1966年ベルギーグランプリ
1966年ベルギーグランプリ (1966 Belgian Grand Prix) は、1966年のF1世界選手権第2戦として、1966年6月12日にスパ・フランコルシャンで開催された。
レース詳細 | |||
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1966年F1世界選手権全9戦の第2戦 | |||
スパ・フランコルシャン(1947-1978) | |||
日程 | 1966年6月12日 | ||
正式名称 | XII Grote Prijs van Belgie | ||
開催地 |
スパ・フランコルシャン ベルギー スパ | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 14.120 km (8.770 mi) | ||
レース距離 | 28周 395.36 km (245.56 mi) | ||
決勝日天候 | 雨 (ウエット) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | フェラーリ | ||
タイム | 3:38:0 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | ジョン・サーティース | フェラーリ | |
タイム | 4:18:7 (18周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | フェラーリ | ||
2位 | クーパー-マセラティ | ||
3位 | フェラーリ |
ベルギーグランプリの開催は26回目で、1周14.1kmのコースを28周する395kmのレースで行われた。
本レースはフェラーリ・312をドライブしたジョン・サーティースが優勝した。サーティースは1964年イタリアグランプリ以来4回目の優勝であった。42秒差でクーパー・T81をドライブしたヨッヘン・リントが2位となり、クーパーは3リッターのマセラティV12エンジンとのコンビネーションで初の表彰台を獲得した。サーティースのチームメイトのロレンツォ・バンディーニは246-66で3位となり、開幕戦モナコグランプリに続き表彰台を獲得し、ドライバーズポイントで開幕2戦の勝者ジャッキー・スチュワートとサーティースを上回り、トップに立った。
レース概要
編集レースは前年の32周から28周に短縮された。激しい暴風雨のため、1周目で半分以上のドライバーがアクシデントによってリタイアし、2周目に入った時には7台しか残っていなかった。4人のドライバーが滝のような雨が降るビュルナンヴィルコーナーでクラッシュした。ヨアキム・ボニエのクーパー・T81はバランスを崩してクラッシュし、車の前半分が空中に舞った。ジャッキー・スチュワートのBRM・P261はマスタキンクの電柱に激突してクラッシュ、マシンは大破して裏返しとなり、農舎の地階に逆さまに突っ込み、しばらくマシンに閉じこめられた[1]。さらにマシンからガソリンが漏れ始めたが幸い火災は発生せず、スチュワートの近くでマシンを止めた後続のグラハム・ヒルとボブ・ボンドゥラントが自らのレースを捨てて救出にあたり、スチュワートは骨折程度で助かった[2]。ジャック・ブラバムのブラバム・BT19は135 mph (217 km/h)でマスタキンクを過ぎていったが、コントロールを取り戻してレースに復帰した。コース上はあまりにも多くの水があり、1周目にジム・クラークがドライブするロータス・33のクライマックスエンジンが浸水するほどであった。なお、1周目はグリーンフラッグで走っている。
本レースは映画「グラン・プリ」のために撮影された。この映画の8分間で、ライブ映像とモックアップされたレースシーンの組み合わせが使われた。ライブ映像には、ジョン・サーティース、ボニエ、ロレンツォ・バンディーニ、ギ・リジェ、クラーク、ダン・ガーニー(自身が立ち上げたイーグルでのF1初出走)が実際に登場する。サーティースはジャン=ピエール・サルティの役名で、バンディーニもニーノ・バルリーニの役名でそれぞれ出演している。映画上のベルギーGPの時点で重傷を負っているスコット・ストッダード役のジャッキー・スチュワートを出演させないように配慮した[注 1]。なお先述の通り、スチュワートは1周目のクラッシュで早々と姿を消している。架空の日本チーム「ヤムラ」のモデルとなった白いマクラーレンは予選でのマシントラブルのため、決勝に出走しなかった。なお、マクラーレンはインディ500用のフォードV8エンジンを改良するため、暫定的にセレニッシマのV8エンジンを使用した[3]。ピート・アロン役の俳優ジェームズ・ガーナーがヤムラに乗るシーンを撮影するため、ボンドゥラントのマシンが白く塗られることになった。フィル・ヒルはノーズにカメラが搭載された撮影用マシンでコースを1周した。彼は1周目のアクシデントから逃れて、その場面の映像を撮影することができた[4]。
スチュワートはレース後、レースの安全性の啓蒙活動を進めるようになり、それは7年後の1973年にF1ドライバーから引退した後も続いた。
フェラーリ・312を駆るサーティースが1周目の多重事故を回避して首位に立ち、暫定マシンの246-66を駆るチームメイトのバンディーニも一時トップに躍り出る[5]。ヨッヘン・リントは360度スピンを成功させつつ、サーティースを抜いてしばしトップを走行するが[2]、サーティースはレース終盤になってから猛然と追い上げ、首位の座を取り戻して優勝した[5]。しかし、サーティースは翌週に行われるル・マン24時間レースでペアを組むドライバーの起用を巡ってエウジェニオ・ドラゴーニ監督と衝突し、フェラーリを去ることになる[5][6]。
エントリーリスト
編集チーム | No. | ドライバー | コンストラクター | シャシー | エンジン | タイヤ |
