浅田真央
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浅田 真央(あさだ まお、ラテン文字:Mao Asada、1990年9月25日[2] - )は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)。2010年バンクーバーオリンピック銀メダリスト[3]。2008年、2010年世界選手権優勝。四大陸選手権優勝2回、GPファイナル優勝2回。全日本選手権4連覇。姉は同じくフィギュアスケート選手の浅田舞。
オリンピック | ||
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フィギュアスケート | ||
銀 | 2010 | 女子シングル |
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2010年世界選手権の表彰式にて | ||||||||||
生誕 |
1990年9月25日(34歳) 愛知県名古屋市 | |||||||||
身長 | 163 cm[1] | |||||||||
選手情報 | ||||||||||
代表国 | 日本 | |||||||||
コーチ | 佐藤信夫 (2010- ) | |||||||||
所属クラブ | 中京大学 | |||||||||
ISUパーソナルベストスコア | ||||||||||
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人物
愛知県名古屋市生まれ。中京大学附属中京高等学校卒業。現在は中京大学体育学部に在籍[4]。名前の真央は、父親が女優の大地真央のファンであったことに由来する[5]。
尊敬しているフィギュアスケート選手は伊藤みどり。伊藤の衣装を着用して競技に臨んだこともあり、「みどりさんの衣装を着るといつも調子がいい」と語っていた[6]。長野オリンピック金メダリストのタラ・リピンスキーにも憧れの言葉を寄せており[7]、彼女の演技を見て自分もオリンピックに出たいと思うようになったという[8]。趣味はジグソーパズルとレゴ制作[1]。
愛犬はトイ・プードルの「エアロ」「ティアラ」「小町」。エアロは2005年世界ジュニア選手権で優勝した際に買ってもらった。名前はネスレの菓子ブランド名AERO(エアロ)に由来し、同製品のイメージキャラにも選ばれた[9]ほか、2007年のジャパンスーパーチャレンジでは氷上で浅田と共演している[10]。ティアラと小町はエアロの子で、2007年生まれ[11]。前者は浅田が、後者は姉の舞が名づけた[12]。浅田は大の犬好きでありながら犬アレルギーでもある[13]。
姉の舞共々、浜崎あゆみと中島美嘉の大ファンで、交流もある。2010年バンクーバーオリンピックで銀メダルを獲得した際には、2人からお祝いのメッセージが寄せられた。バンクーバーオリンピックの演技直前には浜崎あゆみの曲を聴くなどしていた。[要出典]
技術・演技
アクセルを含む6種類の3回転ジャンプを跳ぶことができる。小学生のうちから3回転アクセルの練習を始め[14]、2003年の中部ブロック大会(ノービスA)で3回転アクセル-2回転トウループのコンビネーションに成功[15]。以来、3回転アクセルを大きな武器として競技会に臨み、数々の記録を打ち立ててきた。
2006年世界ジュニア選手権でショートプログラム (SP) に3回転アクセルを取り入れ[16]、2008年GPファイナルのフリースケーティング(フリー)で女子シングル史上初の2度の3回転アクセルに成功[17]。2010年バンクーバーオリンピックでは、オリンピックの女子シングル史上初めてSPで3回転アクセルを成功させ、SP、フリーと合わせて3度の3回転アクセルを成功させた。オリンピックの女子シングルで3回転アクセルを成功させたのは、伊藤みどりと浅田の2人だけである。他の国際大会を含めてもトーニャ・ハーディング、リュドミラ・ネリディナ、中野友加里の3人を加えた5人しかいない。また、1つの競技会中に3度の3回転アクセルを成功させたのも女子シングル史上初であり、ギネス世界記録に認定されている[18]。
3回転アクセルの際は腕を前後に振りながら踏み切る独特の動きをする。これは、助走の勢いを効率よくジャンプの高さや回転の速さに変えるための動作であるとされる[19]。
3回転-3回転のコンビネーションジャンプも得意としている。2007年GPファイナルのフリーでは3回転フリップ-3回転ループ、3回転フリップ-3回転トウループの2種類で成功させた。しかし、2008-2009シーズンにルールが改定され、ジャンプの回転不足が厳しく判定されるようになってからは成功率が下がっており、2009-2010シーズンはプログラムから外している。
