サッポロビール博物館
サッポロビール博物館(サッポロビールはくぶつかん)は、北海道札幌市、サッポロガーデンパーク内に位置する博物館。
サッポロビール博物館 | |
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博物館外観 | |
施設情報 | |
正式名称 | サッポロビール博物館 |
専門分野 | ビール |
事業主体 | サッポロビール株式会社 |
開館 | 1987年(昭和62年)7月1日[1] |
所在地 |
〒065-8633 札幌市東区北7条東9-1-1 サッポロガーデンパーク内 |
位置 | 北緯43度4分17.9秒 東経141度22分8秒 / 北緯43.071639度 東経141.36889度座標: 北緯43度4分17.9秒 東経141度22分8秒 / 北緯43.071639度 東経141.36889度 |
外部リンク | ようこそさっぽろ、サッポロビール園・サッポロビール博物館 |
プロジェクト:GLAM |
日本で唯一のビール博物館であり、北海道遺産の一つにも指定されている。
1987年(昭和62年)7月1日開館[1]、もともとは1890年(明治22年)に札幌製糖会社の工場として建設された赤レンガの建造物を利用したもの。
歴史
サッポロビール博物館の歴史は、お雇い外国人として北海道を訪れたウィリアム・スミス・クラークによるテンサイの栽培や、北海道開拓使により札幌にビール醸造所が設立された明治時代へとさかのぼる。クラークはマサチューセッツ農科大学の第3代学長に就任。その当時大学は全米屈指のテンサイ製糖技術を持っており、クラークもテンサイの栽培を北海道へ定着させようという希望があった。クラークの帰国後、開拓使は北海道内でのテンサイの導入に着手。現在は函館市となっている七重村にて、北海道内では初のテンサイ試験栽培を行った[2]。
その後開拓使は1878年(明治10年)、現在の北海道大学の前身・札幌農学校へテンサイの栽培を委託し、1879年(明治11年)に現在の伊達市に当たる紋鼈(もんべつ)へ紋鼈製糖所を建設するなどした。その後製糖所は民間へ払下げとなり紋鼈製糖株式会社が設立、これを受けた札幌市は苗穂村へ製糖工場を建設することを決め、1888年(明治20年)に札幌製糖株式会社が創立された。会社はテンサイ糖の工場として1890年(明治22年)に外国人技師たちの指導を仰ぎ、テンサイ糖の工場として建設された[3]。 これが現在も博物館・ビール園として機能している建物である。設計には北海道庁の建築課のほか、基本設計にドイツにあるサンガーハウゼン社が担当にあたっている。
一方、1876年(明治8年)9月23日、開拓使麦酒醸造所が現在サッポロファクトリーが立っている場所に設立された。これには北海道へ麦酒醸造所の建設を主張した村橋久成が事業責任者に、ドイツ・ベルリンビール醸造所でビールの醸造技術を学んだ中川清兵衛が主任技師に選出された。醸造所の開業式も行われ、表面に文字を描いたビール樽が建物の前へ積み上げられた。これは現在、復元されて博物館に併設されている。
1886年(明治18年)に開拓使麦酒醸造所は大倉組商会へと払い下げを受け「麦酒醸造場」へ名称を変更。1887年(明治19年)12月に浅野総一郎・渋沢栄一らがこれを買い取り、札幌麦酒会社を設立した。これは現在のサッポロビール株式会社の前身である[4]。まもなくして、日清戦争が1895年に終結し、台湾による製糖業が普及すると日本のテンサイ製糖業は衰退。札幌製糖株式会社のテンサイ糖工場も解散となるが、札幌麦酒会社が1903年(明治35年)にこれを買収。建物に増改築を施し、製麦工場として運用した。
工場は1965年(昭和40年)まで操業が行われた。終了後、1967年(昭和42年)に建物3階部分へ「開拓使麦酒記念館」を開設し、工場で実際に使用した歴史資料や器具、文献の展示を開始する。
その後建物に改修を施し、1987年(昭和62年)7月1日に「サッポロビール博物館」として正式に開館[1]。
サッポロビール北海道工場が恵庭市へ移転して2003年(平成15年)3月に当地に在ったサッポロビール札幌工場が閉鎖[5]された後も存続することになった[6]ことから改修工事を行い[7]、2004年(平成16年)12月12日には新装開館した[8]。
