京華中学高等学校
京華中学高等学校(けいかちゅうがくこうとうがっこう)は、東京都文京区白山にある、中高一貫教育を提供する私立中学校・高等学校。
京華中学高等学校 | |
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北緯35度43分19.1秒 東経139度44分56.9秒 / 北緯35.721972度 東経139.749139度座標: 北緯35度43分19.1秒 東経139度44分56.9秒 / 北緯35.721972度 東経139.749139度 | |
過去の名称 | 京華中學校(旧制) |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人京華学園 |
校訓 | 得天下英才而教育之 |
設立年月日 | 1897年7月 |
共学・別学 | 男子校 |
中高一貫教育 | 併設型(外部混合有) |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学科内専門コース |
S特進コース 特進コース 進学コース |
学期 | 3学期制 |
学校コード |
C113310500042 中学校) D113310500068 (高等学校) | (
高校コード | 13567E |
所在地 | 〒112-8612 |
東京都文京区白山五丁目6番6号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
高等学校において、中学校から入学した内部進学生徒と高等学校から外部進学生徒との間で、S特進コース及び進学コースにあっては第2学年から、特進コースにあっては第1学年から、それぞれ混合してクラスを編成する併設型中高一貫校でもある[1]。
概要
編集1897年(明治30年)7月、磯江潤らによって東京府東京市本郷区龍岡町(現文京区湯島4丁目)に京華中學校として創立。京華とは、東京の華という意味。創立当時の相談役品川弥二郎子爵(内務大臣)によって命名された。
創立時から旧制一高(新制東京大学教養学部の前身)への進学校として名高く[2]、当時の卒業生には錚々たる面々が並ぶ。映画監督・黒澤明、日本画・前田青邨、歌舞伎俳優・2代目尾上松緑、国立がんセンター名誉総長・杉村隆など4名の文化勲章受章者をはじめとした、多彩な人材を各界に輩出している。 京華中学校は、1979年(昭和54年)から募集再開(1980年度入学生から受け入れ)となった。募集再開後、京華中学校は京華高等学校と共に中高一貫教育をおこなっている。
2018年、首都圏284学習塾の塾長、教室長へのアンケートによる「入学時の偏差値に比べ、大学合格実績が高い中高一貫校」ランキングにおいて9年連続1位となった[3]。
同一学校法人の経営するグループ校には京華女子中学校・高等学校や京華商業高等学校がある。
沿革
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- 1897年7月:京華尋常中学校開校
- 1901年12月:京華商業学校設立
- 1909年12月:京華高等女学校設立
- 1941年3月:財団法人京華学園創立
- 1947年 - 1948年:学制改革により京華中学校・第二中学校、京華学園高等学校(普通科男子部、商業科、女子部)に改組
- 1951年3月:学校法人京華学園創立
- 1952年4月:京華学園高等学校商業科を男女共学とする
- 1953年4月:京華学園高等学校普通科男子部を京華高等学校と改称し、京華学園高等学校商業科が京華商業高等学校として独立
- 1960年4月:京華学園高等学校女子部が京華女子高等学校として独立
- 1979年4月:京華中学校を再開[4]
- 1984年4月:京華女子中学校を再開[4]
アクセス
編集校風
編集明治30年(1897年)の創立以来、精神のバックボーンとして「Never Say Die」の意味である「Never Die(ネバーダイ)」が使われている。これは、目的・目標に向かってやりぬく意志と行動力を示すと同時に、自分自身と闘い、克服する精神力を表したものである。
建学の精神は「英才教育」。これは孟子の「天下の英才を得て之を教育す」に基づき「英才」とは、いわゆる「秀才」ではなく社会を支えていく秀れた才能を意味する。また教育理念の「尊敬と愛情」は、深い人間愛に基づく、人格形成を意味している。
著名な出身者
編集文化界
編集- 黒澤明 - 映画監督、国民栄誉賞、文化勲章
- 前田青邨 - 日本画家、芸術院会員、文化勲章
- 尾上松緑(2代目) - 歌舞伎俳優、芸術院賞、文化勲章
- 杉村隆 - 生化学者、国立がんセンター名誉総長、東邦大学名誉学長、文化勲章
- 石川淳 - 作家、芸術院会員、芥川賞
