はくよう
はくようは新日本海事が所有していた有人小型潜水調査船。総潜航回数は8,134回[3][4]。
はくよう | |
---|---|
基本情報 | |
船種 | 深海探査艇 |
船籍 | 日本 |
所有者 |
日本海洋産業 →深田サルベージ →新日本海事 |
建造所 | 川崎重工業 |
経歴 | |
起工 | 1970年7月 |
進水 | 1971年3月 |
竣工 | 1971年4月22日 |
引退 | 2013年5月31日 |
現況 | いおワールドかごしま水族館内に展示 |
要目 | |
トン数 | 6.6 トン |
全長 | 6.4 m |
幅 | 1.6 m |
高さ | 2.9 m |
喫水 | 1.9 m |
推進器 | 電動機 |
速力 | 3.5ノット |
潜航時間 | 48時間(3名乗船時) |
潜航深度 | 300 m |
乗組員 | 通常2名、最大3名 |
出典[1][2] |
概要
編集川崎重工業によって建造された日本初の小型水中作業船である。1970年(昭和45年)7月起工式。1971年(昭和46年)3月着水、同年4月22日に完成し、住友商事の子会社である日本海洋産業に引き渡された[5]。日本海洋産業は1979年(昭和54年)12月に潜水艇部門を廃止し、はくようを深田サルベージに売却した。その後、深田サルベージから系列会社の新日本海事に移管されている[6]。
潜航最高深度は300m[7]。有人潜水艇としての潜行回数8,134回は世界一[4]。操縦者として1名、乗務員として2名搭乗可能であった。
潜行の目的は、海底ケーブル・パイプライン調査、海底生物ビデオ撮影、生物や熱水噴出口調査、沈船や海没航空機の捜索回収、映画撮影協力、浅深度、深深度における金属腐食疲労実験、海没遺失物の捜索など多岐に及ぶ。1977年には、鹿児島湾の海底で「たぎり」といわれる火山性噴気現象の観察に成功[3]。1985年にはビキニ環礁に沈んでいた戦艦長門を発見している[8]。2001年12月の九州南西海域工作船事件では、翌2002年9月に行われた工作船の引き揚げに際して、事前潜水調査を行っている[3]。
2013年5月31日退役[4]。同年11月1日付で深田サルベージ建設[9]からいおワールドかごしま水族館に寄贈され、12月24日から敷地内で展示されている[3]。
関連項目
編集脚注
編集- ^ 川崎重工業株式会社潜水艦設計部 1972.
- ^ 谷内 1986.
- ^ a b c d “余生も鹿児島で 近海で活躍 潜水艇「はくよう」”. 朝日新聞(鹿児島版). (2014年1月17日)
- ^ a b c “潜水艇「はくよう」の中にはいっちゃおう!”. いおワールドかごしま水族館 (2015年3月21日). 2015年5月21日閲覧。
- ^ 川崎重工業株式会社潜水艦設計部 1972, pp. 75, 80.
- ^ 鹿児島県 2000, pp. 316-317, 第1編 漁業部門 第20節 雑漁業.
- ^ 菊永睦郎 (2012年9月20日). “潜水艇「はくよう」の航跡”. 笹川平和財団海洋政策研究所(旧・海洋政策研究財団). 2021年5月27日閲覧。
- ^ 館長ノートvol.45 長門を見た、大和ミュージアムHP、2018年9月9日、2019年4月21日閲覧
- ^ 2013年6月1日付で新日本海事を吸収合併。
参考文献
編集- 鹿児島県『鹿児島県水産技術のあゆみ』鹿児島県、2000年 。
- 川崎重工業株式会社潜水艦設計部「小型水中作業船「はくよう」」『関西造船協会誌』第143号、関西造船協会、75-80頁、1972年3月30日。doi:10.14856/kansaiks.143.0_75。ISSN 0389-9101。
- 谷内琢也「特殊潜水船の最新技術」『日本舶用機関学会誌』第21巻、第2号、99-104頁、1986年。doi:10.5988/jime1966.21.99。