南海6200系電車(なんかい6200けいでんしゃ)は、南海電気鉄道高野線で運用されている一般車両(通勤形電車)の一系列。1974年(昭和49年)より製造された。

南海6200系電車
南海6200系
(2023年10月29日 三国ヶ丘駅 - 百舌鳥八幡駅間)
基本情報
運用者 南海電気鉄道
製造所 東急車輛製造
製造年 1974年 - 1985年
製造数 52両
主要諸元
編成 4・6両編成
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500 V
架空電車線方式
最高運転速度 100 km/h
設計最高速度 110 km/h[1]
130 km/h(VVVF更新車)[2]
起動加速度 2.5 km/h/s[1][2][注 1]
減速度 4.0 km/h/s[1]
全長 20,825 mm(先頭車)
20,725 mm(中間車)
全幅 2,740 mm
全高 4,160 mm
車体 ステンレス鋼
台車 S形ミンデン式ダイレクトマウント空気ばね台車
FS-392/392B・FS-092
(FS-392Bは6521F)[4]
主電動機 直流直巻電動機
MB-3072-B
かご形三相誘導電動機
TDK6313-A(VVVF更新車)[2]
主電動機出力 145 kW(375 V時)
200 kW(VVVF更新車)[2]
駆動方式 WNドライブ
歯車比 5.31(85:16)
編成出力 2,320 kW(6両編成)
1,160 kW(4両編成・抵抗制御車)
1,600 kW(4両編成・VVVF更新車)
制御方式 抵抗制御
IGBT素子VVVFインバータ制御(VVVF更新車)[5]
制御装置 日立製作所
MMC-HTB-20N4(制御回路改造後)[6]
VMC-HTB-20J(6521F)[4]
VFI-HR1420U(VVVF更新車)[4]
制動装置 発電ブレーキ併用
電磁直通ブレーキHSC-D
応荷重装置付)
回生ブレーキ併用
電磁直通ブレーキHSC-R(応荷重装置・遅れ込め制御付)
全電気ブレーキ(VVVF更新車)[4][7][8]
保安装置 南海型ATS
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本項では、当形式をベースに電機子チョッパ制御の試作車として登場し、後に本系列へ編入された8000系電車 (初代) についても記載する。なお、本系列の一派である6200系50番台については、南海8200系電車の項で記述する。

以下では、難波方先頭車の車両番号 +F(Formation=編成の略)を編成名として表記する。

概要

高野線の難波駅 - 三日市町駅間に投入された、20m級4扉オールステンレス車体の一般車両である。現在は運用範囲が拡大され、難波駅 - 橋本駅間で運転されている。

高野線では「大運転」と称する平坦区間と山岳区間の通し運転に対応した、15m級2扉車体の561形1251形、17m級2扉車体の21001系・21201系が使用されていたが、1960年代から平坦区間(難波駅 - 三日市町駅間)の沿線開発が進んだことで通勤客が増加し、これらの大運転向け車両では輸送力が不足していた。このため平坦区間には1962年以降、南海本線と同様の山岳区間向け装備を省いた20m級4扉車体の通勤形電車として6000系6100系を投入してきた。

前述の15m級旧型車両は1973年の昇圧を機に高野線から全車引退したが、1971年には大阪府都市開発(現:泉北高速鉄道泉北高速鉄道線が開業して利用客が急増していたこともあり、通勤客の大量輸送に適した20m級車両のさらなる増備が必要となっていた。こうした背景の下、昇圧効果を活かして長編成に最適な機器構成への見直しを図るとともに、車体構造にも変更を加えて製作コストを低減、経済性を向上させたのが本形式である。