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ブラバム・レーシング・オーガニゼーション | 3 | ジャック・ブラバム | ブラバム | BT19 | レプコ 620 3.0L V8 | G |
4 | デニス・ハルム | BT22 | クライマックス FPF 2.8L L4 | |||
スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC | 6 | ジョン・サーティース | フェラーリ | 312/66 | フェラーリ 218 3.0L V12 | F |
7 | ロレンツォ・バンディーニ | 246-66 | フェラーリ 228 2.4L V6 | |||
チーム・シャマコ・コレクト | 8 | ボブ・ボンドゥラント 2 ビック・ウィルソン 3 |
BRM | P261 | BRM P60 2.0L V8 | G |
チーム・ロータス | 10 | ジム・クラーク | ロータス | 33 | クライマックス FWMV 2.0L V8 | F |
11 | ピーター・アランデル 4 | 43 | BRM P75 3.0L H16 | |||
オーウェン・レーシング・オーガニゼーション | 14 | グラハム・ヒル | BRM | P261 | BRM P60 2.0L V8 | D |
15 | ジャッキー・スチュワート | |||||
レグ・パーネル・レーシング | 16 | マイク・スペンス | ロータス | 25 | BRM P56 2.0L V8 | F |
17 | ポール・ホーキンス 5 | クライマックス FPF 2.8L L4 | ||||
クーパー・カー・カンパニー | 18 | リッチー・ギンサー | クーパー | T81 | マセラティ 9/F1 3.0L V12 | D |
19 | ヨッヘン・リント | |||||
アングロ・スイス・レーシングチーム | 20 | ヨアキム・ボニエ | クーパー | T81 | マセラティ 9/F1 3.0L V12 | F |
R.R.C. ウォーカー・レーシングチーム | 21 | ジョー・シフェール | クーパー | T81 | マセラティ 9/F1 3.0L V12 | D |
ギ・リジェ | 22 | ギ・リジェ | クーパー | T81 | マセラティ 9/F1 3.0L V12 | D |
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング | 24 | ブルース・マクラーレン | マクラーレン | M2B | セレニッシマ 3.0L V8 | F |
25 | クリス・エイモン 6 | フォード 406 3.0L V8 | ||||
アングロ・アメリカン・レーサーズ | 27 | ダン・ガーニー | イーグル | T1F | クライマックス FPF 2.8L L4 | G |
ソース:[7] |
- 追記
結果
編集予選
編集順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | グリッド |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 6 | ジョン・サーティース | フェラーリ | 3:38.0 | - | 1 |
2 | 19 | ヨッヘン・リント | クーパー-マセラティ | 3:41.2 | +3.2 | 2 |
3 | 15 | ジャッキー・スチュワート | BRM | 3:41.5 | +3.5 | 3 |
4 | 3 | ジャック・ブラバム | ブラバム-レプコ | 3:41.8 | +3.8 | 4 |
5 | 7 | ロレンツォ・バンディーニ | フェラーリ | 3:43.8 | +5.8 | 5 |
6 | 20 | ヨアキム・ボニエ | クーパー-マセラティ | 3:44.3 | +6.3 | 6 |
7 | 16 | マイク・スペンス | ロータス-BRM | 3:45.2 | +7.2 | 7 |
8 | 18 | リッチー・ギンサー | クーパー-マセラティ | 3:45.4 | +7.4 | 8 |
9 | 14 | グラハム・ヒル | BRM | 3:45.6 | +7.6 | 9 |
10 | 10 | ジム・クラーク | ロータス-クライマックス | 3:45.8 | +7.8 | 10 |
11 | 8 | ボブ・ボンドゥラント | BRM | 3:50.5 | +12.5 | 11 1 |
12 | 22 | ギ・リジェ | クーパー-マセラティ | 3:51.1 | +13.1 | 12 |
13 | 4 | デニス・ハルム | ブラバム-クライマックス | 3:51.4 | +13.4 | 13 |
14 | 21 | ジョー・シフェール | クーパー-マセラティ | 3:53.8 | +15.8 | 14 |
15 | 27 | ダン・ガーニー | イーグル-クライマックス | 3:57.6 | +19.6 | 15 |
16 | 24 | ブルース・マクラーレン | マクラーレン-セレニッシマ | 3:57.6 | +19.6 | DNS 2 |
- | 28 | フィル・ヒル | マクラーレン-フォード | 4:01.7 | +23.7 | 16 3 |
17 | 8 | ビック・ウィルソン | BRM | 4:26.0 | +48.0 | DNS 1 |
18 | 11 | ピーター・アランデル | ロータス-BRM | 5:01.2 | +1:23.2 | DNS 2 |
- 追記
- ^1 - ボンドゥラントとウィルソンは、ともにNo.8のBRMをドライブした
- ^2 - マクラーレンとアランデルはマシントラブルのため、決勝出走を見合わせた[11]
- ^3 - 映画撮影用カメラカー[12]
決勝
編集順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 6 | ジョン・サーティース | フェラーリ | 28 | 2:09:11.3 | 1 | 9 |
