトにも見られることから、速く走る馬の特徴なのではないかと同研究所の高橋敏之は推測した[65]。さらに同研究所は、走るときに後肢を大きく前方へ振り出していること(それによって後肢を後方に引き戻す速度が上がり、着地するときの制御力も小さくなる)などをディープインパクトの効率的な走りの特徴として挙げている[65]。同研究所は、ディープインパクトの走りには「強いウマ、速いウマの走りのテクニックが凝縮されて」おり、「空を飛んでいる」と武豊が言ったのは、ディープインパクトが馬体の上下動を抑えて重心を低くしたスムーズな走行をしているからだと研究結果をまとめている[80]。
気性・性格・知能の特徴
武豊は「走ろうとする気持ちが強すぎるので、乗る立場からすれば難しい馬」[55]「この馬が本気で行きだしたら止めるのは容易じゃない」[81]と語っている。3歳時はほかの馬が前を走っていると調教でも追い抜こうとして抑えるのに苦労するほどで、さらに調教で馬場に出るときに尻っ跳ねをする癖があった[82]。パドックでもうるさい様子を見せており、とくに東京優駿では焦れ込んで馬場入りのときと同じように尻っ跳ねをする仕草もした。3歳夏の札幌競馬場でのトレーニングでは、これらの癖を直すための調教もされた。このトレーニングが功を奏したのか、その後はある程度改善され、4歳時の有馬記念前の調教では他馬に反応することも尻っ跳ねをすることもなくなった[83]。
普段は人懐っこくておとなしく、厩舎では「お坊ちゃまくん」のニックネームで呼ばれていた[84]。「素直な性格」[85]で「天然」[86]だと厩務員の市川は述べている。調教師の池江はディープインパクトを「とてもおとなしい」馬だと言い、さらに「人間が好き」で「優しい馬」だと表現している[87]。競走馬時代の担当の獣医師も、ディープインパクトは「性格が気さく」であり、これほど性格が良い馬はそういないと語っている[88]。種牡馬となってからの担当厩務員である森田敬治は、自分が人間よりも上の立場だということを誇示したがるほかの種牡馬と違って、ディープインパクトは人間と対等の立場で接してくると証言している[89]。
非常に利口な馬でもあり、調教助手の池江敏行によると、普通の馬が10回で覚えることをディープインパクトは2、3回で覚えてしまうという[90]。武豊も頭の良さは認めており、菊花賞でディープインパクトが一周目のホームストレッチでかかってしまったのは、頭が良いので3コーナーから4コーナーにかけてスパートをかけることを覚えているために、一周目のゴール板を正規のゴールと勘違いしてしまった(=そこまでに先頭に立たなければならないと勘違いした)からだと証言している[91]。
評価
公式レイティングによる評価
2005年のワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングでは長距離(ロング:Long - 2101メートル〜2700メートル)でのパフォーマンスが124ポンドと評価された。ほかの距離区分も含め総合9位、3歳馬の中では4位にランクされた。超長距離においては118ポンドに評価され、この距離区分では世界1位となった。
2006年の同ランキングでは長距離で127ポンドに評価され、インヴァソール・バーナーディニ・ディスクリートキャットに続く総合4位タイ、芝部門ではレイルリンク・ジョージワシントンと並び世界1位タイにランクされた。ちなみにこれは1999年におけるエルコンドルパサーの134ポンドに次ぐ日本調教馬歴代2位のレイティングである。超長距離部門では123ポンドに評価され前年と同様、世界1位だった。
また、2006年7月10日にIFHA(国際競馬統括機関連盟)から発表された「トップ50ワールドリーディングホース」の2006年1月1日から7月10日までの集計分では125ポンドに評価された。このレイティングにより、集計期間内にタターソールズゴールドカップ(アイルランドG1)に勝利していたハリケーンラン、また、同じく集計期間内にコロネーションカップ(イギリスG1)を制していたシロッコと並び、ランキングが設立された2003年以降、日本馬として初めて世界1位にランクされた。
競馬関係者による評価
ディープインパクトを管理する調教師の池江泰郎は、3歳春の時点で同馬を「理想的なサラブレッド」と言い、長所として騎手の指示に対する反応の良さを挙げている[92]。また主戦騎手の武豊は、弥生賞後のインタビューで、同馬の長所は何かという質問に対して負けないところだと答えている[93]。その後武豊は、負けないという意味は「すべての面でほかの馬を圧倒している」ということだと発言している[94]。