本形式をベースにした車両に大阪府都市開発3000系がある。

車両概説

車体は6000系以来のオールステンレス構造で、軽量化が図られている。6000系・6100系はそれぞれ7000系7100系をそのままステンレス車体にしたような丸みのある前面形状であったが、本系列では新たに三面切妻構造を採用して直線的なデザインとした。前面貫通扉上部に方向幕を設置し、前照灯は運転台・車掌台の下部に移動したため、以前の車両からは顔つきが大きく変化したものとなった。また、外板のコルゲーションの断面形状を従来の凸形から薄く幅広なM形に変更することで、車体側面においても6000系・6100系より近代感を持たせている。

中間車の全長は6000系・6100系と同じであるが、先頭車は中間車より100mm長くすることで乗務員室を拡大している。また将来の速度向上に備えるため、床面高さを従来より30mm低くして低重心化を図っている。客室は6100系と同様の座席配置だが、車体構造の変更により平天井化されている。化粧板は従来の木目調が廃され、方向性のないランダム模様が採用された。

制御方式は抵抗制御を踏襲するが、従来の超多段式バーニア制御から一般的な多段制御(日立製作所製MMC-HTB-20N形)に変更されている。6000系・6100系が制御装置1基で4台の主電動機を制御する1C4M方式(昇圧後は永久直列)であったのに対し、本形式では同8台を制御する1C8M方式(1500V電化での直並列制御が可能)が採用され、昇圧効果を活かした機器の集約化が図られている。このため編成は従来のMc - TまたはMc - Tcの2両ユニット構成を見直し、奇数番号(M1)- 偶数番号(M2)で1組となる電動車ユニットを1組または2組、制御車で挟み込むという最低4両単位での構成となった。主抵抗器は将来の三日市町駅以南の連続勾配区間への乗り入れを考慮して、抑速ブレーキの連続使用に対応した大容量のものを採用し、これを他の機器類と干渉しない範囲で電動車ユニット東側全長をほぼ使い切るように搭載する。

電動発電機(MG)・空気圧縮機の補器類についても電動車ユニットごとに1機搭載へと集約し、容量も4両分に倍増させた改良型に変更している。

台車は、パイオニア台車を装備した6000系・6100系と異なり、S形ミンデン台車住友金属工業製FS-392形(付随台車はFS-092形)が採用された。

冷房装置も、6100系の分散式8基搭載を見直し、集約分散式三菱電機製CU-191形(冷房能力10,500kcal/h (12.20kW) )を4基搭載する。

8000系 (初代)

南海8000系電車 (初代)
 
8000系 (初代) 8501
(現:6200系 6521)
基本情報
製造年 1975年,1977年
製造数 6両
消滅 2001年(6200系6521Fに改番)
主要諸元
設計最高速度 110 km/h
起動加速度 2.65 km/h/s(乗車率165%まで)
減速度 4.00 km/h/s(常用空気最大・乗車率200%まで)
(常用回生最大は乗車率200%まで3.70 km/h/s)
台車 S形ミンデン式ダイレクトマウント空気ばね台車
FS-392A・FS-092
主電動機 直流直巻電動機
MB-3198-A
主電動機出力 155 kW
駆動方式 WNドライブ
歯車比 5.31(85:16)
編成出力 2,480 kW
制御方式 電機子チョッパ制御
制御装置 三菱電機CAFM-218-15RH
制動装置 回生ブレーキ併用
電磁直通ブレーキHSC-R
応荷重装置付)
備考 6200系と共通する点は省略
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第1次オイルショック後の省エネルギー意識の高まりを受けて、1975年に難波駅 - 三日市町駅間向けに1編成のみ製作された電機子チョッパ制御試作車である。

チョッパ装置にはサイリスタ素子を使用した自動可変界磁(AVF)式の三菱電機製CAFM-218-15RH形を採用し、従前の主抵抗器による発電ブレーキを廃止するとともに、高速域からの回生ブレーキ(抑速ブレーキ時含む)を可能とした。主電動機は駆動装置の薄型化を受け、狭軌では当時最大級の出力155kW直流直巻電動機を装備した。このため起動加速度を2.65km/h/sとやや高めに設定している。ブレーキ装置は6200系の電磁直通ブレーキHSC-D形をベースに、回生ブレーキ併用時の電空演算機構を追加したHSC-R形である。

