内海 忠司(うつみ ちゅうじ、1884年明治17年)12月3日[1] - 1968年昭和43年)11月28日[2])は、日本内務官僚台湾総督府官僚台北市尹新竹州知事、高雄州知事。

内海忠司

経歴

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京都府出身。1911年(明治44年)、京都帝国大学法科大学政治学科を卒業[3]1913年大正2年)に高等文官試験に合格した[3]山形県東田川郡書記、山形県属、沖縄県警部、同島尻郡長、香川県視学官青森県理事官島根県警察部長群馬県警察部長佐賀県警察部長愛媛県内務部長、佐賀県内務部長を歴任した[3][4]1928年(昭和3年)より台湾総督府に転じ、台北州警務部長、台南州内務部長、台北市尹を経て、1932年(昭和7年)に新竹州知事に就任[3]。その後、高雄州知事に転じた[5]

退官後は(株)南日本化学工業常任監査役を務めた[5]

関連文献

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  • 『内海忠司日記 1928-1939 帝国日本の官僚と植民地台湾』
近藤正己・北村嘉恵・駒込武編、京都大学学術出版会、2012年2月
  • 『内海忠司日記 1940-1945 総力戦体制下の台湾と植民地官僚』
近藤正己・北村嘉恵編、京都大学学術出版会、2014年2月

脚注

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  1. ^ 『台湾人士鑑』台湾新民報社、1937年、p.23。
  2. ^ 近藤正己・北村嘉恵編『内海忠司日記1940-1945 総力戦体制下の台湾と植民地官僚』年譜、京都大学学術出版会、2012年)
  3. ^ a b c d 人事興信録 1934.
  4. ^ 大衆人事録 1930.
  5. ^ a b 人事興信録 1943.

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版(上)』人事興信所、1934年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。