菊花賞で無敗の三冠馬となったディープインパクトだが、同じ無敗の三冠馬のシンボリルドルフとの比較という点においては、同馬の主戦騎手だった岡部幸雄が「ルドルフのほうが強い。ルドルフは競馬のすべてを知り尽くしていた」、「終始馬体を併せる作戦を取ればルドルフなら勝てる」と答えている。しかし同時に、自ら「ディープインパクトの追っかけ」[95]と言うほどのファンでもあり、凱旋門賞のときは声を荒げて応援していた。一方、ノーザンファーム場長の秋田博章は、「ルドルフはソツのないレース巧者」で「優等生という印象」と言ったうえで、「ディープの強さは並ぶ間もない圧倒的なもの」と発言し、「一枚上」だと評価した[96]。柴田政人の場合は菊花賞のあとに「ルドルフを超えたというよりもすごい馬が現れたと感じている。潜在能力がまさにケタ違い」と評している[97]。
競馬評論家の井崎脩五郎は、ディープインパクトの新馬戦の翌日に行われたイベントで「今まで(=数十年間)見てきた中で、一番『これは強い』と思ったレースは?」と振られ「昨日のディープインパクトの新馬戦」と答えた。その後井崎は、ディープインパクトのことを「競馬史上の最強馬」ではないかと発言した。その理由として、名馬のレースで「なんだこれ!?」と感じるのは1頭に1回だが、ディープインパクトの場合は新馬戦と2戦目の若駒ステークスの2回連続でそう感じたことを挙げている[98]。
また、競馬評論家の合田直弘は日本国外にもディープインパクトを高く評価する競馬記者が複数存在することを証言している。合田が指摘しているように、イギリスのレーシング・ポスト紙は2006年のワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングのレイティングが日本の競馬のレベルを低く見すぎていて保守的であると不満を唱え、独自のレイティングでディープインパクトを133ポンドで世界一にしている。合田によると、香港にも「35年間競馬を見てきた中でディープインパクトは一番印象的だった馬」と述べ、ディープインパクトに高評価を与えた記者がいるという[99]。
投票による評価
競馬雑誌『優駿』(2010年8月号)が同誌の創刊800号を記念して読者・ライター・評論家・編集者の投票により決定した「未来に語り継ぎたい不滅の名馬たち The Greatest Horses 100」のランキングでは、読者部門とライター・評論家・編集者部門でともに第1位に選ばれ、この2つを合計した総合部門では14074ポイントを獲得し第1位となった[100]。なお読者部門では、10代から60代以上のすべての世代で第1位に選ばれている[101]。
競走馬時代には、出走したJRA主催の全競走において単勝式馬券で1倍台の1番人気に支持された。その中でもGI競走では、東京優駿・天皇賞(春)・宝塚記念・ジャパンカップで史上最高の単勝支持率、皐月賞・菊花賞・有馬記念(2006年)で史上2位となる単勝支持率を記録した。
各方面への影響
社会現象となる
現役競走馬時代、ディープインパクトの存在は社会現象と言われ[21][102]、高い注目を集めた。NHKで中継された2006年の凱旋門賞の平均視聴率は関東で16.4パーセント、関西で19.7パーセントを記録し、また瞬間最高視聴率は関東で22.6パーセント、関西で28.5パーセントを記録した[32]。
2005年10月23日、三冠達成が懸かった第66回菊花賞では、普段は別番組として放送され、レース映像しか共有しない関西テレビ『ドリーム競馬』とフジテレビ『スーパー競馬』が初めて共同制作の形式を取り、ディープインパクトが特別な存在であることを印象づけた。
そのような高い注目と相まって、競馬専門誌やスポーツ新聞だけでなく一般の新聞・雑誌・テレビ番組などのメディアもその存在を取り上げた。JRAに対する取材の申し込みは例年の10倍に及んだ[103]。三冠達成後の2005年10月29日にはNHKスペシャルで「ディープインパクト〜無敗の3冠馬はこうして生まれた〜」が放送された。なお、同番組は2005年のJRA賞馬事文化賞を受賞した。漫画雑誌でも取り上げられ、ハイセイコーのときと同様にグラビアを飾ったことや(『週刊ヤングサンデー』2006年15号)、凱旋門賞の前に『週刊少年チャンピオン』でディープインパクトの物語が短期集中連載された[注 21]ことがある。競走馬引退後の2007年4月には、サントリーフーズ「BOSSコーヒー」のCMにトミー・リー・ジョーンズと共演している[104]。
現役競走馬時代の2005年と2006年には、その年を代表する存在として扱われることもあった。2005年には新語・流行語大賞の候補語60語にノミネートされた[105]。また、2005年の『日経MJ』のヒット商品番付では「西関脇」に番付された[106]。
経済的影響