車体やその他の機器類については、6200系をそのまま踏襲している。このため一見しただけでは6200系と区別がつかないが、電気連結器が無いことや、ブレーキ緩解時の排気音が独特のものであることが識別点となっていた[9]

本形式の営業運転では回生率が30 - 32%と高い省エネルギー効果を示したが、新製コストが高いこと、保安上の理由から運用範囲の拡大に対応できないこと(後述)、誘導障害の程度が大きいことから量産には至らなかった[10]。量産型の回生ブレーキ車は界磁チョッパ制御を採用し、回生失効時の発電ブレーキ切替機能により保安度を充実させた新形式8200系となった。

車種構成と変遷

登場時、両系列はそれぞれ以下の2形式3種で構成されていた。

  • モハ6201形(奇数)・モハ8001形(奇数)- 中間電動車(M1)
  • モハ6201形(偶数)・モハ8001形(偶数)- 中間電動車(M2)
  • クハ6501形・クハ8501形 - 制御車(Tc)

モハ6201形・モハ8001形はそれぞれの奇数車と偶数車をペアとする電動車ユニット方式である。奇数車に制御装置と2基の集電装置(パンタグラフ)、偶数車に電動発電機と空気圧縮機を搭載し、主要機器をユニット組成により初めて充足する。

6200系は4両編成で2M2T、6両編成で4M2T編成となり、そのままでは両者の加速特性に差が生じる。このため6両編成の限流値を低く設定して、両者の加速特性を統一している[11]

製造と変遷

  • 括弧内は竣工日[12]
6501 - 6201 - 6202 - 6203 - 6204 - 6502 (1974年11月22日)
6503 - 6205 - 6206 - 6207 - 6208 - 6504 (1974年11月25日)
8501 - 8001 - 8002 - 8502 (1975年6月24日)
6505 - 6209 - 6210 - 6506 (1977年6月27日)
6507 - 6211 - 6212 - 6508 (1977年6月27日)
8003 - 8004 (1977年6月27日)
6509 - 6213 - 6214 - 6510 (1977年7月11日)
6511 - 6215 - 6216 - 6512 (1977年7月11日)
6513 - 6217 - 6218 - 6514 (1980年3月21日)
6515・6516 (1980年3月21日)
6219 - 6220 - 6221 - 6222 (1981年8月25日)
6517 - 6223 - 6224 - 6225 - 6226 - 6518 (1981年8月25日)
6519 - 6227 - 6228 - 6229 - 6230 - 6520 (1981年8月25日)
6231 - 6232 (1985年8月8日)

1974年に落成した編成は従来通り自動密着式連結器を装備して登場したが、8000系が竣工した1975年から密着式に変更、1980年投入分からは電気連結器も装備され長編成化と増解結の柔軟化に備えた[13][11]。先に登場した編成も後に仕様統一されている[13]が、8000系は運用上不要なため電気連結器を省略したままとされた。

8000系は当初4両編成で指定の運用に充当されていたが、1977年に中間車2両(8003 - 8004)が増備されて6両編成となった[14]。これにより1984年までは6000系列の6両編成と共通運用されるようになった。

  • 8501 - 8001 - 8002 - 8003 - 8004 - 8502

1980年3月に6515・6516が製造された際には、6503Fから電動車ユニット1組(6207 - 6208)が移され、先頭車のみ完成した6515Fの中間車として以下のように使用された[15]

  • 6503 - 6205 - 6206 - 6504
  • 6515 - 6207 - 6208 - 6516

しかし翌1981年8月、6515Fに組む予定の中間車4両(6219 - 6220 - 6221 - 6222)が完成すると、6503Fは以下に示す通り6両編成に復帰した[15]。これにより、同時に竣工した6517F・6519Fと合わせて6200系6両編成は5本体制となり、同年11月から開始される泉北高速線直通の10両運転に備えた。

