紀元前554年
年
紀元前554年(きげんぜん554ねん)は、西暦(ローマ暦)による年。紀元前1世紀の共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元200年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前554年と表記されるのが一般的となった。
世紀 | 前7世紀 - 前6世紀 - 前5世紀 |
---|---|
十年紀 |
前570年代 前560年代 前550年代 前540年代 前530年代 |
年 |
前557年 前556年 前555年 紀元前554年 前553年 前552年 前551年 |
他の紀年法
編集できごと
編集中国
編集- 晋を中心とする諸侯が祝柯で盟を結んだ。
- 晋が邾の悼公を捕らえた。
- 邾の漷水以西の土地が魯のものとされた。
- 魯の季孫宿が晋に赴いた。
- 衛の孫林父が軍を率いて斉を攻撃した。
- 晋の士匄が軍を率いて斉に侵攻した。穀に達して、斉の霊公が死去したことを知ると、撤退した。
- 斉の崔杼が高厚を灑藍で殺害した。
- 鄭の公子嘉(子孔)がその専横を憎まれ、西宮事件と純門の敗戦の責任を問われた。公子嘉は自家の甲士と子革氏・子良氏の甲士を率いて立て籠もったが、子展(公孫舎之)と子西(公孫夏)が国人を率いてこれを攻撃して、公子嘉を殺害した。
- 斉の慶封が高唐を包囲したが落とせなかった。荘公が高唐を包囲すると、殖綽と工僂が斉軍を引き入れて陥落した。
- 斉が晋と講和し、大隧で盟を結んだ。