福島弓子
福島 弓子(ふくしま ゆみこ、1965年12月10日[1][2] - )は、日本の元アナウンサー、実業家。IYI Corporation.取締役CFO[3][4]。身長163cm、血液型はO型[1]。
ふくしま ゆみこ 福島 弓子 | |
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MLBオールスターパレードにおけるイチローと福島(2009年) | |
プロフィール | |
本名 | 鈴木 弓子(旧姓:福島) |
出身地 | 日本 島根県松江市 |
生年月日 | 1965年12月10日(58歳) |
最終学歴 | 慶應義塾大学文学部 |
職歴 |
TBSアナウンサー IYI Corporation.取締役CFO |
活動期間 |
1989年 - 1999年 (TBS在籍期間) |
ジャンル | 報道・情報・バラエティ |
配偶者 | イチロー(1999年 - ) |
著名な家族 |
福島敦子(姉) 鈴木宣之(義父) 鈴木一泰(義兄) 鈴木来海(義姪) |
担当番組・活動 | |
その他 | ゲームソフト『スーパーパワーリーグ2』にて、声の出演(『TBSプロ野球情報』ニュースキャスター)。 |
姉は元CBC→NHKアナウンサーでフリーアナウンサーの福島敦子[2]。夫は元プロ野球選手のイチロー(本名:鈴木 一朗)。義姪はファッションモデルの鈴木来海。義父は実業家の鈴木宣之。
来歴・人物
編集島根県松江市出身[1][2]。松江市立朝日小学校に通い、島根県立松江南高等学校時代にはバレーボール部に所属。慶應義塾大学文学部卒業[1][2]後、1989年4月にTBSへアナウンサー第25期生として入社した(同期は小林豊、斎藤哲也、小笠原保子、原山理一郎)[7][8]。
入社後は、『三宅裕司のえびぞり巨匠天国』、『クイズランチ』などのバラエティ番組、『JNNニュース1130』のサブキャスターや『ザ・フレッシュ!』、『世界かれいどすこうぷ』などの報道・情報番組の司会などを務めた。スポーツ分野では、『JNNスポーツ&ニュース』や『JNNニュースの森』のスポーツコーナーに出演し、長野オリンピックの現地キャスターなどを歴任した。そのほかでは、番組宣伝や局主催のイベントを紹介する深夜番組『おしえてア・ゲ・ル』に出演したことがある。
コサキンとの関わり
編集1990年ごろから1998年まで、小堺一機と関根勤がパーソナリティを務めるTBSラジオの番組『コサキン』(番組タイトルは『コサキン快傑アドレナリン』→『コサキンDEワァオ!』)に、度々ゲストとして出演した。スタジオ収録、横浜(野毛山動物園、横浜中華街)での収録、数百人を集めた公開イベントや、さらには小堺の代行も務めた(1998年12月24日放送。小堺が南極地域観測隊に同行した経験を持つ父親とともに南極大陸へ取材に向かったため)。番組内では「ユミー」と呼ばれるなど、出演者・スタッフ・リスナーに親しまれ、関根は番組内で「福島姉妹の中では妹派だ」と宣言していた[9]。
イチローとの出逢い、結婚・引退
編集1995年の暮れから数回にわたってTBSラジオで放送された『イチローの気持ちはいつもフルスイング』[10]にて、福島はアシスタントを務めた。パーソナリティは当時オリックス・ブルーウェーブの選手だったイチローであり、この仕事がイチローとの交際のきっかけとなった[11]。以降、テレビでも対談したほか、TBSがインタビューを行うときは、イチローは必ず福島を指名するようになった。1997年の8月からは、取材する側とされる側の垣根を越えて個人的な交際が始まり[11]、1999年1月にイチローが福島にプロポーズした[11]。そして、同年3月にTBSを退社[7][8][12]。以後、メディアへの露出はない。
12月3日(現地時間)、福島とイチローはアメリカ・サンタモニカ近郊にあるチャペルで、16名の親族が立ち会う中、挙式を行った[13] 。帰国後の会見では、新郎・イチローは新婦・弓子について「話すリズムとか価値観とか同じ空間にいて心地よく感じた」と語れば、新婦も新郎について「信頼感のある方と思った」と返し、時折顔を見合わせながら記者の質問に答えていた。
以後、フリーアナウンサー転身等はせず、しばらくは専業主婦に徹する。その後、2005年にイチロー、弓子、飼い犬の一弓(いっきゅう)の3者のイニシャルの頭文字を取った資産管理会社「IYIコーポレーション」を設立し、不動産投資や[14]、シアトルでは美容サロン『エン サロン』(en salon[15])の経営に携わるなどしていた。サロンはイチローのヤンキース移籍後、別の日本人美容師に譲り、手放したという[15]。