- 武満徹 - 作曲家、国際作曲家協会賞
- 小松耕輔 - 作曲家
- 小松平五郎 - 作曲家
- 中原和郎 - 生化学者、国立がんセンター総長、ストックホルム化学会金賞
- 木村伊兵衛 - 写真家、芸術選奨・菊池寛賞
- 井口基成 - ピアニスト、桐朋学園大学学長、芸術院賞
- 市川猿翁(2代目市川猿之助) - 歌舞伎俳優、日本俳優協会初代会長
- 河野鷹思 - 洋画家、愛知県立芸術大学学長、ABC賞
- 生駒雷遊 - 活弁士
- 岩井半四郎 - 歌舞伎俳優
- 椎尾弁匡 - 仏教学者、大僧正、元芝増上寺法主
- 木村荘八 - 洋画家、芸術院恩賜賞
- 岡本文弥 - 新内岡本流家元、芸術選奨・文部大臣賞
- 菊地吾郎 - 日本医科大学名誉学長、学士院賞
- 島田謹二 - 比較文学者、学士院賞、文化功労者
- 犬養孝 - 万葉学者、大阪大学名誉教授
- 仁井田陞 - 東京大学名誉教授、朝日文化賞・学士院恩賜賞
- 中田孝 - 東京工業大学名誉教授、学士院賞
- 中山恒明 - 中山がん研究所長
- 奥富敬之 - 日本医科大学名誉教授
- 浜口陽三 - 版画家、サンパウロ国際美術展版画大賞
- 清水良雄 - 童画家
- 丸尾彰三郎 - 美術研究家、文部省主任調査官
- 楠田浩之 - 撮影技師
- 式正英 - お茶の水女子大学名誉教授
- 平泉洸 - 歴史学者、平泉寺白山神社宮司
- 小野旭 - 経済学者、一橋大学名誉教授、紫綬褒章
- 池田忠雄 - 脚本家
- 平岡正明 - 評論家
- 木村荘太 - 作家、木村荘八の兄
- 三井甲之 - 作家
- 正岡容 - 作家
- 瀬沼茂樹 - 作家
- 小島政二郎 - 作家
- 小栗虫太郎 - 作家
- 甲賀三郎 - 作家
- 城昌幸 - 作家
- 玉川一郎 - 作家
- 本間ひろむ - 批評家
- 木村東道 - 書家
- 渡辺正和 - 将棋棋士
- 吉野昌甫 - 経済学者、一橋大学名誉教授
- 石塚真一 - 漫画家[5]
芸能界
編集- 十朱久雄 - 俳優
- 斎藤達雄 - 俳優
- 金子信雄 - 俳優
- 林正雄 - 俳優
- 碓井将大 - 俳優、校則で芸能活動が制限されていた為、日出高等学校へ転校
- 山下敬二郎 - 歌手
- 春風亭栄枝 - 落語家
- 三遊亭志う歌 - 落語家
- グレート義太夫 - タレント
- 黒部幸英 - タレント
- sakura - ミュージシャン
- 大佑 - ミュージシャン
- 森田成一 - 声優
- 宇納佑 - 俳優、教員
政界・官界・法曹・実業界
編集- 奥山八郎 - 日本弁護士連合会会長、第二東京弁護士会会長
- 星野直樹 - 内閣書記官長、大蔵省官僚。東京裁判にて終身刑判決、のち釈放
- 石川一郎 - 経団連初代会長
- 三好英之 - 衆議院議員、9代目北海道開発庁長官、実業家
- 柳田誠二郎 - 日本航空三代目会長、元海外経済協力基金総裁
- 鈴木恭一 - 逓信次官(最後の逓信次官)、元通信文化振興会会長
- 安江仙弘 - 陸軍大佐、イスラエル建国功労者
- 赤松貞雄 - 陸軍大佐、東條英機内閣総理大臣秘書官
- 大鷹正次郎 - バルト三国公使(1938年)
- 吉河光貞 - 公安調査庁長官、広島高検検事長
- 稲垣平太郎 - 通商産業大臣、横浜ゴム社長
- 平沼弥太郎 - 参議院議員、埼玉銀行頭取
- 藤沢武夫 - 本田技研創業者・最高顧問
- 嘉納毅六 - 菊正宗酒造会長
- 那須弓雄 - 陸軍中将、第2歩兵団長、ガダルカナル島にて戦死
- 岩松三郎 - 最高裁判事
- 田中広太郎 - 大阪府知事、東京市助役、内務省官僚
- 大島敦 - 衆議院議員
- 近藤達児 - 衆議院議員
脚注
編集- ^ 京華高校の学校情報(高校受験パスナビ)(旺文社)の「ワンポイント情報」の冒頭には「内部進学生とは特進コースは1年次から、S特進・進学コース(鎮庫)は2年次から混合クラス。」文京区3Kの一つ と掲載されている。
- ^ 特に明治40年には合格者数27名(7位)を誇り、また明治43年には当時の獨逸学協会学校(現獨協高等学校)、府立一中(現東京都立日比谷高等学校)、府立四中(現東京都立戸山高等学校)などに次いで合格者数14名(4位)となる。
- ^ 「入学時に比べ大学合格実績が高い」中高一貫校 補習授業が高評価! 9年連続トップは… 安田賢治、夕刊フジ、2018年11月30日配信。
- ^ a b 募集中止年度等は不明
- ^ “映画「岳」の原作を描いた漫画家石塚真一さんが母校を訪問!!”. 京華中学高等学校 (2011年8月4日). 2021年4月22日閲覧。
関連項目
編集- 東京都中学校一覧
- 東京都高等学校一覧
- 旧制中学校 - 旧制中等教育学校の一覧 (東京都)
- 日本の男女別学校一覧
- 金川恵理 - フリーアナウンサー。アナウンサーになる前に事務職員として働いていた