冨永格五郎
冨永 格五郎(とみなが かくごろう、1894年9月23日[1] - 1954年9月26日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。
経歴
編集北海道出身[2]。1915年旧制函館中学校(現・北海道函館中部高等学校)卒[2]。函館市議、北海道議を経て[2]、北海商報社代表取締役、函館水産物、巴冷蔵各(株)社長などを務める[2]。
1946年の第22回衆議院議員総選挙で北海道1区(大選挙区制)から立候補するが落選[3]。翌1947年の第23回衆議院議員総選挙において北海道3区から立候補して初当選[4]。1949年の第24回衆議院議員総選挙では民主自由党公認で立候補して当選した[4]。この間衆議院水産委員長や民主自由党総務を歴任した[2]。1952年の第25回衆議院議員総選挙では自由党公認で立候補して落選[4]。1953年の第26回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1954年9月26日、青函連絡船洞爺丸が折からの台風(所謂洞爺丸台風)に遭遇し、函館市七重浜で沈没する海難事故(洞爺丸事故)の為に落命した。
脚注
編集参考文献
編集- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録.第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
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