サッポロビール博物館は1996年(平成8年)、当時の文化庁より国の重要文化財に指定する話が持ち込まれた。しかし、文化財の指定を受けると、建物内外の設備や施設を改装するのに国の許可が必要となるため、訪れる人々へ臨機応変な改造を行うことが難しくなることを考慮し、重要文化財の指定を辞退した[9]。2004年(平成16年)10月22日公表の北海道遺産第2回選定分に際し、北海道鉄道技術館、福山醸造株式会社、雪印乳業資料館と共に、「札幌苗穂地区の工場・記念館群」として北海道遺産の指定を受けた。 2007年(平成19年)には、第17回BELCA賞ロングライフ部で1987年(昭和62年)および2004年(平成16年)の改修が評価されて受賞した[10]。
施設概要
施設内は赤レンガ造3階建て。入場は無料で、エレベーターで3階へ上ったのち、1階ずつ下って見学する形となっている。見学は自由で、見学ツアーが係員によって実施されている。館内は開拓使麦酒醸造所の誕生からサッポロビール株式会社にいたるまでの歴史や、それに携わった黒田清隆らの紹介をパネル展示により行っている。そのほか、主に第二次世界大戦前のビール瓶、ポスター、看板、旧醸造所や施設全体のミニチュア模型も展示、札幌市のビールを中心とした産業の移り変わりや実際に醸造に使用した器具も展示するなどしている。
大日本麦酒株式会社時代の製品も展示されているため、施設内にはヱビスビールに関連した資料の展示も行われている。また、3階部分から2階部分にかけ、サッポロビール札幌工場でビールの仕込み時に麦汁を煮立たせる際、実際に使用されていたウォルトパンと呼ばれる巨大な煮沸釜が展示されているのも特徴。これは株式会社三宅製作所により銅(一部鉄)を使用して制作されたもので、釜の重量およそ13.5トン、容積は85キロリットル、直径は6.1メートル、全高はおよそ10メートルに及ぶ。釜は実際に1965年(昭和40年)から2003年(平成15年)まで使用されていた。
館内にはミュージアムショップのほか、ミュージアムバーが設置されている。ここでは有料でサッポロビールの試飲を行っている。また1階にも「スターホール」という名の飲食店がある。建物の外には2005年(平成17年)に建物のリニューアルオープンを記念して建てられた、1876年(明治8年)に開拓使麦酒醸造所が設立された際に建物前へ積み上げられた樽が復元され設置された。この表面には白いペンキでサインが描かれており、右上から斜めに読むと「麦とホップを製すればビイルとゆふ酒になる(開業式)」と書かれているのがわかる。(なお、平仮名は一部変体仮名で書かれており、たとえば「れば」の部分は「連者」をくずした平仮名である。)
博物館はサッポロビール園と建物が連結、周辺には同じくサッポロガーデンパーク内にあるポプラ館や商業施設のアリオ札幌が併設されている。
関連項目
参考文献
- サッポロビール博物館 パンフレット
- 北海道文化資源データベース[リンク切れ]
脚注
- ^ a b c “サッポロビール 博物館お披露目”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1987年7月2日)
- ^ 独立行政法人農畜産業振興機構、お砂糖豆知識、1999年2月
- ^ 独立行政法人農畜産業振興機構、お砂糖豆知識、1999年2月
- ^ サッポロビール株式会社、サッポロビールの歩み
- ^ “日本ビール史ここに 来年3月閉鎖のサッポロ札幌工場 先人の労苦見つめ126年”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2002年9月19日)
- ^ “サッポロビール札幌工場閉鎖へ ホロ苦“ビールの街” 「市民として寂しい」”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2002年9月3日)
- ^ “巨大釜宙づり ビール博物館改修作業進む”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2004年10月31日)
- ^ “サッポロビール博物館が新装 きょう開館 「原点」の歴史 五感に訴える”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2004年12月12日)
- ^ YOMIURI ONLINE お宝散歩 2003年1月7日
- ^ ロングライフビル推進協会