結婚後はメディアに出ることがほとんど無くなったものの、MLBオールスターゲームの試合前パレードに参加する姿[16]やメジャーリーグ婦人会のボランティア活動やチャリティー活動に参加する姿[17]が度々報じられている。そのほか、イチローの食生活に関する記事[18][19]のなかで触れられることが多い。イチローによれば、夕食はイタリアン、フレンチ、日本食、中華を作るという[13]。 2012年シーズンのイチローを追ったドキュメンタリー番組『プロフェッショナル 仕事の流儀 イチロースペシャル2012』(12月29日放送)では、イチローが妻・弓子に精神的にも支えられていると語る場面が放送された。
イチローがマリナーズからヤンキースに移籍してからは、イチローや愛犬・一弓と共にニューヨークに在住。イチローのスプリングトレーニング期間中は、イチローや愛犬と共にキャンプ地に暮らしている[20]。イチローのマーリンズ移籍以降は、イチローや愛犬と共にマイアミに在住[21]。2016年8月には、イチローの3000安打達成をスタンドで見届けた[22]。
なお、長年イチロー本人への取材を続ける石田雄太によれば、前述の「不動産ビジネスを手掛けている」という事実は一切ないという[23]。その他、「マーリンズの選手たちの妻を集めて料理教室を開いた」、「野菜は契約農家から取り寄せている」というエピソードも事実ではないという[23][24]。
出演番組
編集ラジオ
編集- 好奇心の大統領(1989年)[7][8]
- サンデー・ニュース&スポーツ(1989年)[8]
- 時遊人倶楽部(1990年)[8]
- サンデースポーツ(1990年)[8]
- スポーツまるごと60分(1992年)[8]
- ヤンアナジョッキー(1992年)[8]
- バックグラウンド・ミュージック (TBSラジオ、1992年 - 1995年3月)[8]
- サンデーミュージックリゾート(1993年)[8]
- ひでたけ・ゆみこの AKASAKA ギャッピング[7](1993年[8])
- コサキン怪傑アドレナリン→コサキンDEワァオ! (TBSラジオ、1990年代)
- イチローの気持ちはいつもフルスイング[10](1995年12月2日 - 1996年3月23日、土曜18:00 - 19:00[10][25]。全6回放送[10])
テレビ
編集報道・情報番組
期間 | 番組名 | 役職 | |
---|---|---|---|
1990年 | JNNおはようニュース&スポーツ[8] | シフト勤務でのサブキャスター | |
1993年10月 | 1994年9月 | JNNニュース1130[8] | 木・金曜日メインキャスター |
JNNスポーツ&ニュース[8] | スポーツキャスター | ||
1994年10月 | 1995年6月 | ザ・フレッシュ![7][8][8] | キャスター |
1995年10月 | 1996年3月 | オンタイム[8] | 木・金曜日メインキャスター |
1996年4月 | 1999年3月 | JNNニュースの森 | 平日スポーツコーナー[2][2][8][2] |
バラエティ・ミニ番組・その他
- 三宅裕司のえびぞり巨匠天国
- 三宅裕司のぎゃっぷウォーズ(1992年10月 - 1993年3月)[8]
- クイズランチ(1992年)[7][8]
- 世界かれいどすこうぷ(1993年)[7][8]
- おしえてア・ゲ・ル(1993年)[8]
出演していたゲームソフト
編集- スーパーパワーリーグ2(ハドソン、1994年) - 『TBSプロ野球情報』(試合終了後の架空の番組)に、キャスターとして声の出演。
参考資料
編集- コサキンのひとみと悦子〜BURN THE BRIDGE BEHIND YOU〜(1992年、日音発行、シンコーミュージック発売)ISBN 4401613619
- コサキン新語辞典 ポヨヨ〜ン(1997年、興陽館発行。TBSラジオ編著)ISBN 4877231218
- コサキンことわざ辞典 モレッ(1999年、興陽館発行。TBSラジオ編著)ISBN 4877231293
- スポーツニッポン(東京本社管内発行版)1999年12月4日付
- 毎日新聞(東京本社管内発行版)1999年12月6日付
- TBS50年史(2002年1月、東京放送編・発行)…国立国会図書館の所蔵情報
- アナウンサーになる!(2005年、毎日新聞社発行。著:永井譲治)ISBN 4620317497
- 各種外部リンク
- 女性自身ニュースサイト2012年4月3日付
脚注
編集- ^ a b c d 外部リンク(TBSウェブサイト内に掲載されたプロフィール)を参照。
- ^ a b c d e f g 外部リンク(イチロー、7歳年上の福島弓子元アナと結婚)より、福島弓子のプロフィールを参照。