  • 6503 - 6205 - 6206 - 6207 - 6208 - 6504
  • 6515 - 6219 - 6220 - 6221 - 6222 - 6516(太字が1981年製造分)

1981年から4年間の中断の後、1985年には電動車ユニット1組(6231 - 6232)が増備され、これが4両編成であった6513Fの中間に挿入されて、以下の通りとなった[15]。この2両は当時増備されていた8200系に合わせて内装細部の仕様が変更されている[13]。この時点で52両となり、製造は終了した。

  • 6513 - 6217 - 6218 - 6231 - 6232 - 6514

1985年からは6000系の更新工事が開始され、パイオニア台車がS形ミンデン台車へ置き換えられたのに伴い、6200系と6000系の併結運転が開始された。これに合わせて6200系では制御回路の改造(2ノッチ起動時の進段を並列段に変更)が行われ、制御装置の形式がMMC-HTB-20N4形となった[13]

このほか増備過程での主要な仕様変更点として、両系列とも1977年投入分から荷棚がパイプ式に、同じく1977年から電動発電機がブラシレス形(BLMG)に変更されている[13]

2001年、8000系は6200系に編入され、同系6521Fとなった(詳細後述)。

2009年8月には後述の更新工事(VVVF化)への長期入場に対応した運用調整のため、6507Fのうち6211 - 6212が6505Fに組み込まれ、以下の組成となった[16]。なおこれは暫定的な措置であったため、同年11月には6505Fが元の4両編成に復帰、6211 - 6212は6507・6508の後を追って更新入場した。

  • 6505 - 6209 - 6210 - 6211 - 6212 - 6506

8000系(初代)の編入

 
8000系から編入された6521F

8000系は1990年にチョッパ制御装置の老朽化対策としてゲート制御部の更新が行われていた[13]が、その後制御装置の経年劣化による故障が頻発するようになり、長期にわたって使用不能となった。保守部品の確保が困難になりつつあり、また試作車としての使命は既に全うしていたことから、2001年に7100系1次車の廃車発生品を流用して抵抗制御(超多段式バーニア制御)に改造された[17]。これに伴い以下の通り改番されて6200系に編入、8000系は一旦形式消滅となった[注 2]

旧 8501 - 8001 - 8002 - 8003 - 8004 - 8502
新 6521 - 6233 - 6234 - 6235 - 6236 - 6522

この編入改造に併せて車体更新工事が施工された。車内の化粧板や戸閉機が更新され、車椅子スペースも整備されたほか、先頭車にスカートが設置された。

編入改造により従来の6両単独での運転に加え、6000系や6300系2両と併結して8両編成での運転が可能となった[17]。なお改造後も、ブレーキ緩解時の排気音や荷棚の違いにより改造前の名残を垣間見ることができる[9]

8200系の編入

 
6200系50番台(6553F)

2013年から8200系VVVFインバータ制御に改造され、6200系50番台へと形式変更・6200系の一派として編入された[7]

VVVFインバータ制御への更新

本形式の4両編成は主要機器(制御装置・補機類)を1基ずつしか備えていないため、故障時の冗長性を確保する目的で6000系や6300系、本形式同士を併結して6両編成や8両編成で使用されていた。しかし輸送人員減少に伴い4両編成の運用が増加して以降、単独で運用できない本形式の4両編成は日中の運用が限定され、運用効率の悪い車両となっていた[18]

こうした背景から、2009年より制御方式を8000系 (2代) と同様のIGBT素子VVVFインバータ制御(1C4M方式)に変更する更新工事が開始された[18][7]。これにより主要機器が全面的に更新されるとともに、編成内で全て二重系とされた。コストダウンと保守の統一化のため、制御装置と静止形インバータ(SIV)は8000系 (2代) と同型のものを採用した[18][2]ほか、空気圧縮機も既存設計品を使用して交流駆動化した[7]。また、先頭車にはスカートを、先頭台車には増粘着剤噴射装置を設置した[7]

