MLBオールスターゲーム

毎年7月にアメリカで行われる、MLBを構成する2リーグの選抜選手による対抗試合

MLBオールスターゲーム(MLB All-Star Game)は、メジャーリーグベースボール(MLB)を構成する2リーグ(ナショナルリーグアメリカンリーグ)の選抜チーム同士による対抗試合。毎年7月に行われ、ファンによる投票や監督推薦などで選抜された選手が一晩限りのドリームチームを結成する。ミッドサマー・クラシック(Midsummer Classic、“真夏の祭典”)とも呼ばれる。

歴史

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第1回のMLBオールスターゲームが開催されたのは1933年7月6日である。この試合は、同年に開催されたシカゴ万国博覧会の記念行事として行われた。実現には、イリノイ州シカゴの地元紙『シカゴ・トリビューン』のスポーツ担当編集者であったアーチ・ウォードの尽力があった。当時はゲーム・オブ・ザ・センチュリー(世紀の試合)と呼ばれていた[1]

ウォードがオールスターゲームの実現に向けて動くようになったきっかけとしてよく語られている逸話が、野球ファンの少年から「ベーブ・ルースカール・ハッベルの対決が見たい」という趣旨の投書があった、というものである。当時ルースはニューヨーク・ヤンキースの主砲であり、ハッベルはニューヨーク・ジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)のエースであった。ヤンキースとジャイアンツはそれぞれニューヨーク州ニューヨークに本拠地を置いていたが所属リーグが違うため、両チームが同じ年に揃ってワールドシリーズ進出を果たさないと、ルースとハッベルの対決は観ることができない。この対決を実現できないか、という少年の訴えに共鳴したウォードが、球界関係者たちに働きかけ、ナ・ア両リーグのスター選手が一堂に会する「夢のゲーム」を実現させた、という。しかし野球殿堂が所蔵するウォード関連の資料には、前述の少年が登場するものがひとつとして存在しておらず、そのためこのエピソードも事実であるかどうかは疑わしい[2]

1933年、この第1回オールスターの開催地として選ばれたのが、シカゴのコミスキー・パークであった。5万人近い大観衆を集めて行われた試合ではルースが大活躍。3回裏に大会第1号の本塁打を放つなど、ア・リーグの4 – 2の勝利に貢献した。もちろん一方の雄であるハッベルも、ナ・リーグの一員としてこの試合に出場した。また他にもルー・ゲーリッグレフティ・ゴメス(ともにヤンキース)、ビル・テリー(ジャイアンツ)など球史に名を残す選手達が顔を揃えている。

その後は持ち回りでの開催となったが、1945年は戦争のため中止、また1959年から1962年までは選手の年金基金費用を増やすために2試合開催となったが、不評だったため1試合に戻された。開催日は大半が7月の火曜日であり、その中でも第2、第3火曜日が多い[1]。その前日の月曜日には同じ球場で「本塁打競争」(オールスター出場選手の中からさらに選抜された選手により、本塁打の本数を争うトーナメント戦)が行われる。

1年1都市のみでの開催、しかも現在ではMLB所属チームが30チームもあるため単純計算でも30年に1度しか開催されないイベントであり、開催都市では地域を挙げての盛り上がりを見せる。ただし1都市に複数の球団を持つ大都市(NY:ヤンキースとメッツ、シカゴ:カブスとホワイトソックスなど)の場合は計算上30年しないうちに開催権利が周ってくる上に、新球場が建設されたなどの要因が生じた場合は基本的にはそちらが優先される事になる(これは日本のオールスターゲームでも同様)。

2020年、新型コロナウイルスの影響で1945年以来で75年ぶり2度目の開催中止となった。なお、日本プロ野球も中止が決定しており、日米両者では初めての開催中止となった。

2021年、MLBはジョージア州で成立した、マイノリティ差別的と言われる「選挙法」の改正に抗議し、開催地は、当初開催予定だったジョージア州アトランタから、コロラド州デンバーに変更になった。

開催概要

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MLBオールスターゲームの現在の開催概要・試合結果は次のとおりである。

