第8回衆議院議員総選挙
1903年に行われた日本の衆議院選挙
第8回衆議院議員総選挙(だい8かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1903年(明治36年)3月1日に日本で行われた帝国議会(衆議院)議員の総選挙である。
第8回衆議院議員総選挙 | |||
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内閣 | 第1次桂内閣 | ||
解散日 | 1902年(明治35年)12月28日 | ||
公示日 | 1902年(明治35年)12月29日 | ||
投票日 | 1903年(明治36年)3月1日 | ||
選挙制度 | 大選挙区制 | ||
改選数 | 376() | ||
議席内訳 | |||
有権者 | 直接国税10円以上納税の満25歳以上の男性日本国民 | ||
有権者数 | 95万8322人 | ||
投票率 | 86.17%(2.22%) | ||
各党別勢力 | |||
党順 | 第1党 | 第2党 | 第3党 |
画像 | |||
党色 | |||
党名 | 立憲政友会 | 憲政本党 | 中正倶楽部 |
党首 | 伊藤博文 | 大隈重信 | 不明 |
前回選挙 | 191 | 95 | 新党 |
選挙前議席 | 155 | 72 | |
獲得議席 | 175 | 85 | 31 |
増減 | 20 | 13 | |
党順 | 第4党 | 第5党 | |
画像 | |||
党色 | |||
党名 | 帝国党 | 政友倶楽部 | |
党首 | 不明 | 不明 | |
前回選挙 | 17 | 新党 | |
選挙前議席 | 13 | ||
獲得議席 | 17 | 13 | |
増減 | 4 | ||
< 1902年1904年 > | |||
概説
編集選挙データ
編集内閣
編集解散日
編集公示日
編集投票日
編集改選数
編集- 376
選挙制度
編集- 大選挙区制(一部1人区制)
- 制限投票
- 直接国税10円以上納税の満25歳以上の男性
- 有権者 958,322
選挙結果
編集投票率
編集- 86.17%(前回比 2.22%)
党派別獲得議席
編集- 立憲政友会 175議席
- 憲政本党 85議席
- 総理=大隈重信
この選挙で当選
編集立憲政友会 憲政本党 帝国党 中正倶楽部 政友倶楽部 無所属
補欠当選等
編集立憲政友会 憲政本党 帝国党 中立
年 | 月日 | 選挙区 | 選出 | 新旧別 | 当選者 | 所属党派 | 欠員 | 所属党派 | 欠員事由 |
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1903 | 4.25 | 長崎県郡部 | 繰上補充 | 元 | 島津良知 | 立憲政友会 | 西村規矩 | 憲政本党 | 1903.3.30死去 |
6.5 | 福井県郡部 | 元 | 福島宜三 | 中立 | 伊藤淳 | 立憲政友会 | 1903.5.29死去 | ||
10.22 | 松江市 | 元 | 岡崎運兵衛 | 帝国党 | 高橋慶太郎 | 立憲政友会 | 1903.10.9選挙法第11条該当 | ||
10.25 | 岡山県郡部 | 更正決定 | 元 | 竹内正志 | 中立 | 坂本義夫 | 憲政本党 | 1903.10.9当選無効 | |
11.20 | 高知県郡部 | 繰上補充 | 元 | 山本幸彦 | 中立 | 片岡健吉 | 中立 | 1903.10.31死去 | |
出典:衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。 |
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 金田進編『鳥取県百傑伝』山陰評論社、1970年、174-175頁。
参考文献
編集- 衆議院事務局編『総選挙衆議院議員当選回数調 - 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。