客室についてもバリアフリーを考慮し、LED車内案内表示器ドアチャイム開扉誘導鈴・扉開閉警告ランプ・扉開閉予告放送[注 3]が搭載され、各車両には車椅子スペースも整備された[18]。また座席端の仕切りパイプの形状と化粧板を変更する[18]とともに、戸閉機が交換され戸閉減圧機構を南海で初めて実装した[2]

なお本工事により、各車の形式名が以下の通り変更されている[19]

  • クハ6501形(奇数)→ クハ6511形
  • モハ6201形(奇数)→ モハ6215形
  • モハ6201形(偶数)→ モハ6216形
  • クハ6501形(偶数)→ クハ6512形

本工事ではブレーキ方式が電磁直通ブレーキのまま変更されていない[注 4]ため、抵抗制御車(本形式の未更新車や6000系、6300系)との併結が引き続き可能である。なお本工事により、他車との併結時には自動的に相手車両を識別するとともに、抵抗制御車との併結の場合は加減速性能の不統一を避けるため、自車の運転特性を併結相手に合わせる機能が搭載された[18]

6511Fは、2009年9月中旬に試運転が始まり[20]、同年11月に6000系2両と併結した6両編成で営業運転を開始した。この後も年に1本のペースで工事が進められ、2010年6月に6507F、2011年7月に6505F、2012年6月に6509Fがそれぞれ更新工事を終えている[19]

全編成の更新完了後、客室灯が順次LED照明に交換された[7]。また6509Fのうち難波方2両については、2017年4月より電気式戸閉機の長期試験に供されている[21]

6両編成(6521F、50番台除く)については、製造後40年以上経過した2023年9月現在でも更新工事は行われていない[19]

編成表

6両編成
← 難波
橋本・和泉中央 →
形式 クハ6501
(Tc1)
モハ6201
(M1)
モハ6201
(M2)
モハ6201
(M1)
モハ6201
(M2)
クハ6501
(Tc2)
備考
搭載機器 CON1, PT×2 MG, CP CON1, PT×2 MG, CP
車両番号 6501 6201 6202 6203 6204 6502
6503 6205 6206 6207 6208 6504
6513 6217 6218 6231 6232 6514
6515 6219 6220 6221 6222 6516
6517 6223 6224 6225 6226 6518
6519 6227 6228 6229 6230 6520
6521 6233 6234 6235 6236 6522 元8501F
4両編成
← 難波
橋本・和泉中央 →
形式 クハ6511
(Tc1)
モハ6215
(M1)
モハ6216
(M2)
クハ6512
(Tc2)
更新竣工年[19]
搭載機器 CP CON2, SIV, PT×2 CON2, CP SIV
車両番号 6505 6209 6210 6506 2011年
6507 6211 6212 6508 2010年
6509 6213 6214 6510 2012年
6511 6215 6216 6512 2009年
凡例
  • CON1:制御装置(抵抗制御)
  • CON2:制御装置(VVVFインバータ制御)
  • MG:電動発電機
  • SIV:静止形インバータ
  • CP:空気圧縮機
  • PT:集電装置

運用

製造当初は高野線難波駅 - 三日市町駅間と泉北高速線で使用されていたが、1985年6月16日のダイヤ改正林間田園都市駅まで、1995年9月1日のダイヤ改正で橋本駅まで入線可能となったため、現在では難波駅 - 橋本駅間と泉北高速線で使用される。

かつては平日朝の泉北高速線と直通する区間急行準急行の10両編成の列車にも使用されていたが、2005年10月16日のダイヤ改正で南海車を使用した10両運転が廃止されたため、以後は8両編成以下での運転となった。他方このダイヤ改正では、2000系による橋本駅以北の運用の一部を代替したため、運用数が増加した[注 5]