選出方法

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  • インターネット(PC、タブレット、スマートフォン)から投票する。
  • ファン投票選出は投手を除く各ポジションにつき1位選手ずつ(ただし外野手は3位まで)。
  • 後日発表の投手を含む関係者の投票と監督推薦(前年度リーグ優勝監督が担当[3])を併せて両チーム33名ずつ(計66名)がメンバーとして登録される。
  • 5人の候補の中から「34人目の選手」を選ぶファン投票(インターネット投票)を行い、両チーム34名ずつ(計68名)がメンバーとして登録される。
  • 上記登録時あるいは登録後に故障者リスト入りした選手とオールスターゲーム前の最終戦に先発した投手の代わりに選手が補充される[4]

試合方式

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  • 1989年から2009年まではア・リーグ球団の本拠地球場で開催時は指名打者制、ナ・リーグ球団の本拠地球場で開催時は投手も打席に立つ。2010年からはア・リーグ、ナ・リーグの球場を問わず指名打者制を採用。
  • 9イニングで決着がつかない場合は延長戦を原則として決着がつくまで行う[5]
  • 投手は3イニングを超えて登板することはできない[6]

2002年の試合は延長11回の末引き分けとなった。これは控え選手がほぼいなくなったことなどからコミッショナーが裁定を下し引き分けになったといわれる。

ワールドシリーズのホームアドバンテージ特典

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2003年から2016年までこの試合で勝ったリーグに所属するチームは、ワールドシリーズのホームゲームアドバンテージ(第1・2・6・7試合を本拠地球場で開催する権利)を獲得することになった。敗戦リーグの所属チームは第3・4・5試合を本拠地球場で開催する。例えばある年にア・リーグが勝って、その年のワールドシリーズにア・リーグからニューヨーク・ヤンキース、ナ・リーグからニューヨーク・メッツが出場した場合、第1・2・6・7戦はヤンキー・スタジアムで、第3・4・5戦はシティ・フィールドで実施される。なおこの特典が付与されるようになった2003年から2016年まで、ワールドシリーズを制したチームは14回中9回がこのホームゲームアドバンテージを得たリーグの代表である。

