超勇級防護巡洋艦
超勇級防護巡洋艦(ちょうゆうきゅうぼうごじゅんようかん)はイギリスのアームストロング社にて建造された清国海軍(北洋艦隊)の防護巡洋艦である。防護巡洋艦として最初期の設計で、軍艦に砲塔が普及する過渡期の艦でもあった。
超勇級防護巡洋艦 | |
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超勇 | |
基本情報 | |
艦種 | 防護巡洋艦 |
建造所 | イギリス、ニューカッスル、アームストロング・ホイットワース社エルズウィック造船所 |
運用者 | 清国海軍 |
建造期間 | 1880 - 1881 |
就役期間 | 1881 - 1894 |
同型艦 | 2 |
前級 | - |
次級 | 済遠級 |
要目 | |
基準排水量 | 1,380 トン |
全長 | 64 m |
最大幅 | 9.75 m |
吃水 | 4.57 m |
機関方式 | 3段膨張往復動式機関×2基 |
主缶 | 円缶×8基 |
推進器 | スクリュープロペラ×2軸 |
出力 | 2,887 hp (2,153 kW) |
速力 | 16.5 kn (30.6 km/h) |
航続距離 | 8ノット:5,400海里 (10,000 km) |
燃料 | 石炭 |
乗員 | 137 人 |
兵装 |
25口径25.4cm単装砲×2基 20口径12cm単装砲×4基 オチキス 37mm5連装ガトリング砲×4基 ノルデンフェルト11mm10連機砲×3基 38cm水上魚雷発射管×4基 |
装甲 |
甲板:7 mm 砲室:25 mm |
概要
編集元はチリ海軍が発注した3隻のレンデル式砲艦と呼ばれる巡洋艦の内の2隻で、日本海軍の巡洋艦「筑紫」は同型の姉妹艦である。1874年の台湾出兵以降、北洋艦隊を率いる李鴻章は日本海軍を仮想敵として強く意識するようになった。しかし当時日本の装甲艦(扶桑、金剛型)に対抗可能な軍艦は清国になく、国産もまだ難しかったため、イギリスからの購入を検討。折からチリ海軍が発注をキャンセルして宙に浮いていた艦に白羽の矢が立った。
1880年起工、1881年7月に竣工した。1881年7月15日に購入し、65万両が支払われ、清国海軍に引き渡された。清朝海軍は士官、水兵をニューカッスルに派遣、公試を行い、その後1881年8月9日より清国兵のみで本国へ回航され、11月22日に大沽口に到着した。
1882年の壬午軍乱、1884年の清仏戦争と甲申事変など、1880年代前半の北洋艦隊の主力として活躍したが、1885年以降定遠級以下のドイツ・イギリス製艦艇が新たに加わると、二線級戦力の扱いを受けるようになった。
関連項目
編集- 清国海軍艦艇一覧
- 南米太平洋戦争(硝石戦争)…戦争前半のうちに、チリがペルーに対し制海権を獲得したことが、キャンセルの遠因である。
参考図書
編集- 「Conway All The World's Fightingships 1860-1905」(Conway)
- 姜鳴 『龍旗飄揚的艦隊-中国近代海軍興衰史』 三連書店、2008年
- 陳悦 『北洋海軍艦船志』 山東画報出版社、2009年
外部リンク
編集- Cruiser protected 3 class 'Chao Yung' (1880)[リンク切れ]「超勇」の説明。
- 27.11.16 佐世保鎮守府武庫 広乙号より捕獲品軍艦浪速より送付の・・・レファレンスコード C06060110900 (アジア歴史資料センター)