ヴィニー・デル・ネグロ
ヴィンセント・ジョセフ(ヴィニー)・デル・ネグロ(Vincent Joseph "Vinny" Del Negro, 1965年3月25日 - )は、アメリカ合衆国の元バスケットボール選手。北米男子プロバスケットボールNBAのシカゴ・ブルズ、ロサンゼルス・クリッパーズの元ヘッドコーチである。マサチューセッツ州スプリングフィールド出身。身長193cm、体重86kg。現在はNBA TVの解説者。
2011年のデル・ネグロ | |
引退 | |
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ポジション | SG |
基本情報 | |
愛称 | "Vinny" |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1966年8月9日(58歳) |
出身地 | マサチューセッツ州スプリングフィールド |
身長(現役時) | 193cm (6 ft 4 in) |
体重(現役時) | 86kg (190 lb) |
キャリア情報 | |
ドラフト | 1988年 2巡目 29位 |
選手経歴 | |
1988-1990 1990-1992 1992-1998 1999 1998-2000 2000-2001 2001 |
サクラメント・キングス ベネトン・トレヴィソ サンアントニオ・スパーズ キンダー・ボローニャ ミルウォーキー・バックス ゴールデンステート・ウォリアーズ フェニックス・サンズ |
指導者経歴 | |
2008-2010 2010-2013 |
シカゴ・ブルズ ロサンゼルス・クリッパーズ |
Stats Basketball-Reference.com | |
選手時代
編集1988年 2巡目 29位でサクラメント・キングスより指名を受けNBAプレーヤーとなった。2シーズンをキングスで過ごした後、サンアントニオ・スパーズに移籍し、キャリアの大半である6シーズンをプレーした。その中で、1995-1996シーズンには、デビッド・ロビンソン、エイブリー・ジョンソンと共に、全試合に先発出場し、キャリアハイの1試合平均、14.5得点、3.8アシスト、3.3リバウンド、1.02スティールの成績を残している。さらに2シーズンをスパーズでプレーし、1997-1998シーズンには、後に、ロサンゼルス・クリッパーズのヘッドコーチとして対戦相手となるグレッグ・ポポヴィッチヘッドコーチの下、ティム・ダンカン、スティーブン・ジャクソンと共にプレーしている。その後ミルウォーキー・バックスで2シーズン、ゴールデンステート・ウォリアーズで1シーズンプレーし、フェニックス・サンズに移籍後引退した。NBA通算成績は、771試合に出場し1,810リバウンド、2,484アシスト、576スティール、7,038得点を記録している。
ヘッドコーチ時代
編集2008年、コーチ経験の無いまま、シカゴ・ブルズの第17代のヘッドコーチに就任し、デリック・ローズのルーキーイヤーから2シーズン指揮を執り、ローズを育てつつ、プレーオフに出場を果たすが、名門ブルズに於いてはフロントの評価は厳しく、プレーオフをファーストラウンド敗退で終了後に解任された。その直後の2010年、ドラフト年を故障で全休したブレイク・グリフィンの事実上のルーキーシーズンとなるロサンゼルス・クリッパーズのヘッドコーチへの就任要請を受け、ローズに続き、グリフィンの能力をも引き出し、2011-2012シーズンに、クリス・ポール、チャンシー・ビラップス、カロン・バトラーの大型補強を行い、カンファレンス第5シードでチームを6年ぶりのプレーオフに導いた。ファーストラウンドで、メンフィス・グリズリーズを接戦の末4勝3敗でアップセットし、カンファレンス・セミファイナルで、ポポヴィッチ率いるサンアントニオ・スパーズと対戦した。レギュラーシーズン終盤からプレーオフファーストラウンドまで14連勝という絶好調のスパーズの前に、ビラップスの欠場、グリフィン、ポールの故障を堪えての出場であったものの、あっけなく4連敗スイープされ、シーズンを終えた。
評価
編集デリック・ローズ、ブレイク・グリフィンの潜在能力を開花させたことで、若手育成能力に定評ができた。
実績
編集NBAヘッドコーチ実績表略号説明 | |||||||||
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レギュラーシーズン | G | 試合数 | W | 勝利数 | L | 敗戦数 | W–L % | レギュラーシーズン勝率 | |
ポストシーズン | PG | 試合数 | PW | 勝利数 | PL | 敗戦数 | PW–L % | プレイオフ勝率 |
チーム | シーズン | G | W | L | W–L% | シーズン結果 | PG | PW | PL | PW–L% | 最終結果 |
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CHI | 2008–09 | 82 | 41 | 41 | .500 | セントラル 2位 | 7 | 3 | 4 | .429 | ファーストラウンド敗退 |
CHI | 2009–10 | 82 | 41 | 41 | .500 | セントラル 3位 | 5 | 1 | 4 | .200 | ファーストラウンド敗退 |
LAC | 2010–11 | 82 | 32 | 50 | .390 | パシフィック 4位 | — | — | — | — | プレーオフ不出場 |
LAC | 2011–12 | 66 | 40 | 26 | .606 | パシフィック 2位 | 11 | 4 | 7 | .364 | カンファレンスセミファイナル敗退 |
LAC | 2012–13 | 82 | 56 | 26 | .683 | パシフィック 1位 | 6 | 2 | 4 | .333 | ファーストラウンド敗退 |
キャリア | 394 | 210 | 184 | .533 | 29 | 10 | 19 | .345 |
人物
編集イタリア系アメリカ人であり、NBAキャリアの途中で2度、イタリアでもプレーしている。
脚注
編集外部リンク
編集- 選手の通算成績と情報 NBA、Basketball-Reference、Eurobasket
- HC通算成績と情報 NBA Head Coaches、Basketball-Reference、Eurobasket