清水徳太郎
清水 徳太郎(しみず とくたろう、1882年(明治15年)2月8日[1] - 1963年(昭和38年)11月28日)は、日本の鉄道・内務官僚、政治家。官選和歌山県知事、衆議院議員。
清水徳太郎 しみず とくたろう | |
---|---|
| |
生年月日 | 1882年2月8日 |
出生地 |
日本 富山県下新川郡大家庄村 (現・朝日町) |
没年月日 | 1963年11月28日(81歳没) |
出身校 |
東京帝国大学大学院 東京帝国大学法科大学政治学科卒業 |
前職 | 内務省 |
所属政党 |
(立憲民政党→) (衆議院議員倶楽部→) 日本民主党 |
選挙区 | 山形県第2選挙区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1928年 - 1941年4月2日 |
官選 第21代 和歌山県知事 | |
在任期間 | 1927年3月22日 - 1927年5月17日 |
経歴
編集富山県下新川郡大家庄村(現朝日町)出身[2][3]。清水源次郎の三男として生まれる。第四高等学校を経て、1909年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、さらに同大学院で学ぶ。1910年11月、文官高等試験行政科試験に合格し、鉄道院書記となる。以後、鉄道院副参事、同参事を歴任。
その後、内務省に転じ山形県西置賜郡長に就任。以後、栃木県理事官、奈良県警察部長、宮崎県警察部長、山形県警察部長、山形県書記官・警察部長、同県書記官・内務部長などを歴任。1927年3月、和歌山県知事に就任するが、同年5月17日に休職となり[4]、その後に退官。
1928年2月の第16回衆議院議員総選挙に山形県第2区から立憲民政党候補として出馬し当選。以後、第20回総選挙まで連続5期当選した。しかし、衆議院議員選挙法違反により1941年4月2日に大審院で有罪が確定し議員の資格を消失した[5]。
著作
編集- 『最近欧米各国事情 - 欧米遍歴』三省堂、1933年。
脚注
編集参考文献
編集- 庄内人名辞典刊行会 編『新編庄内人名辞典』庄内人名辞典刊行会、1986年。
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。