これまでの試合結果

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開催日 勝利チーム スコア 敗戦チーム 開催球場 MVP
1 1933年7月6日 アメリカン 4 – 2 ナショナル コミスキー・パーク ---
2 1934年7月10日 9 – 7 ポロ・グラウンズ
3 1935年7月8日 4 – 1 ミュニシパル・スタジアム
4 1936年7月7日 ナショナル 4 – 3 アメリカン ブレーブス・フィールド
5 1937年7月7日 アメリカン 8 – 3 ナショナル グリフィス・スタジアム
6 1938年7月6日 ナショナル 4 – 1 アメリカン クロスリー・フィールド
7 1939年7月11日 アメリカン 3 – 1 ナショナル ヤンキー・スタジアム
8 1940年7月9日 ナショナル 4 – 0 アメリカン スポーツマンズ・パーク
9 1941年7月8日 アメリカン 7 – 5 ナショナル ブリッグス・スタジアム
10 1942年7月7日 3 – 1 ポロ・グラウンズ
11 1943年7月13日 5 – 3 シャイブ・パーク
12 1944年7月11日 ナショナル 7 – 1 アメリカン フォーブス・フィールド
- 1945年7月10日 第二次世界大戦の影響により開催中止
13 1946年7月9日 アメリカン 12 – 0 ナショナル フェンウェイ・パーク ---
14 1947年7月8日 2 – 1 リグレー・フィールド
15 1948年7月13日 5 – 2 スポーツマンズ・パーク
16 1949年7月12日 11 – 7 エベッツ・フィールド
17 1950年7月11日 ナショナル 4 – 3 アメリカン コミスキー・パーク
18 1951年7月10日 8 – 3 ブリッグス・スタジアム
19 1952年7月8日 3 – 2 シャイブ・パーク
20 1953年7月14日 5 – 1 クロスリー・フィールド
21 1954年7月13日 アメリカン 11 – 9 ナショナル ミュニシパル・スタジアム
22 1955年7月12日 ナショナル 6 – 5 アメリカン ミルウォーキー・カウンティ・スタジアム
23 1956年7月10日 7 – 3 グリフィス・スタジアム
24 1957年7月9日 アメリカン 6 – 5 ナショナル スポーツマンズ・パーク
25 1958年7月8日 4 – 3 メモリアル・スタジアム
26 1959年7月7日 ナショナル 5 – 4 アメリカン フォーブス・フィールド
27 1959年8月3日 アメリカン 5 – 3 ナショナル LAメモリアル・コロシアム
28 1960年7月11日 ナショナル アメリカン ミュニシパル・スタジアム
29 1960年7月13日 6 – 0 ヤンキー・スタジアム
30 1961年7月11日 5 – 4 キャンドルスティック・パーク
31 1961年7月31日 (引き分け) 1 – 1 (引き分け) フェンウェイ・パーク
32 1962年7月10日 ナショナル 3 – 1 アメリカン DCスタジアム   モーリー・ウィルス
33 1962年7月30日 アメリカン 9 – 4 ナショナル リグレー・フィールド  レオン・ワグナー
34 1963年7月9日 ナショナル 5 – 3 アメリカン ミュニシパル・スタジアム   ウィリー・メイズ
35 1964年7月7日 7 – 4 シェイ・スタジアム   ジョニー・カリソン
36 1965年7月13日 6 – 5 メトロポリタン・スタジアム   フアン・マリシャル
37 1966年7月12日 2 – 1 ブッシュ・スタジアム   ブルックス・ロビンソン
38 1967年7月11日 アナハイム・スタジアム   トニー・ペレス
39 1968年7月9日 1 – 0 アストロドーム   ウィリー・メイズ
40 1969年7月22日 9 – 3 RFKスタジアム   ウィリー・マッコビー
41 1970年7月14日 5 – 4 リバーフロント・スタジアム   カール・ヤストレムスキー
42 1971年7月13日 アメリカン 6 – 4 ナショナル タイガー・スタジアム   フランク・ロビンソン
43 1972年7月25日 ナショナル 6 – 5 アメリカン フルトン・カウンティ・スタジアム   ジョー・モーガン
44 1973年7月24日 7 – 1 ロイヤルズ・スタジアム   ボビー・ボンズ
45 1974年7月23日 7 – 2 スリー・リバース・スタジアム   スティーブ・ガービー
46 1975年7月15日 6 – 3 ミルウォーキー・カウンティ・スタジアム   ジョン・マトラック
  ビル・マドロック
47 1976年7月13日 7 – 1 ベテランズ・スタジアム   ジョージ・フォスター
48 1977年7月19日 7 – 5 ヤンキー・スタジアム   ドン・サットン
49 1978年7月11日 7 – 3 サンディエゴ・スタジアム   スティーブ・ガービー
50 1979年7月17日 7 – 6 キングドーム   デーブ・パーカー
