功力金二郎
功力 金二郎(くぬぎ きんじろう[1]、1903年2月20日 - 1975年12月19日)は、日本の数学者。専門は集合論、位相空間論、関数論で[2]、特に複素関数論。
くぬぎ きんじろう 功力 金二郎 | |
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生誕 |
1903年2月20日 日本 山梨県韮崎市 |
死没 | 1975年2月19日(71歳没) |
国籍 | 日本 |
研究分野 | 集合論、位相空間論、関数論 |
研究機関 | 北海道大学、大阪大学 |
出身校 | 東京帝国大学 |
博士課程 指導教員 | モーリス・ルネ・フレシェ |
他の指導教員 | 吉江琢児 |
博士課程 指導学生 | 岡野初男、飯野理一 |
主な業績 | 抽象空間の研究 |
主な受賞歴 | 学士院賞 |
プロジェクト:人物伝 |
経歴
編集山梨県韮崎市神山町武田出身[3]。旧制甲府中学、松本高等学校 (旧制)を経て、1926年東京帝国大学理学部数学科卒業、旧制東京高等学校教授となる。1927年に北海道帝国大学への1930年理学部設置が決まり、数学関係の創立委員となった師の吉江琢児の指名により教授候補者の1人として内定したのは東京帝国大学卒業後1年余であった[4]。
北海道帝国大学理学部数学科開講までの準備期間3年の内、教授候補者は約2年間を海外留学することとなっており、1928年3月よりフランスに留学、パリ大学のモーリス・ルネ・フレシェに師事し、Docteur ès Science(フランス政府理学博士号)を受けて1930年9月に帰国。年齢が若すぎるため、就任当初は助教授であったが、1932年教授に昇任。抽象空間論、ポテンシャル論などの分野で著しい研究成果をあげ、1939年に学士院賞を受賞し、同年に学術研究会議会員となった。
1940年理学博士の学位[5]を受け、1949年には日本学士院会員となった。 1949年大阪大学理学部数学科に移り、1963年3月に定年退官したのちも、創成期の大阪大学基礎工学部数理教室の教授を務め[6] 、さらに京都産業大学や東京理科大学(理工学部)の非常勤講師を務めて1975年12月に亡くなった。
業績
編集1939年「抽象空間の研究」により帝国学士院賞受賞。Arne Beurlingとの共同研究による「功力-ブールリングの定理(Beurling - Kunugi theorem)」でも知られる。学位論文「ぼれる及解析集合論ヘノ寄与」で解析集合論を発展させ、次いで複素関数論を研究、ラース・ヴァレリアン・アールフォルスの幾何学的理論を拡張した。
主著
編集- 「抽象空間論」 1933
- 「解析学要論」 1951
- 「積分論」 1956
- 「実函数論および積分論」 1957
- 「複素函数論」 1958
外部リンク
編集脚注
編集- ^ 欧文論文の著者名は kunugui.kinjiro、学位論文の著者別名は「クヌグイ, キンジロウ」としている
- ^ a b 『日本の数学100年史(下)』、岩波書店、1984.3 p29
- ^ レファレンス事例詳細 数学者、功刀金二郎について
- ^ 『日本の数学100年史(下)』、岩波書店、1984.3 p26-27
- ^ 『ボレル及解析集合論への寄与』、東京帝国大学、1940年。理学博士。NAID 500000310732
- ^ 大阪大学基礎工学部要覧 1964 (PDF)
- ^ 飯野は当時早稲田大学助教授であり、学生ではなく学位指導研究生