2 | 19 | ヨッヘン・リント | クーパー-マセラティ | 28 | +42.1 | 2 | 6 |
3 | 7 | ロレンツォ・バンディーニ | フェラーリ | 27 | +1 Lap | 5 | 4 |
4 | 3 | ジャック・ブラバム | ブラバム-レプコ | 26 | +2 Laps | 4 | 3 |
5 | 18 | リッチー・ギンサー | クーパー-マセラティ | 25 | +3 Laps | 8 | 2 |
NC | 22 | ギ・リジェ | クーパー-マセラティ | 24 | 規定周回数不足 | 12 | |
NC | 27 | ダン・ガーニー | イーグル-クライマックス | 23 | 規定周回数不足 | 15 | |
Ret | 15 | ジャッキー・スチュワート | BRM | 0 | アクシデント | 3 | |
Ret | 20 | ヨアキム・ボニエ | クーパー-マセラティ | 0 | アクシデント | 6 | |
Ret | 16 | マイク・スペンス | ロータス-BRM | 0 | アクシデント | 7 | |
Ret | 14 | グラハム・ヒル | BRM | 0 | アクシデント | 9 | |
Ret | 10 | ジム・クラーク | ロータス-クライマックス | 0 | エンジン | 10 | |
Ret | 24 1 | ボブ・ボンドゥラント | BRM | 0 | アクシデント | 11 | |
Ret | 4 | デニス・ハルム | ブラバム-クライマックス | 0 | アクシデント | 13 | |
Ret | 21 | ジョー・シフェール | クーパー-マセラティ | 0 | アクシデント | 14 | |
Ret | 28 | フィル・ヒル | マクラーレン-フォード | 1 2 | 映画撮影用カメラカー | 16 | |
DNS | 24 | ブルース・マクラーレン | マクラーレン-セレニッシマ | ホイールベアリング | |||
DNS | 11 | ピーター・アランデル | ロータス-BRM | エンジン | |||
DNS | 8 | ビック・ウィルソン | BRM | ボンデュラントに交代 | |||
ソース:[13]
|
- ラップリーダー[14]
- 追記
第2戦終了時点のランキング
編集
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- 注: トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。
注釈
編集- ^ 映画「グラン・プリ」は実際の俳優(ジャン=ピエール・サルティ:イヴ・モンタン、ニーノ・バルリーニ:アントニオ・サバト、スコット・ストッダード:ブライアン・ベッドフォード)とは別に、その役のモデルとなった実際のドライバーも出演している。
脚注
編集- ^ “トップ10:ウエットレース”. ESPN F1 (2010年12月8日). 2019年4月16日閲覧。
- ^ a b (林信次 1995, p. 20)
- ^ (林信次 1995, p. 29)
- ^ “Grand Prix The Movie: A Complete History”. blu-ray.com (31 May 2011). 19 October 2016閲覧。
- ^ a b c d (アラン・ヘンリー 1989, p. 217)
- ^ “ジョン・サーティース:ふたつの世界王者”. The Official Ferrari Magazine(日本語版) (2017年3月13日). 2019年4月20日閲覧。
- ^ “Monaco 1966 - Race entrants”. STATS F1. 2019年4月10日閲覧。
- ^ a b c “Belgium 1966 - Result”. STATS F1. 2019年4月19日閲覧。
- ^ “Belgium 1966 - Qualifications”. STATS F1. 2019年4月17日閲覧。
- ^ “Belgium 1966 - Starting grid”. STATS F1. 2019年4月17日閲覧。
- ^ “Belgium 1966 - Result”. STATS F1. 2019年4月17日閲覧。
- ^ a b c (林信次 1995, p. 118)
- ^ “1966 Belgian Grand Prix”. formula1.com. 6 October 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。26 September 2015閲覧。
- ^ “Belgium 1966 - Laps led”. STATS F1. 2019年4月17日閲覧。
- ^ a b “Belgium 1966 - Championship”. STATS F1. 12 March 2019閲覧。
参照文献
編集- en:1966 Belgian Grand Prix(2019年3月12日 14:21:19(UTC))より翻訳
- 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6。
- アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2。
外部リンク
編集- Belgium 1966 - STATS F1
- “The 1966 Belgian Grand Prix”. 26 September 2015閲覧。
前戦 1966年モナコグランプリ |
FIA F1世界選手権 1966年シーズン |
次戦 1966年フランスグランプリ |
前回開催 1965年ベルギーグランプリ |
ベルギーグランプリ | 次回開催 1967年ベルギーグランプリ |