ウォーレン・スパーン

アメリカ合衆国の野球選手 (1921-2003)

ウォーレン・エドワード・スパーンWarren Edward Spahn, 1921年4月23日 - 2003年11月24日)はアメリカ合衆国ニューヨーク州バッファロー出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

ウォーレン・スパーン
Warren Spahn
ボストン・ブレーブス時代
(1953年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州バッファロー
生年月日 1921年4月23日
没年月日 (2003-11-24) 2003年11月24日(82歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
175 lb =約79.4 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1940年 ボストン・ブレーブスと契約
初出場 1942年4月19日
最終出場 1965年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
殿堂表彰者
選出年 1973年
得票率 82.89%
選出方法 BBWAA[:en]選出

経歴

編集

現役時代

編集

ニューヨーク州バッファローで生まれ、1940年にボストン・ブレーブス(現:アトランタ・ブレーブス)とプロ契約を結び、1942年にメジャーデビューを果たす。

だが直後の1943年から1945年までの3年間は、兵役義務のために陸軍に従軍し、野球から離れる。この時ヨーロッパ戦線で負傷するも戦功を認められ、パープルハート章ブロンズスターメダルを受章した。

野球界復帰後は、その現役時代のほとんどでブレーブスに所属し、チームのボストンからミルウォーキーへの移転も経験する。ワールドシリーズには1948年1957年1958年に出場、1946年から1948年にかけては、もう1人の20勝投手ジョニー・セイン英語版と共に二本の大黒柱として活躍する。1947年には地元ボストンの新聞に「Spahn and Sain and pray for rain.(スパーンとセインで勝ったら、あとは雨(での試合中止)を祈れ)」という見出しが載るなど、両投手共に大車輪の活躍で、1948年にはチームを34年振りのリーグ優勝に導いた。なお、1953年には投手として初めて年俸10万ドルを手にするが、これは、スパーンが観客動員に応じたインセンティブ契約を球団と結んでいたところ、チームがミルウォーキーに移転して飛躍的に観客動員が増加したためである。

1965年ニューヨーク・メッツサンフランシスコ・ジャイアンツに所属し、同年にMLBからは引退するが、その後数年間はメキシカンリーグでも投げた。現役21年間のうち年間20勝以上を13回達成し、そのうち42歳のときに23勝を記録するなど、息の長い活躍を続けた。通算勝利数363はMLBの左腕投手としては歴代1位であり[1]、全体でみてもサイ・ヤング(511)、ウォルター・ジョンソン(417)、ピート・アレクサンダー(373)、クリスティ・マシューソン(373)、パッド・ガルヴィン(364)に次ぐ歴代6位の実績を誇る。

引退後

編集
 
スパーンのブレーブス在籍時の背番号「21」。
ミルウォーキー・ブレーブスの永久欠番1965年指定。
 
スパーンの銅像。かつてターナー・フィールド外にあったが、現在は新本拠地トゥルーイスト・パーク外に移設されている。

1973年野球殿堂入りを果たす。現役時代、セントルイス・カージナルススタン・ミュージアルがスパーンを評して、「スパーンは絶対に殿堂入りする事はないだろう。なぜなら彼はずっと投手であり続けるからだ。」という発言をしており、一面でそれを裏付けるような長い現役生活の末の殿堂入りだった。また、ブレーブスを退団した1965年には、スパーンの背番号21』はブレーブス初の永久欠番となっている。

1975年、53歳の時、日本プロ野球史上初めての日系アメリカ人以外の外国人監督として広島東洋カープを指揮する事になったジョー・ルーツの招きにより、広島東洋カープの春季キャンプ(日南キャンプ)で臨時投手コーチを勤めた。丁寧で解りやすい指導は非常に好評であり、その年球団創設25年目にして初のリーグ優勝を飾った投手陣に大きな影響を与えた。臨時コーチであったスパーンは、開幕戦を見届けた後、帰国している。

1999年、スポーティング・ニュース紙の企画「偉大な野球選手100人」において第21位に選出され、20世紀選抜チームにも選ばれた。同年にはシーズンで最も活躍した左腕投手に送られる賞として、「ウォーレン・スパーン賞」が設立された[2]

2003年11月24日、余生を過ごしていたオクラホマ州ブロークンアローの自宅にて、老衰により82年の生涯を閉じた。

投手としての球種はキャリア初期はカーブ、チェンジアップ、シンカー。  その後のキャリアからはスクリューボール(1955年頃から)、カーブ、スライダー(1958年頃から)、パームボール、ナックルボール(1963年頃から)。(米書 「guide to pitchers」より)

