波号第二百六潜水艦[注釈 2](はごうだいにひゃくろくせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦波二百一型潜水艦の6番艦。太平洋戦争後2回沈没し、最後は調査のうえ解体された。

波号第二百六潜水艦
基本情報
建造所 川崎重工業泉州工場
運用者  大日本帝国海軍
艦種 潜水艦
級名 波二百一型潜水艦
艦歴
計画 マル戦計画
起工 1945年3月19日
進水 1945年7月10日
最期 1945年8月17日工程90%で工事中止[注釈 1]
その後 1945年8月25日遭難沈没
1946年5月6日海没処分
1952年頃浮揚 調査後解体
要目(計画時)
基準排水量 325トン
水中排水量 440トン
全長 53.00m
水線長 44.70m
垂線間長 50.00m
3.70m
吃水 平均3.44m
機関 海軍型中速四〇〇馬力内火機械1基
蓄電池 一号三十三型甲120個
主電動機 特E型改一直流電動機 1,250馬力 1基
巡航用電動機 直流電動機 32馬力 1基
推進 1軸
出力 水上 400bhp
水中 1,250shp
速力 水上 10.5ノット
水中 13.0ノット
燃料 重油25.2トン
航続距離 水上 3,000カイリ/10ノット
水中 50カイリ/2ノット
潜航深度 100m
乗員 定員25名
特修兵教員最大21名
兵装 7.7mm機銃 単装1基
九五式潜水艦発射管三型2門(艦首)
九五式二型魚雷4本
レーダー 13号電探1基
ソナー 水中聴音装置1組
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艦歴

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マル戦計画の潜水艦小、第4911号艦型の6番艦、仮称艦名第4916号艦として計画。1945年3月19日、川崎重工業泉州工場で起工。

5月1日、波号第二百六潜水艦と命名されて波二百一型潜水艦の6番艦に定められ、本籍を舞鶴鎮守府と仮定。

7月6日、艤装員事務所を泉南郡多奈川町楠第二工場内に設置し事務を開始。10日、進水。

終戦時未成。8月17日、工事中止が発令され工程90%で工事中止[注釈 1]。25日、台風に遭遇し川崎重工業泉州工場岸壁で沈没。

1946年4月頃浮揚。5月6日、紀伊水道アメリカ海軍により海没処分された。

1952年頃、調査のため浮揚されて川崎重工業神戸工場へ送られ、調査研究の終了後に解体された。

艤装員長

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  1. 蔭山弘 大尉:1945年7月8日 - 1945年8月15日

脚注

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注釈
  1. ^ a b 進捗率は大阪警備府と近畿海軍監督部が昭和20年8月31日付で調製した各目録による。福井静夫『昭和軍艦概史III』p. 65では98%としているが、同書p. 66には「ごく大体のもの」と注意書きが添えられている。
  2. ^ 本来の艦名表記は波號第二百六潛水艦。
脚注

参考文献

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  • 海軍省
    • 昭和20年3月15日付 内令員第519号。
    • 昭和20年5月1日付 達第88号、内令第367号、内令第373号、内令員第875号。
    • 昭和20年8月7日付 秘海軍公報 第5092号。
    • 昭和20年7月16日付 秘海軍辞令公報 甲 第1858号。
    • 昭和20年9月25日付 海軍辞令公報 甲 第1927号。
    • 昭和20年8月31日付 大阪警備府『大阪警備府管下艦艇(未成艦ヲ含ム)目録』。
    • 昭和20年8月31日付 大阪警備府『大阪警備府管下艦艇船体兵器機関艤装品目録』。
    • 昭和20年8月31日付 近畿海軍監督部『大阪方面所在艤装艦艇船体兵器機関艤装品目録』。
  • 世界の艦船 No. 469 増刊第37集 『日本潜水艦史』、海人社、1993年。
  • 世界の艦船 No. 791 増刊第114集 『日本潜水艦史』、海人社、2013年。
  • 日本造船工業会 『S-61 波號第二〇一潜水艦型 一般計画要領書』。
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 丸スペシャル No. 43 日本海軍艦艇シリーズ『日本の潜水艦III』、潮書房、1980年。
  • 丸スペシャル No. 132 日本海軍艦艇発達史『日本の潜水艦I』、潮書房、1988年。
  • 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。