上記のように回転不足判定が厳しくなってから、3回転アクセルや3回転-3回転といった大技で回転不足の判定を受けるケースが多くなっているが、このことについて、天野真は「軸の作り方がうまい選手ほど、器用に降りてくる習慣がついているために回転不足に陥りやすい」と解説し、浅田もそれに当てはまると説明している[20]。
ルッツはアウトサイドエッジで踏み切らなければならないとされているところ、インサイドエッジから踏み切る癖があり、2007年のルール改定でエッジ判定が厳格になってからは減点対象となっていた。同シーズン終了後にはルッツの矯正に取り組み[21][22]、2008年NHK杯では正確なエッジからの踏み切りと判定された。しかし、苦手意識はぬぐえておらず、その後も3回転ルッツが2回転になるなどの失敗が重なったため[23]、2009-2010シーズンにはプログラムから外した。6種類全てのジャンプの矯正に取り組み始めた2010-2011シーズンは再びプログラムに取り入れているが、再びエッジエラー判定を受けている。
サルコウは苦手で、2008-2009シーズンまで長い間プログラムに取り入れていなかった[24]。2008年NHK杯では、久々に3回転サルコウに成功したが、その後の試合でも不安定なことが多く、3回転サルコウに挑まないケースが多かった。2010-2011シーズン、現時点では全ての試合で3回転サルコウを取り入れているが、まだ完璧な成功は1回だけである。
これから挑戦してみたい技として4回転ジャンプを掲げている[1]。2006年世界ジュニア選手権では直前まで4回転ループに挑戦することを検討していたが見送った[25]。一時は4回転サルコウも跳んでいたとされる[15][26]。
柔軟性が高く、スピンやスパイラルは多彩なポジションを誇る。スピンの軸の安定性に定評がある。片手ビールマンスピンを得意としている[2]。レベル認定を受けにくいことなどを理由に2007年世界選手権以来しばらくプログラムに取り入れていなかったが、2009年エリック・ボンパール杯からフリーで用いている。スパイラルは常に高い評価を受けており、2010年バンクーバーオリンピックのフリーでは技のできばえの評価でISUジャッジングシステム史上最高の加点(GOE +2.6)を受けた。ストレートラインステップシークエンスのレベル4を獲得した数少ない女子選手の1人でもある[27]。
「運動選手としては並はずれた身体能力はない」が、「フィギュアで使う400近い筋肉を自然に組み合わせて、最大限の力を発揮出来る能力が高い」とされる[28]。2008年7月からは専属のトレーナーと管理栄養士をつけてトレーニングを始めた[29]。
経歴
ジュニア時代
5歳の時、姉の舞と共にスケートリンクに遊びに行き、スケートに出会う。舞と共に門奈裕子コーチが教える名東フィギュアスケートクラブに入会。当時、同クラブには安藤美姫も所属していた。3歳から12歳までは越智久美子によるバレエのレッスンを受けていた[30][31]。
2000-2001シーズンからグランプリ東海クラブに所属し、山田満知子・樋口美穂子両コーチに師事[32][33][34]。小学6年生の時に特例で出場した全日本選手権で不完全ながら3回転-3回転-3回転のコンビネーションジャンプ(3回転フリップ-3回転ループ-3回転トウループ)を跳び[35][32][36]、「天才少女」と呼ばれた。全日本ノービス選手権では、2000-2001シーズンから2001-2002シーズンまでBクラスで、2002-2003シーズンから2003-2004シーズンまでAクラスで、それぞれ2連覇を達成した。
2004-2005シーズン、ジュニアグランプリ (JGP)で出場した3戦すべてで優勝し、ジュニアデビューを飾る。JGPファイナルでは女子ジュニア史上初の3回転アクセルに成功。国内では全日本ジュニア選手権で初優勝し、シニアクラスの全日本選手権でも3回転アクセルを跳んで2位となった[37]。世界ジュニア選手権でも初出場初優勝を果たしてシーズンを締めくくった。
世界選手権優勝
2005-2006シーズン、初のシニア国際大会となるGPシリーズ中国杯で2位、エリック・ボンパール杯では初優勝を果たし、自身のデビューを飾った。GPファイナルでは世界女王のイリーナ・スルツカヤを破り、日本代表選手として村主章枝以来2人目の優勝を果たした。全日本選手権では女子シングル史上初となる2度の3回転アクセルに成功(ISU非公認)したが、他のジャンプにミスがあり2位となった。連覇が期待された世界ジュニア選手権でもジャンプのミスが響き2位に終わった。トリノオリンピック出場を期待する声もあったが、ISUの定めた年齢制限に87日足りず、代表資格を得られなかった[38]。