関西大学大学院教授の宮本勝浩は、ディープインパクトが出走したGI競走と出走していない前年の同じGI競走の入場者数や売り上げなどを比較し、その増加分から同馬によってもたらされた経済波及効果を試算した。その結果、経済波及効果は262億円と推定された[107]。関連商品はよく売れ、同馬の関連商品によって2005年の競馬グッズの売り上げが前年より10パーセント増加したと中央競馬ピーアール・センターの職員は語っている[108]。なお、同センターが販売する競馬グッズの売り上げの3分の1が同馬の関連商品だった[109]。関連「商品」ではないが、単勝馬券を払い戻さずに取っておくファンも多数存在する。同馬が日本国内で出走した全13レースのうちで単勝馬券の未払い率が最高となったのは引退レースである2006年の有馬記念で、同競走の単勝馬券の未払い率は9.1パーセント(通常は0.3パーセント)を記録した。また、13レースの単勝馬券の未払い額は合計で2億8731万6370円となった[110]。単勝馬券がインターネットオークションで取引され、1万円以上の値がつくこともあった[111]。
一般企業がディープインパクトとのタイアップ商品を売り出すこともあった。銀座松坂屋ではディープインパクトの福袋まで発売された。また菊花賞と宝塚記念のときには京阪電気鉄道の乗車カードである「スルッとKANSAI Kカード」でディープインパクトが図案となっているカードが発行された[注 22]。サッポロビールは有馬記念優勝の缶ビールを発売した。引退後の2007年1月24日には、ディープインパクトの応援歌「翔んでディープインパクト」(歌:和田青児)が発売された。
交通面への影響
菊花賞当日のレース終了後、京都競馬場の最寄り駅である京阪本線淀駅ではディープインパクトの三冠達成を見てから帰宅した競馬ファンでプラットホームが混雑し、急行列車の臨時停車や臨時列車を大増発した。それでも捌き切れずにホーム上の安全性確保と混雑緩和の観点から急遽特急列車を4本のみ臨時停車させた。さらに競馬場付近を走る京阪宇治バス宇治淀線などの路線バスや周辺道路も当日は混みに混み合って渋滞が解けたのは宇治淀線の最終バス発車間際の午後10時ごろであったという。
ファンの少年の自殺
2006年10月11日に福岡県に住むディープインパクトファンの中学二年生がいじめを苦に自殺したが、その中に「生まれかわったらディープインパクトの子供で最強になりたい」と遺書に書かれていたことが報道された。この報道を受け、蹄鉄製造会社の社長がディープインパクトが使っているのと同型の蹄鉄を遺族に贈呈したり、主戦騎手である武豊が色紙を中学生とその遺族に贈るなど、話題になった[112]。
対戦した競走馬の故障
ディープインパクトが勝ったGI競走の2着馬は7頭いるが、うち6頭(シックスセンス、インティライミ、アドマイヤジャパン、リンカーン、ナリタセンチュリー、ドリームパスポート)がそこから1年以内に故障を発症している。2着馬の故障続出の事実は現役当時「ディープインパクトの呪い」として週刊誌で取り上げられた[113]。ちなみに、日本国内で唯一ディープインパクトに勝利したハーツクライも、先述の通り、その翌年に喘鳴症を発症し引退に追い込まれている。また、凱旋門賞でディープインパクトを破ったレイルリンクも翌年骨折、さらには腱を痛めて引退している。
血統
血統背景
父サンデーサイレンスはケンタッキーダービーやブリーダーズカップ・クラシックを制した競走馬。13年連続で日本のリーディングサイアーに輝き、GI馬を多数輩出するなど、日本競馬史上に残る種牡馬である。
母ウインドインハーヘアは競走馬時代にドイツG1のアラルポカルに優勝し、エプソムオークスでも2着に入る活躍をした。
半姉に、5歳の6月という遅いデビューながらデビューから無傷の5連勝をし、2003年のスプリンターズステークスで4着に入ったレディブロンド(父シーキングザゴールド Seeking the Gold、6戦5勝)、全兄に2004年のスプリングステークスを制したブラックタイド、全弟に2005年の東京スポーツ杯2歳ステークス3着のオンファイア、半弟に2006年のホープフルステークスを制したニュービギニング(父アグネスタキオン)がいる。
曾祖母ハイクレア (Highclere) はエリザベス女王が所有し、1000ギニー、ディアヌ賞(フランスオークス)を勝ちキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスで2着に入った名牝だった。このハイクレアの一族には1989年のエプソムダービーなどを制したナシュワン (Nashwan) 、2002年のドバイシーマクラシックなどに勝ったネイエフ (Nayef) がいるほか、2003年のNHKマイルカップなどを制したウインクリューガー、2006年のマーメイドステークスを制したソリッドプラチナムといった日本で活躍した競走馬もいる(そのほか近親の活躍馬はハイクレア一族の項目を参照)。
血統表
ディープインパクトの血統(サンデーサイレンス系 / 5代アウトブリード) | (血統表の出典) | |||
父 *サンデーサイレンス Sunday Silence 1986 青鹿毛 アメリカ |
父の父 Halo 1969黒鹿毛 アメリカ |