同ダイヤ改正では日中の乗客減を受け、昼間時の各駅停車の一部に4両編成の列車が十数年ぶりに復活した[22]が、本形式の4両編成は故障時の冗長性を担保できないことから、当初は充当されることがなかった[注 6]。しかし更新工事を受けたことにより問題を克服したため、2009年から4両編成の列車にも使用されるようになった[16]

現在は4両、6両、8両の各列車に充当され、各駅停車から快速急行まで各種別の列車に幅広く運用されている。本系列の4両編成と6両編成には、難波方から4両目となる車両に女性専用車両ステッカーが貼られており、平日朝ラッシュ時の8両編成の上り急行・区間急行で運用される場合、この車両が女性専用車両となる。

8000系(初代)

前述の通り、制御方式の相違のため他系列と併結できず、常に単独で使用された。

高野線の三日市町駅 - 橋本駅間では20m車を入線可能とする複線化工事が進められていたが、同区間には連続勾配があるためブレーキを多用する反面、列車密度が低いことから回生ブレーキを使用すると回生失効が起きる確率が高かった。本形式は巨大な電機子チョッパ制御器を搭載するために床下スペースに余裕がなく、回生失効時の発電ブレーキ用の抵抗器を積めなかった[10]ため、1984年に他の20m車が林間田園都市駅まで運行するようになった後も、三日市町駅以南には入線しなかった[15]。しかし1990年に登場した2000系への対応として、変電所に回生電力吸収装置が設置され回生失効対策が施されたため、6200系や8200系と同様に三日市町駅以南へ入線できるようになった[23]

2001年の6200系編入後は、前述の通り他系列との併結制限が解除されたため、他の6200系6両編成や6300系などと共通運用されている。

参考文献

  • 南海電鉄車両部「南海6200系電車の概要」『鉄道ピクトリアル』1975年4月号(通巻305号)、電気車研究会、1975年、72-74頁。
  • 南海電気鉄道技術開発室「南海電鉄8000形チョッパ制御車両概要」『鉄道ピクトリアル』1975年11月号(通巻312号)、電気車研究会、1975年、57-60頁。
  • 南海電気鉄道車両部・井上広和(編)『日本の私鉄9 南海(カラーブックス547)』保育社、1981年、60-61・64-65頁。

脚注

注釈

  1. ^ 登場時については、2.1 km/h/sとする文献もある[3]
  2. ^ その後、2007年に2代目が登場した。
  3. ^ 進行方向左側の扉開閉案内は女性の声、右側は男性の声と使い分けられている。6両または8両編成での運転時は、本更新車が後部に連結されている場合にのみ使用でき、またこの場合には、前部に連結されている車両(6000系・6300系含む)に対しても扉開閉が予告放送される。
  4. ^ 厳密には発電ブレーキ併用HSC-D形から回生ブレーキ併用HSC-R形に更新されている。
  5. ^ 従来、ラッシュ時に2000系で運用されていた列車を6000系列などの20m車に置き換えることで混雑緩和が図られている。
  6. ^ なお本形式の登場当初は、冗長性に関する内規がなかったこともあり、4両単独運用にも積極的に充当されていた[14]