2006年夏、コーチをラファエル・アルトゥニアンに変更し、米国カリフォルニア州レークアロウヘッドに拠点を移す[39][40]。2006-2007シーズンが開幕すると、NHK杯で総合得点199.52点のISU歴代最高得点を叩き出して優勝。GPファイナルは、フリーのジャンプで2度転倒して2位に終わった。地元名古屋開催の全日本選手権では右手小指を骨折しながらも初優勝。東京開催の2007年世界選手権はSPで出遅れたが、フリーで当時のISU歴代最高得点を出して銀メダルを獲得した。同大会のフリーでは、演技構成点の5つの要素のうち「スケート技術」「演技力」「曲の解釈」の3つの項目で8点台を得るなど、表現面でも高い評価を受けた。
2007年夏はロシアに渡り、タチアナ・タラソワのもとでバレエなどに取り組んで表現力や芸術性の強化をはかった。2007-2008シーズンのGPシリーズは2戦とも優勝し、3季連続出場のGPファイナルではSP6位から巻き返して2位となった。全日本選手権のSPで、同シーズンにミスが続いていた3回転フリップ-3回転ループを成功させる。フリーでは冒頭の3回転アクセルが1回転半になったが、2連覇を達成した。同年12月、慣れない海外生活での心労[41]や、5月に中京大学のフィギュア専用リンクが完成し、国内で練習に専念できる環境が整ったことを理由に、練習拠点を米国から愛知に戻す。アルトゥニアンは定期的に来日することになっていたが、四大陸選手権の直前に電話で「責任を持てない」と伝えられたため、師弟関係を解消した[41]。
2008年四大陸選手権で初出場初優勝。だが、この大会後に左足首を傷めてしまう[42]。コーチ不在のうえ足首の怪我が完治していない状況下で臨んだ[43]2008年世界選手権では、フリー冒頭の3回転アクセルに入ろうとした所で大きく転倒したものの、その後は落ち着いて演技をまとめ[44]て逆転優勝。日本人選手5人目の世界女王となった。
2008-2009シーズンからはタチアナ・タラソワに師事。苦手なルッツやサルコウをプログラムに入れること、フリーで2度の3回転アクセルを跳ぶこと、フリーの『仮面舞踏会』でこれまでとは違う傾向のプログラムを滑ること、と多くの課題に挑戦した[45]。シーズン2戦目、NHK杯のフリーで2度の3回転アクセルに挑戦し、2度目が回転不足判定となったものの、他の出場選手に大差をつけて優勝した。そして、金妍兒の地元韓国という「完全アウェー」[46]で開催されたGPファイナルで、国際大会では女子史上初となる2度の3回転アクセルに成功し、3季ぶり2度目の優勝を果たした。全日本選手権では3連覇を達成。世界選手権では、SPで3回転フリップ-3回転ループが認定される一方、3回転ルッツが2回転になり出遅れた。フリーは再び2度の3回転アクセルに挑んだが、転倒や小さなミスが重なって総合4位となり、シニア国際大会では初めて表彰台を逃した。2009年国別対抗戦はSPで3回転アクセルのコンビネーションに成功、フリーでは2度の3回転アクセルに挑戦(2度目が回転不足判定)し、自身初めて200点を越える総合得点を出して女子シングル1位となった。このシーズンはジャンプの回転不足が厳しく判定される傾向にあったため、3回転-3回転が成功と見なされないことが多く苦心した[46]。GPファイナルの優勝後に「金妍兒のミスに助けられた」という日本のマスコミの評価[47]がある事を聞いて落ち込み、一時期は練習の意欲を失った。世界選手権連覇の重圧に苦しむなど、メンタルコントロールの難しさも課題となった[46]。
2009-2010シーズンはルッツ、サルコウ、3回転-3回転のコンビネーションジャンプをプログラムに入れず、SP・フリーで計3度の3回転アクセルを決めることに集中する構成を組んだ[48]。だが、GPシリーズでは、3回転アクセルが6回中1回しか成功せず、エリック・ボンパール杯は2位、ロステレコム杯は5位に終わった。シニア移行後初めてGPファイナル進出を逃すほどの不調に、国内外のスケート関係者からは「フリープログラムの『鐘』が合っていない。もっと浅田に合った滑りやすいプログラムに変えるべきではないか」との意見も聞かれた[49]。しかしここから復調を見せ、全日本選手権で4連覇を達成してオリンピック代表に決定。韓国で開催された四大陸選手権ではフリーで2度の3回転アクセルを成功させ優勝[50]。この優勝により、日本人選手として初めて国際大会10回優勝を果たした(ジュニアの大会を除く)。なお、この大会で浅田は競技前に妨害予告を受けたり[51][52]盗撮被害にあったと報じられている[53]。
バンクーバーオリンピックでは、SPで1度、フリーで 2度の3回転アクセルに成功。演技構成点でも高い評価を受け、銀メダルを獲得した[54]。オリンピックフィギュアスケートの女子シングルで日本人選手がメダルを獲得するのは2大会連続。オリンピック後、タチアナ・タラソワコーチを総コーチとして、日本人を軸とした新たなコーチを選任する旨の報道がなされる。世界選手権では、オリンピック金メダリストの金妍兒を破って2年ぶりに金メダルを獲得。世界選手権2度の優勝は日本人初。この年は男子でも日本の髙橋大輔が優勝し、ジュニアでも男女ともに優勝している。