- ^ a b c IYI Corporation. 会社概要 - IYI Corporation. ウェブサイトより、SWFファイル。 ※当該リンク先は、いずれもインターネット・アーカイブ2012年8月7日付保存キャッシュ。
- ^ イチロー資産管理会社 5億円融資の沖縄リゾート開発に暗雲 - 『NEWSポストセブン』2012年8月20日16時(ソース:『週刊ポスト』2012年8月31日号)
- ^ 弓子夫人がコメント発表 快挙のイチロー支える - 47NEWS(共同通信社)2004年10月3日付より、「マリナーズ・イチロー外野手の妻、鈴木弓子さん」の記述あり。
- ^ 『アナウンサーになる!』において、「鈴木弓子」の名前で著者からのインタビューを受けている。プロフィールには旧姓として「福島」の名前も明記。
- ^ a b c d e f g 『TBS50年史』資料編P239を参照。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 『TBSアナウンサーの動き』より、福島の情報を参照。
- ^ 『コサキン新語辞典 ポヨヨ〜ン』46 - 49ページ、『コサキンことわざ辞典 モレッ』277ページより。
- ^ a b c d 『TBS50年史』P192に掲載された、ラジオ番組一覧表を参照。
- ^ a b c 外部リンク『イチロー、電撃結婚!挙式はゴルフ場で(野球)』を参照。
- ^ 外部リンク『【12月4日】1999年(平11) イチロー、電撃結婚!挙式はゴルフ場で(野球)』を参照。
- ^ a b Take five with ... Ichiro Suzuki - Seattle P-I (en:Seattle Post-Intelligencer)、イチローのインタビュー記事 2004年3月29日
- ^ イチロー夫人「100億円操る」スゴ腕実業家になっていた - 女性自身 2012年4月3日
- ^ a b イチロー公認 美容師の技 - - 中国新聞 2013年8月20日(オリジナルのアーカイブ。2013年10月31日13時40分23秒付キャッシュ)
- ^ All-Star Game Red Carpet Show - Zimbio (en:Livingly Media) 2007年7月10日
- ^ Mariners' wives collect donations for Red Cross - アメリカ赤十字社シアトル支部(Seattle Red Cross)公式Flickr 2011年4月8日
- ^ 弓子夫人内助の功 節制続けるイチローの食生活 - スポニチ 2011年9月30日
- ^ 『僕はこんなものを食べてきた。~アスリート最強の食卓~』 - Sports Graphic Number 770号掲載記事 2011年1月20日
- ^ For Yankees’ Suzuki, Spring Challenges Include Alligators - ニューヨーク・タイムズ(The New York Times)、イチローのインタビュー記事 2013年3月2日
- ^ “愛犬イッキュウ見てほっとした/イチロー一問一答”. 日刊スポーツ. (2016年8月9日) 2016年8月9日閲覧。
- ^ “イチロー快挙 妻弓子さんもスタンドで見届ける”. 日刊スポーツ. (2016年8月9日) 2016年8月9日閲覧。
- ^ a b “イチローが否定する「あれは涙ではなく、汗」。そして弓子夫人にまつわる報道の“ウソ””. 週プレNews. (2016年8月31日) 2016年9月1日閲覧。
- ^ “日々、正確なルーティンを刻むイチローを支える、弓子夫人への“想いの変化”とは”. 週プレNews. (2016年9月1日) 2016年9月1日閲覧。
- ^ 『TBS50年史』DVD-ROM『ハイブリッド検索編』に収録された、ラジオ番組のリストを参照。
関連項目
編集外部リンク
編集- 1998年当時TBSウェブサイト内に掲載されたプロフィール - インターネットアーカイブ1998年1月13日付保存キャッシュ
- 1999年当時TBSウェブサイト内に掲載されたプロフィール(退社後) - インターネット・アーカイブ1999年10月12日付保存キャッシュ
- イチロー、7歳年上の福島弓子元アナと結婚 - 『ZAKZAK』1999年12月3日付(インターネット・アーカイブ2000年11月2日付保存キャッシュ)[1]
- ^ 記事の配信日付は、1999年12月分スポーツニュースバックナンバー(インターネット・アーカイブ2000年3月4日付保存キャッシュ)を参照。