51 1980年7月8日 4 – 2 ドジャー・スタジアム   ケン・グリフィー・シニア
52 1981年8月9日 5 – 4 ミュニシパル・スタジアム   ゲイリー・カーター
53 1982年7月13日 4 – 1 オリンピック・スタジアム   デーブ・コンセプシオン
54 1983年7月6日 アメリカン 13 – 3 ナショナル コミスキー・パーク   フレッド・リン
55 1984年7月10日 ナショナル 3 – 1 アメリカン キャンドルスティック・パーク   ゲイリー・カーター
56 1985年7月16日 6 – 1 メトロドーム   ラマー・ホイト
57 1986年7月15日 アメリカン 3 – 2 ナショナル アストロドーム   ロジャー・クレメンス
58 1987年7月14日 ナショナル 2 – 0 アメリカン アラメダ・カウンティ・コロシアム   ティム・レインズ
59 1988年7月12日 アメリカン 2 – 1 ナショナル リバーフロント・スタジアム   テリー・スタインバック
60 1989年7月11日 5 – 3 アナハイム・スタジアム   ボー・ジャクソン
61 1990年7月10日 2 – 0 リグレー・フィールド   フリオ・フランコ
62 1991年7月9日 4 – 2 スカイドーム   カル・リプケン・ジュニア
63 1992年7月14日 13 – 6 ジャック・マーフィー・スタジアム   ケン・グリフィー・ジュニア
64 1993年7月13日 9 – 3 カムデン・ヤーズ   カービー・パケット
65 1994年7月12日 ナショナル 8 – 7 アメリカン スリー・リバース・スタジアム   フレッド・マグリフ
66 1995年7月11日 3 – 2 ザ・ボールパーク・イン・アーリントン   ジェフ・コーナイン
67 1996年7月9日 6 – 0 ベテランズ・スタジアム   マイク・ピアッツァ
68 1997年7月8日 アメリカン 3 – 1 ナショナル ジェイコブス・フィールド   サンディー・アロマー・ジュニア
69 1998年7月7日 13 – 8 クアーズ・フィールド   ロベルト・アロマー
70 1999年7月13日 4 – 1 フェンウェイ・パーク   ペドロ・マルティネス
71 2000年7月11日 6 – 3 ターナー・フィールド   デレク・ジーター
72 2001年7月10日 4 – 1 セーフコ・フィールド   カル・リプケン・ジュニア
73 2002年7月9日 (引き分け) 7 – 7 (引き分け) ミラー・パーク
74 2003年7月15日 アメリカン 7 – 6 ナショナル USセルラー・フィールド   ギャレット・アンダーソン
75 2004年7月13日 9 – 4 ミニッツメイド・パーク   アルフォンソ・ソリアーノ
76 2005年7月12日 7 – 5 コメリカ・パーク   ミゲル・テハダ
77 2006年7月11日 3 – 2 PNCパーク   マイケル・ヤング
78 2007年7月10日 5 – 4 AT&Tパーク   イチロー
79 2008年7月15日 4 – 3 ヤンキー・スタジアム   J.D.ドリュー
80 2009年7月14日 ブッシュ・スタジアム   カール・クロフォード
81 2010年7月13日 ナショナル 3 – 1 アメリカン エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム   ブライアン・マッキャン
82 2011年7月12日 5 – 1 チェイス・フィールド   プリンス・フィルダー
83 2012年7月10日 8 – 0 カウフマン・スタジアム   メルキー・カブレラ
84 2013年7月16日 アメリカン 3 – 0 ナショナル シティ・フィールド   マリアーノ・リベラ
85 2014年7月15日 5 – 3 ターゲット・フィールド   マイク・トラウト
86 2015年7月14日 6 – 3 グレート・アメリカン・ボール・パーク   マイク・トラウト
87 2016年7月12日 4 – 2 ペトコ・パーク   エリック・ホズマー
88 2017年7月11日 2 - 1 マーリンズ・パーク   ロビンソン・カノ
89 2018年7月17日 8 - 6 ナショナルズ・パーク   アレックス・ブレグマン
90 2019年7月9日 4 - 3 プログレッシブ・フィールド   シェーン・ビーバー
- 2020年7月14日 新型コロナウイルスの影響により、開催中止[7]
91 2021年7月13日 アメリカン 5 - 2 ナショナル クアーズ・フィールド   ブラディミール・ゲレーロ・ジュニア
92 2022年7月19日 3 - 2 ドジャー・スタジアム   ジャンカルロ・スタントン
93 2023年7月11日 ナショナル 3 - 2 アメリカン T-モバイル・パーク   エリアス・ディアス
94 2024年7月16日 アメリカン 5 - 3 ナショナル グローブライフ・フィールド  ジャレン・デュラン
95 2025年 トゥルーイスト・パーク
96 2026年7月14日 シチズンズ・バンク・パーク