Hail to Reason 1958 | Turn-to | |
Nothirdchance | ||||
Cosmah 1953 | Cosmic Bomb | |||
Almahmoud | ||||
父の母 Wishing Well 1975鹿毛 アメリカ |
Understanding 1963 | Promised Land | ||
Pretty Ways | ||||
Mountain Flower 1964 | Montparnasse | |||
Edelweiss | ||||
母 *ウインドインハーヘア Wind in Her Hair 1991 鹿毛 アイルランド |
Alzao 1980 鹿毛 アメリカ |
Lyphard 1969 | Northern Dancer | |
Goofed | ||||
Lady Rebecca 1971 | Sir Ivor | |||
Pocahontas | ||||
母の母 Burghclere 1977鹿毛 イギリス |
Busted 1963 | Crepello | ||
Sans Le Sou | ||||
Highclere 1971 | Queen's Hussar | |||
Highlight F-No.2-f |
脚注
注釈
- ^ 父サンデーサイレンスも1986年(昭和61年)の同じ日に生まれている。
- ^ ノーザンファームの同期生にはシーザリオ、ラインクラフト、カネヒキリ、ヴァーミリアン、インティライミといったメンバーが名を連ねている。
- ^ トップはダンシングキイの2002(のちのトーセンダンス)の3億5000万円。
- ^ その理由として武豊は、苦境に立たされそうな場面で必ず自分やファンを救い、さらに売り上げの増加という点で競馬界も救ってくれたからだと述べている(島田、2007年、130頁)。
- ^ 菊花賞優勝馬としては1943年(昭和18年)のクリフジの75.0パーセントを超える史上最高支持率となった。
- ^ 2011年のチューリップ賞でレーヴディソールが単勝支持率81.4パーセントを記録し、これを更新した。
- ^ 武豊はこのロングスパートを、ほかの馬が動かなかったために行ったとしている(島田、2007年、204頁)。
- ^ キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスでなく凱旋門賞が選ばれたことについて調教師の池江は、前者が行われるアスコット競馬場よりも後者が行われるロンシャン競馬場の方が平坦なコースであることから後者を選んだと述べている(島田、2007年、208頁)。
- ^ 宝塚記念は例年阪神競馬場で施行されるが、この年は阪神競馬場が芝コースの外回りの新設工事中だったため京都競馬場で代替開催となった。
- ^ レイルリンク、ハリケーンラン、シロッコの3頭。
- ^ のちにウオッカも達成。
- ^ 2002年・2003年のシンボリクリスエス以来の2頭目。啓衆社賞・優駿賞時代も含めると5頭目。
- ^ 翌2008年の種付料も2007年と同じ1200万円。その後、1000万円(2009年)、900万円(2010年)、1000万円(2011年・2012年)、1500万円(2013年)と推移している。
- ^ この馬はオースミが購買し、沖芳夫厩舎に入厩。ナリタカサブランカの名が付けられた。
- ^ 後にこの馬はトーセンレーヴの名が付けられている。
- ^ 3歳馬による安田記念勝利はGI格付け以降では初。
- ^ なお、産駒がデビューして2年目でのJRA年間100勝の達成は1995年(平成7年)のサンデーサイレンス、2008年(平成20年)のシンボリクリスエス、2009年(平成21年)のキングカメハメハ以来のことだった。
- ^ この勝利より前には、地方重賞も含めてのべ35頭が重賞2勝目に挑戦したが、いずれも敗れていた。
- ^ なお、同じく産駒であるヴィルシーナが牝馬三冠ですべて2着に入っている。
- ^ 同じ三冠馬のミスターシービーにもそのような特徴があったといわれている(同馬の記事を参照)。
- ^ 作者は以前同誌で競馬漫画『優駿の門』を連載していたやまさき拓味で、『優駿の門 特別篇』として掲載された。のちに単行本化され、少年チャンピオン・コミックスから発売された。
- ^ 図柄となった写真はスポーツ報知の協力であった。カードには菊花賞時は「夢舞台、淀へ」、宝塚記念時は「淀から凱旋門賞へ」と記載されていた。
出典
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- ^ 島田、2007年、70-71頁。
- ^ 島田、2007年、75頁。
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- ^ 週刊Gallop編集部、2007年、12頁。
