ミエスク (Miesque) は、父・ヌレイエフ (Nureyev) と母・パサドーブル (Pasadoble) の間に生まれた鹿毛サラブレッドブラッド・ホース誌が選ぶ20世紀のアメリカ名馬100選第82位。1980年代後半のヨーロッパにおけるマイル戦線でトップクラスの実力を誇った名牝。

ミエスク
ニアルコス・ファミリーの勝負服
欧字表記 Miesque
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1984年3月14日
死没 2011年1月20日(27歳没)
Nureyev
Pasadoble
母の父 Prove Out
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Flaxman Holdings Ltd.
馬主 Stavros Spyros Niarchos
調教師 Francois Boutin(フランス
競走成績
生涯成績 16戦12勝2着3回3着1回
獲得賞金 601万4150フラン
13万4207ポンド
90万ドル
テンプレートを表示

現役時代

編集

デビュー戦を勝った1週間後にモルニ賞に挑戦。3着に敗れるも、これが生涯最低着順となる。その後サラマンドル賞マルセルブサック賞を連勝して、2歳は4戦3勝。

3歳。イギリス1000ギニープール・デッセ・デ・プーリッシュを連勝後、ディアヌ賞は距離の壁に泣いたか、2着に敗れる。このときの1着馬はインディアンスキマー(のちに牡馬相手にチャンピオンステークスアイリッシュチャンピオンステークスを勝利)。

その後マイル戦線に復帰し、ジャック・ル・マロワ賞ムーラン・ド・ロンシャン賞を連勝、クイーンエリザベス2世ステークス2着ののちアメリカに遠征。ブリーダーズカップ・マイルをレコード勝ちする。

4歳になり、イスパーン賞、ジャック・ル・マロワ賞を連勝。ムーラン・ド・ロンシャン賞ではソヴィエトスターに競り負けるものの、再度のアメリカ遠征でブリーダーズカップマイルを連覇して引退する。

4回の敗戦のうち3回は重馬場であった。1マイル(芝8ハロン)では11戦9勝2着2回。負けた1回は騎手が乗り替わり、1回は重馬場だった。

競走成績

編集

以下の内容はJRA-VAN Ver.World[1]、優駿達の蹄跡[2]に基づく。

競走日 競馬場 競走名 馬場・距離
馬場状態
頭数 着順 タイム 着差 騎手 斤量 1着馬(2着馬)
1986年8月9日 ドーヴィル 条件戦 芝 6F (良) 6 1着 1:14.6 2馬身 F.ヘッド 56 (Proflare)
1986年8月17日 ドーヴィル モルニ賞 G1 芝 1200m (重) 8 3着 - 1馬身 F.ヘッド 54.5 Sakura Reiko
1986年9月21日 ロンシャン サラマンドル賞 G1 芝 1400m (稍重) 10 1着 1:25.5 1+12馬身 F.ヘッド 54.5 (Sakura Reiko)
1986年10月5日 ロンシャン マルセルブサック賞 G1 芝 1600m (堅良) 11 1着 1:37.5 +12馬身 F.ヘッド 55 (Milligran英語版)
1987年4月3日 メゾンラフィット アンプリュダンス賞 L 芝 7F (不良) 5 1着 1:33.4 2+12馬身 F.ヘッド 58 (Grecian Urn)
1987年4月30日 ニューマーケット 英1000ギニー G1 芝 8F (良) 14 1着 1:38.48 1+12馬身 F.ヘッド 57 (Milligram)
1987年5月17日 ロンシャン 仏1000ギニー G1 芝 1600m (重) 8 1着 1:38.1 2+12馬身 F.ヘッド 58 (Sakura Reiko)
1987年6月14日 シャンティ ディアヌ賞 G1 芝 2100m (重) 11 2着 - 4馬身 F.ヘッド 58 Indian Skimmer英語版
1987年8月16日 ドーヴィル ジャックルマロワ賞 G1 芝 1600m (良) 9 1着 1:35.0 3馬身 F.ヘッド 53.5 (Nasumeel)
1987年9月6日 ロンシャン ムーランドロンシャン賞 G1 芝 1600m (稍重) 7 1着 1:37.4 2+12馬身 F.ヘッド 54.5 (Soviet Star)
1987年9月26日 アスコット クイーンエリザベス2世S G1 芝 8F (良) 5 2着 - 5馬身 S.コーゼン 54.5 Milligran
1987年11月21日 ハリウッドパーク ブリーダーズCマイル G1 芝 8F (堅良) 14 1着 R1:32.8 3+12馬身 F.ヘッド 54.5 (Snow Dancer)
1988年5月29日 ロンシャン イスパーン賞 G1 芝 1850m (重) 6 1着 1:55.2 短アタマ F.ヘッド 56 (Saint Andrews)
1988年8月14日 ドーヴィル ジャックルマロワ賞 G1 芝 1600m (良) 6 1着 1:38.6 1馬身 F.ヘッド 56 (Warning)
1988年9月4日 ロンシャン ムーランドロンシャン賞 G1 芝 1600m (重) 7 2着 - アタマ F.ヘッド 56 Soviet Star
1988年11月5日 チャーチルダウンズ ブリーダーズCマイル G1 芝 8F (良) 12 1着 1:38.6 4馬身 F.ヘッド 56 (Steinlen英語版)

母として

編集

アメリカにそのまま残り、レーンズエンドファームで繁殖生活に入ったミエスクは、自分の子供の活躍で再び脚光を浴びることになる。

初仔のキングマンボ (Kingmambo) はマイル戦線でG1を3勝、種牡馬としてもエルコンドルパサーアルカセットキングカメハメハなど多くの活躍馬を輩出した。

2番仔のイーストオブザムーン (East Of The Moon) もフランス牝馬クラシック二冠などG1で3勝。3番仔のミエスクズサン (Miesque's Son) も重賞(フランスG3・リゾランジ賞)を勝って種牡馬入りし、Whipper、Miesque's ApprovalとG1馬を輩出している。またキングマンボ、ミエスクズサンの全弟にあたる6番仔のミシックトライブ (Mythic Tribe) は日本に種牡馬として輸出されている。

1999年にはアメリカ競馬名誉の殿堂博物館に殿堂馬として選定された。

繁殖牝馬引退後はレーンズエンドファームのオークツリー分場で余生を送っていた。2011年1月20日老衰のため死亡した。

血統表

編集
ミエスク血統ノーザンダンサー系 / 4代内アウトブリード (血統表の出典)

Nureyev
1977 鹿毛
父の父
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
父の母
Special
1969 鹿毛
Forli Aristophanes
Trevisa
Thong Nantallah
Rough Shod

Pasadoble
1979 鹿毛
Prove Out
1969 栗毛
Graustark Ribot
Flower Bowl
Equal Venture Bold Venture
Igual
母の母
Santa Quilla
1970 黒鹿毛
Sanctus Fine Top
Sanelta
Neriad Princequillo
Sea-Change F-No.20


ミエスクの主要なファミリーライン

編集

※「f」は「filly(牝馬)」の略、「c」は「colt(牡馬)」の略。太字はG1級競走優勝馬。

脚注

編集
  1. ^ ミエスク (Miesque) | 競馬データベース”. JRA-VAN Ver.World. JRAシステムサービス株式会社. 2023年8月10日閲覧。
  2. ^ ミエスク (Miesque) | 競馬データベース”. Ahonoora.com. Ahonoora. 2023年8月10日閲覧。

外部サイト

編集