詳細情報

編集

年度別投手成績

編集




















































W
H
I
P
1942 BSN
MLN
4 2 1 0 -- 0 0 0 -- ---- 79 15.2 25 0 11 -- 0 7 0 0 15 10 5.74 2.30
1946 24 16 8 0 -- 8 5 1 -- .615 514 125.2 107 6 36 -- 1 67 4 0 46 41 2.94 1.14
1947 40 35 22 7 -- 21 10 3 -- .677 1174 289.2 245 15 84 -- 1 123 5 0 87 75 2.33 1.14
1948 36 35 16 3 -- 15 12 1 -- .556 1064 257.0 237 19 77 -- 1 114 4 0 115 106 3.71 1.22
1949 38 38 25 4 -- 21 14 0 -- .600 1258 302.1 283 27 86 -- 3 151 4 0 125 103 3.07 1.22
1950 41 39 25 1 -- 21 17 1 -- .553 1217 293.0 248 22 111 -- 1 191 8 0 123 103 3.16 1.23
1951 39 36 26 7 -- 22 14 0 -- .611 1289 310.2 278 20 109 -- 1 164 7 1 111 103 2.98 1.25
1952 40 35 19 5 -- 14 19 3 -- .424 1190 290.0 263 19 73 -- 6 183 5 0 109 96 2.98 1.16
1953 35 32 24 5 -- 23 7 3 -- .767 1055 265.2 211 14 70 -- 1 148 3 2 75 62 2.10 1.06
1954 39 34 23 1 4 21 12 3 -- .636 1175 283.1 262 24 86 -- 1 136 3 1 107 99 3.14 1.23
1955 39 32 16 1 2 17 14 1 -- .548 1025 245.2 249 25 65 4 2 110 4 0 99 89 3.26 1.28
1956 39 35 20 3 4 20 11 3 -- .645 1113 281.1 249 25 52 12 3 128 7 0 92 87 2.78 1.07
1957 39 35 18 4 1 21 11 3 -- .656 1111 271.0 241 23 78 4 2 111 2 0 94 81 2.69 1.18
1958 38 36 23 2 4 22 11 1 -- .667 1176 290.0 257 29 76 7 2 150 2 1 106 99 3.07 1.15
1959 40 36 21 4 5 21 15 0 -- .583 1203 292.0 282 21 70 9 1 143 2 0 106 96 2.96 1.21
1960 40 33 18 4 0 21 10 2 -- .677 1110 267.2 254 24 74 9 4 154 1 0 114 104 3.50 1.23
1961 38 34 21 4 2 21 13 0 -- .618 1064 262.2 236 24 64 1 4 115 4 0 96 88 3.02 1.14
1962 34 34 22 0 3 18 14 0 -- .563 1088 269.1 248 25 55 4 3 118 4 0 97 91 3.04 1.13
1963 33 33 22 7 0 23 7 0 -- .767 1037 259.2 241 23 49 4 0 102 4 0 85 75 2.60 1.12
1964 38 25 4 1 0 6 13 4 -- .316 759 173.2 204 23 52 4 2 78 6 0 110 102 5.29 1.47
1965 NYM 20 19 5 0 1 4 12 0 -- .250 543 126.0 140 18 35 1 2 56 1 0 70 61 4.36 1.39
SF 16 11 3 0 0 3 4 0 -- .429 303 71.2 70 8 21 1 1 34 1 0 34 27 3.39 1.27
'65計 36 30 8 0 1 7 16 0 -- .304 846 197.2 210 26 56 2 3 90 2 0 104 88 4.01 1.35
MLB:21年 750 665 382 63 26 363 245 29 -- .597 21547 5243.2 4830 434 1434 60 42 2583 81 5 2016 1798 3.09 1.19
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • BSN(ボストン・ブレーブス)は、1953年にMLN(ミルウォーキー・ブレーブス)に球団名を変更

年度別守備成績

編集


投手(P)












1942 BSN
MLN
4 1 2 0 0 1.000
1946 24 2 16 2 0 .900
1947 40 5 48 1 1 .981
1948 36 4 52 1 3 .982
1949 38 14 41 4 2 .932
1950 41 9 55 8 3 .889
1951 39 7 50 3 1 .950
1952 40 18 56 5 4 .937
1953 35 12 53 4 7 .942
1954 39 12 57 4 4 .945
1955 39 13 44 3 4 .950
1956 39 16 41 1 7 .983
1957 39 18 47 0 4 1.000
1958 38 11 67 2 7 .975
1959 40 14 45 3 4 .952
1960 40 14 59 3 7 .961
1961 38 16 63 2 7 .975
1962 34 13 55 1 5 .986
1963 33 11 71 3 8 .965
1964 38 4 36 6 2 .870
1965 NYM 20 4 25 1 1 .967
SF 16 4 16 1 1 .952
'65計 36 8 41 2 2 .961
MLB 750 222 999 58 82 .955
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

編集
  • 最多勝利:8回(1949年、1950年、1953年、1957年 - 1961年)※5年連続・通算8回獲得はともに歴代1位
  • 最優秀防御率:3回(1947年、1953年、1961年)
  • 最多奪三振:4回(1949年 - 1952年)

表彰

編集

記録

編集

ブレーブス球団通算記録

編集
  • 勝利数:356(歴代1位)
  • 登板数:714(歴代2位)
  • 投球回:5046.0(歴代1位)
  • 奪三振:2493(歴代3位)
  • 先発数:635(歴代1位)
  • 完投数:374(歴代2位)
  • 完封数:63(歴代1位)

背番号

編集

脚注

編集
  1. ^ なお、日本プロ野球の金田正一はスパーンの勝利数を上回る通算400勝を記録している。
  2. ^ “【MLB】ウォーレン・スパーン賞はナショナルズ・コービンが受賞”. yahooニュース. (2019年11月15日). https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191115-00010006-mlb-base 2020年2月26日閲覧。 

関連項目

編集

外部リンク

編集