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- ^ a b 週刊Gallop編集部、2005年b、14頁。
- ^ 島田、2007年、178-179頁。
- ^ 週刊Gallop編集部、2007年、23頁。
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- ^ 島田、2007年、193-194頁。
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- ^ a b c d e 週刊Gallop編集部、2007年、11頁。
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- ^ 「インパクト“単勝1番人気”だ〜凱旋門賞」 スポーツニッポン、2006年9月25日。
- ^ 週刊Gallop編集部、2006年b、56頁。
- ^ 島田、2007年、258頁。
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- ^ 「ディープ公開 ファン1200人」 スポーツニッポン、2008年2月14日。
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- ^ 重光晋太郎 「インパクト旋風北へ」 スポーツニッポン、2006年12月25日付21面。
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- ^ 「ディープ馬券1億2000万円分未換金」 デイリースポーツ、2007年2月24日(インターネット・アーカイブによるcache)。
- ^ 「全7戦の馬券セットで5万円」 スポーツニッポン、2005年10月24日。
- ^ 「いじめ自殺、遺族に贈り物/ディープと同型の蹄鉄」 四国新聞、2006年11月16日。
- ^ 「「呪いの力」でディープインパクト世界制覇」 AERA、2006年10月2日号。
参考文献
- 青木修 「ディープインパクトが教える“空を飛ぶ走り”のテクニック!-世界に通用する走りのテクニックとは?-」 BTCニュース第67号、財団法人 軽種馬育成調教センター、2007年
- NHK取材班 『三冠馬ディープインパクト 強さの秘密』 NHK出版、2006年 ISBN 414081103X
- 岡部幸雄・柴田政人・井崎脩五郎・鈴木淑子 「座談会 2005年競馬を振り返る」 『週刊Gallop臨時増刊 JRA重賞年鑑2005』、産業経済新聞社、2005年
- 岡部幸雄・合田直弘・井崎脩五郎・鈴木淑子 「座談会 2006年競馬を振り返る」 『週刊Gallop臨時増刊 JRA重賞年鑑2006』、産業経済新聞社、2006年
- 栗林阿裕子 『ディープインパクト―これからはじまる物語』 メタモル出版、2008年 ISBN 4895956504
- サラブレ編集部 『ディープインパクト 衝撃の軌跡』 エンターブレイン、2007年 ISBN 475773381X
- 島田明宏 『ありがとう、ディープインパクト―最強馬伝説完結』 廣済堂出版、2007年 ISBN 4331512150
- 城崎哲 『カリスマ装蹄師西内荘の競馬技術―空飛ぶ蹄鉄をいかにデザインするか』 白夜書房、2007年 ISBN 9784861912689
- 週刊Gallop編集部 『Gallop臨時増刊 ディープインパクト 衝撃2冠までの足跡』 産業経済新聞社、2005年a
- 週刊Gallop編集部 『Gallop臨時増刊 ディープインパクト 衝撃3冠DVDメモリアル』 産業経済新聞社、2005年b
- 週刊Gallop編集部 『Gallop臨時増刊 ファンが選んだ2005ベストレース』 産業経済新聞社、2006年a
- 週刊Gallop編集部 『Gallop臨時増刊 ディープインパクト 凱旋門賞激走譜』 産業経済新聞社、2006年b
- 週刊Gallop編集部 『Gallop臨時増刊 さようならディープインパクト ありがとうターフを去ったHero&Heroine'06』 産業経済新聞社、2007年
- 優駿編集部 『優駿3月号増刊 TURF HERO 2005』 日本中央競馬会、2006年
- 優駿編集部 「未来に語り継ぎたい不滅の名馬たち」 『優駿』800号、日本中央競馬会、2010年
外部リンク
- 気になる馬 ディープインパクト - スポーツニッポン
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post エラー:
|racingpostname=
が未定義です。(参照1・参照2) - ディープインパクト - 競走馬のふるさと案内所
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