尾崎盛義
尾崎 盛義(おざき もりよし、1890年(明治23年)11月29日[1] - 1946年(昭和26年)1月10日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
尾崎 盛義 | |
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生誕 |
1890年11月29日 日本 愛媛県 |
死没 | 1946年1月10日(55歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1912年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1890年(明治23年)に愛媛県で生まれた[1]。陸軍士官学校第24期卒業[1]。1939年(昭和14年)3月9日、陸軍工兵大佐進級と同時に第3通信隊長に着任した[2]。1940年(昭和15年)3月9日に電信第13連隊長に転じ[2]、12月1日には電信第7連隊長(関東軍・第5軍[3][4])に就任した[2]。
1945年(昭和20年)6月1日に第3通信隊司令官(第2総軍・第16方面軍)に就任し[1]、6月10日に陸軍少将に進級[2]。終戦時は佐賀に位置した[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。