ドルフィンボーイ(Dolphin Boy)[1]は、日本競走馬。おもな勝鞍に1994年東京大賞典東京王冠賞戸塚記念

ドルフィンボーイ
欧字表記 Dolphin Boy[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1991年2月19日[1]
死没 1996年12月4日(6歳没・旧表記)
ルイヴィルサミット[1]
カネアザミ[1]
母の父 バーバー[1]
生国 日本の旗 日本青森県[1]
生産者 青森牧場[1]
馬主 芹沢精一[1]
調教師 佐々木國廣川崎[1]
厩務員 池田孝[2]
競走成績
生涯成績 12戦7勝[1]
獲得賞金 1億3493万円[1]
勝ち鞍 東京大賞典(1994年)
東京王冠賞(1994年)
戸塚記念(1994年)
[1]
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概要

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  • 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[3]

幼駒時代から非常に気性が荒いことで知られ、はじめは美浦トレーニングセンター阿部新生厩舎に入厩するも、厩務員にケガを負わせるなどしたために登録を抹消され、牧場に戻されたところで川崎競馬場佐々木國廣厩舎に引き取られることになったが、「いきなり小向に入れるのは危険」ということで、一旦乗馬クラブで調教の後に入厩する[4]。入厩後も、馬場内で厩務員を引きずり回して他厩舎が同じ時間帯での調教を差し控えたり、トラックの前で転倒し壁に激突するというアクシデント話に事欠かなかった[4]

1993年11月18日、川崎競馬場での3歳新馬戦でデビューし、スタート時の躓きもあって5着[4]。2戦目を2着に20馬身の大差をつけて初勝利を飾ると[4]、3戦目も勝って3戦2勝で3歳シーズンを終えた。4歳初戦の特別競走を勝利した後、準重賞のクラウンカップにも勝利して、4連勝で南関東三冠の初戦である羽田盃に臨む。しかしクラウンカップのころから、もともと不安があった左前脚の状態が悪化するなど調子を落としてしまい、クラウンカップ自体は削蹄で腫れを治めたが、調教が十分に積めずに羽田盃を14着、続く東京ダービーを10着の後に休養に入った[4]。休養開けの秋は、初戦の特別競走を3着と好走すると、続く戸塚記念を勝利し、東京王冠賞でも2着アマゾンオペラに2馬身差つけて勝利し、4歳クラシックの最終戦を制覇。脚元の状態も無事だったため年末の東京大賞典に向かい、レースでは逃げの手を打って一時は2馬身差まで迫られるも、直線で再び脚を伸ばして勝利し、4歳シーズンを終えた[4]。古馬になってからは中央競馬の重賞への出走も取りざたされたが脚部不安を発症して長期休養に入り、1996年浦和記念で復帰もスタートでつまずいた際に骨折してそのまま3コーナーまで走って競走を中止し[4]、これが最期の競馬となった。

競走成績

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以下の内容は、JBISサーチ[3]およびnetkeiba.com[5]に基づく。

年月日 競馬場 競走名 距離

人気 着順 タイム 着差 騎手 斤量
[kg]
勝ち馬 / (2着馬)
1993 11. 18 川崎 3歳イ新馬 ダ900m(良) 8 8 1人 5着 0:57.0 -1.1 加納龍生 53 キタサンカイキョウ
12. 3 川崎 サラ系3歳イ ダ1400m(良) 9 1 1人 1着 1.31.3 -3.0 加納龍生 53 (ケイアイフール)
12. 29 川崎 サラ系3歳ロ ダ1400m(良) 11 5 1人 1着 1.31.3 -1.4 加納龍生 53 (ワールドオート)
1994 3. 18 川崎 チューリップ特別 ダ1600m(良) 9 3 1人 1着 1.44.0 -0.3 加納龍生 54 (ハートリング)
4. 18 川崎 クラウンC ダ2000m(良) 9 3 1人 1着 2.11.1 -1.1 野崎武司 54 (ザマハヤブサ)
5. 17 大井 羽田盃 ダ2000m(良) 16 12 3人 14着 2.11.0 -3.5 野崎武司 56 スペクタクル
6. 10 大井 東京ダービー ダ2400m(良) 16 16 10人 10着 2.37.4 -2.2 野崎武司 56 カネショウゴールド
9. 21 川崎 新秋特別 ダ1600m(良) 11 7 2人 3着 1.43.3 -0.7 山崎尋美 55 ハヤチャンプ
10. 19 川崎 戸塚記念 ダ2000m(良) 8 2 2人 1着 2.10.2 -0.4 山崎尋美 53 (アマゾンオペラ)
11. 10 大井 東京王冠賞 ダ2600m(良) 14 10 6人 1着 2.47.3 -0.4 山崎尋美 57 (アマゾンオペラ)
12. 23 大井 東京大賞典 ダ2800m(良) 11 3 1人 1着 3.00.6 -0.3 山崎尋美 54 (ウィナーズステージ)
1996 12. 4 浦和 浦和記念 ダ2000m(良) 9 9 7人 競走中止 - - 岩城方元 56 ホクトベガ

血統表

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ドルフィンボーイ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ボールドルーラー系
[§ 2]

*ルイヴィルサミット
Louisville Summit
1980 鹿毛
父の父
Raja Baba
1968 鹿毛
Bold Ruler Nasrullah
Miss Disco
Missy Baba My Babu
Uvira
父の母
Go March
1973 鹿毛
*Go Marching Princequillo
Leallah
Mark-Ye-Maid Mark-Ye-Well
Nina Bruja

カネアザミ
1972 黒鹿毛
*バーバー
Berber
1965 鹿毛
Princely Gift Nasrullah
Blue Gem
Desert Girl Straight Deal
Yashmak
母の母
カネワカタケ
1966 葦毛
*Rising Flame The Phoenix
Admirable
レデーラスタム Migoli
*ユーレーシア
母系(F-No.) ユーレーシア(IRE)系(FN:2-n) [§ 3]
5代内の近親交配 Nasrullah 4 × 5 × 4 = 15.63%、Nearco 5 × 5 × 5 = 9.38% [§ 4]
出典
  1. ^ [6]
  2. ^ [7]
  3. ^ [6]
  4. ^ [6][7]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p ドルフィンボーイ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年5月29日閲覧。
  2. ^ 2007東京ダービー馬アンパサンドのすべて”. 川崎競馬倶楽部. 2022年11月6日閲覧。
  3. ^ a b ドルフィンボーイ 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年5月29日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 第61回 『狂気の快速馬 ドルフィンボーイ』 1994年 東京大賞典 ドルフィンボーイ(小山内完友)”. web Furlong 2019【REWIND 90's】. 地方競馬全国協会 (2019年5月15日). 2020年5月29日閲覧。
  5. ^ ドルフィンボーイの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2020年5月29日閲覧。
  6. ^ a b c ドルフィンボーイ 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年5月29日閲覧。
  7. ^ a b c ドルフィンボーイの5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2020年5月29日閲覧。

外部リンク

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