出典

  1. ^ a b c 南海電気鉄道株式会社(編)『’75 南海』1975年、49頁。
  2. ^ a b c d e f 南海電気鉄道株式会社6200系車両用電機品」『東洋電機技報』第119号、東洋電機製造、2009年3月、2024年3月7日閲覧  アーカイブ 2024年5月6日 - ウェイバックマシン2023年5月25日時点におけるWARP提供のアーカイブ。
  3. ^ 「REPORT 南海6200系登場!」『鉄道ファン』1975年4月号(通巻168号)、交友社、1975年、107頁。
  4. ^ a b c d 「南海電気鉄道 現有車両主要諸元表」『鉄道ピクトリアル』2023年10月臨時増刊号(通巻1017号)、電気車研究会、2023年、278-279頁。
  5. ^ 「南海電気鉄道 現有車両プロフィール2023」『鉄道ピクトリアル』2023年10月臨時増刊号(通巻1017号)、電気車研究会、2023年、244頁。
  6. ^ 「現有車両諸元表」『鉄道ピクトリアル』1985年12月臨時増刊号(通巻457号)、電気車研究会、1985年、212頁。
  7. ^ a b c d e f 「車両総説」『鉄道ピクトリアル』2023年10月臨時増刊号(通巻1017号)、電気車研究会、2023年、55頁。
  8. ^ 柴田東吾『大手私鉄サイドビュー図鑑12 南海電鉄』イカロス出版、2023年、47頁。
  9. ^ a b 「南海電気鉄道高野線の車両④ 8001系」『週刊 鉄道データファイル』166号、デアゴスティーニ・ジャパン、2007年、16頁。
  10. ^ a b 南海電気鉄道(株)車両部車両課長 花岡徹「南海高野線に8200系登場」『電気鉄道』昭和57年12月号(通巻415号)、鉄道電化協会、1982年、20頁。
  11. ^ a b 藤井信夫『車両発達史シリーズ 6 南海電気鉄道 下巻』関西鉄道研究会、1998年、104-106頁。本文献に掲載の写真では、竣工直後の連結器の違いを一覧することができる。
  12. ^ 飯島巌、藤井信夫、井上広和『私鉄の車両23 南海電気鉄道』保育社、1986年、180-181頁。
  13. ^ a b c d e f 「私鉄車両めぐり〔153〕南海電気鉄道」『鉄道ピクトリアル』1995年12月臨時増刊号(通巻615号)、電気車研究会、1995年、235-237頁。
  14. ^ a b 「私鉄車両めぐり〔114〕南海電気鉄道<鉄道線>」『鉄道ピクトリアル』1979年10月臨時増刊号(通巻367号)、電気車研究会、1979年、157-158頁。
  15. ^ a b c d 「私鉄車両めぐり〔130〕南海電気鉄道」『鉄道ピクトリアル』1985年12月臨時増刊号(通巻457号)、電気車研究会、1985年、189-190頁。
  16. ^ a b 「NEWS 南海だより」『関西の鉄道』2010年新緑号(通巻58号)、関西鉄道研究会、2010年、99頁。
  17. ^ a b 「車両総説」『鉄道ピクトリアル』2008年8月臨時増刊号(通巻807号)、電気車研究会、2008年、50頁。
  18. ^ a b c d e f 南海電気鉄道(編)「6200系VVVF更新車 解説」『南海電鉄車両大全第1巻(チョッパー&VVVF制御車)』2017年、27-28頁。
  19. ^ a b c d 「南海電気鉄道 現有車両履歴表」『鉄道ピクトリアル』2023年10月臨時増刊号(通巻1017号)、電気車研究会、2023年、288頁。
  20. ^ “【南海】南海6200系VVVF改造車が出場”. RMニュース. (2009年9月11日). オリジナルの2023年11月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20231126175343/https://rail.hobidas.com/rmnews/229545/ 2023年11月26日閲覧。 
  21. ^ 電気式戸閉装置の開発」『東洋電機技報』第136号、東洋電機製造、2017年、2024年3月7日閲覧  アーカイブ 2024年5月6日 - ウェイバックマシン2023年5月25日時点におけるWARP提供のアーカイブ。
  22. ^ 「NEWS 南海だより」『関西の鉄道』2006年新春号(通巻50号)、関西鉄道研究会、2006年、93頁。
  23. ^ 藤井信夫『車両発達史シリーズ 6 南海電気鉄道 下巻』関西鉄道研究会、1998年、121頁。

関連項目