アメリカン・リーグ:48勝、ナショナル・リーグ:44勝、2引分(2024年終了時点)

諸記録

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※数字は2007年終了時点のもの

打撃部門

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試合数
打席・打数
得点
安打
  • 通算最多はウィリー・メイズの23安打。
  • 1試合では4本が最多(ジョー・メドウィック、テッド・ウィリアムズ、カール・ヤストレムスキー)。
二塁打
三塁打
本塁打
  • 通算最多はスタン・ミュージアルの6本。
  • 1試合最多は2本。5人が記録している(アーキー・ヴォーン、テッド・ウィリアムズ、アル・ローゼン、ウィリー・マッコビー、ゲーリー・カーター)。
  • ランニング本塁打は2007年にイチローが初めて記録した。
  • 満塁本塁打は1983年にフレッド・リンが初めて記録した(現在でも史上唯一)。
打点
  • 通算最多はテッド・ウィリアムズの12打点。
  • 1試合最多は5打点(テッド・ウィリアムズ、アル・ローゼン)。
三振
盗塁
  • 通算最多はウィリー・メイズの6盗塁。1試合最多は2盗塁。
  • 本塁盗塁は1934年のパイ・トレイナーが唯一の記録である。

投手部門

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登板試合数
投球回
勝利数
  • 通算最多はレフティ・ゴメスの3勝。
セーブ
奪三振
被安打
与四球
防御率

MLB本塁打競争

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本塁打競争はオールスターゲームの関連イベントとして1985年から行われるようになった。出場選手は基本的にオールスター出場選手の中から選ばれるが、辞退者などがある場合この限りではない。また、2005年には翌年ワールド・ベースボール・クラシック

開催を睨んで、同大会出場国の国別対抗戦として行われた。

現在のルール

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オールスター出場選手の中からさらに8人を選抜して、本塁打の本数の合計を3ラウンドで競う。まず第1ラウンドを行い(対戦相手はシードの合計数が9になる様に設定されている。)、本数上位4選手が第2ラウンドへ進む。第2ラウンドでは前ラウンドとの合計本数を争い、上位2名が決勝戦に進む。決勝戦はそれまでのラウンドでの本数は関係なく、決勝戦の本数だけで争う。

1回戦と準決勝は3分、決勝戦は2分(以前は4分だったが出場選手の体力を考えた上で短縮された)で球数無制限で本塁打数を争う。途中1回45秒間のタイムアウトが可能。決勝では1回30秒のタイムアウトが追加される。飛距離440ft(約134m)以上のホームランを2本以上打つと30秒間のボーナスタイムが得られる。本塁打数が同数となった場合は、延長戦として1分間のタイブレークが追加される。タイブレーク中のタイムの追加や停止はない。これでも決着しない場合には再延長として3スイングマッチで決着がつくまで行われる。

フューチャーズゲーム

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オールスターゲームの前々日に同じ球場で行うマイナーリーグ版オールスターゲーム。1999年に開始された。出場選手はマイナーリーグから選抜され、アメリカンリーグ選抜とナショナルリーグ選抜(2018年までは「アメリカ合衆国出身選手選抜」と「世界選抜」の出身別に分けられた)の2チームに分かれて対戦する。

脚注

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  1. ^ a b Natsuki Une (2014年7月4日). “オールスターゲームの歴史”. GYAO!. 2014年7月4日閲覧。
  2. ^ 出野哲也 「歴史が動いた日――1933年7月6日 夢のオールスターが初開催」 『月刊スラッガー』2005年8月号、日本スポーツ企画出版社、2005年、雑誌15509-8、88-90頁。
  3. ^ 1995年は前年のポストシーズンがストライキで中止されたため、1994年度の最高勝率チーム監督が担当した。
  4. ^ オールスターゲームと前半戦最終戦の間隔は中1日になるため、前半戦最終戦に先発登板した投手については出場を辞退するか登板しても1イニングのみに制限される。出場を辞退してもベンチ入りすることは可能である。
  5. ^ ただし、2002年は選手を使い切ってしまう状態になり11回で試合が打ち切られた。
  6. ^ 前半最終戦に先発した投手は出場しても1イニングに制限される。
  7. ^ 大リーグ 75年ぶり球宴中止を正式発表

外部リンク

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