現在
2010-2011シーズン、6月から9月頃まで長久保裕をジャンプ専門のコーチにつけ6種類全てのジャンプの矯正に取り組む。9月から佐藤信夫コーチに師事し、ジャンプの矯正も続けた。GPシリーズNHK杯、エリック・ボンバール杯ではジャンプに苦しみ、2大会とも表彰台に登れずGPファイナル進出を逃した。1カ月後の全日本選手権では復調し、総合2位(SP1位、フリー2位)で世界選手権と四大陸選手権の代表に選出された。
主な戦績
大会/年 | 2002-03 | 2003-04 | 2004-05 | 2005-06 | 2006-07 | 2007-08 | 2008-09 | 2009-10 | 2010-11 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
オリンピック | 2 | ||||||||
世界選手権 | 2 | 1 | 4 | 1 | |||||
四大陸選手権 | 1 | 3 | 1 | ||||||
世界国別対抗戦 | 1 | ||||||||
全日本選手権 | 7 | 8 | 2 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 2 |
GPファイナル | 1 | 2 | 2 | 1 | |||||
GPNHK杯 | 1 | 1 | 8 | ||||||
GPロシア杯 | 5 | ||||||||
GPエリック杯 | 1 | 1 | 2 | 2 | 5 | ||||
GPスケートカナダ | 1 | ||||||||
GPスケートアメリカ | 3 | ||||||||
GP中国杯 | 2 | ||||||||
世界Jr.選手権 | 1 | 2 | |||||||
全日本Jr.選手権 | 4 | 4 | 1 | ||||||
JGPファイナル | 1 | ||||||||
JGPウクライナ記念 | 1 | ||||||||
JGPスケートロングビーチ | 1 |
詳細
2010-2011 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2010年12月24日-27日 | 第79回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | 1 66.22 |
2 127.47 |
2 193.69 |
2010年11月25日-28日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 7 50.10 |
5 97.92 |
5 148.02 |
2010年10月22日-24日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(名古屋) | 8 47.95 |
8 85.45 |
8 133.40 |
2009-2010 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2010年3月22日-28日 | 2010年世界フィギュアスケート選手権 (トリノ) | 2 68.08 |
2 129.50 |
1 197.58 |
2010年2月14日-27日 | バンクーバー五輪(バンクーバー) | 2 73.78 |
2 131.72 |
2 205.50 |
2010年1月27日-30日 | 2010年四大陸フィギュアスケート選手権(全州) | 3 57.22 |
1 126.74 |
1 183.96 |
2009年12月25日-27日 | 第78回全日本フィギュアスケート選手権(大阪) | 1 69.12 |
1 135.50 |
1 204.62 |
2009年10月22日-25日 | ISUグランプリシリーズ ロステレコム杯(モスクワ) | 6 51.94 |
5 98.34 |
5 150.28 |
2009年10月15日-18日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 3 58.96 |
2 115.03 |
2 173.99 |
2008-2009 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2009年4月16日-18日 | 2009年世界フィギュアスケート国別対抗戦(東京) | 1 75.84 |
1 126.03 |
1 201.87 |
2009年3月23日-29日 | 2009年世界フィギュアスケート選手権(ロサンゼルス) | 3 66.06 |
4 122.03 |
4 188.09 |
2009年2月2日-8日 | 2009年四大陸フィギュアスケート選手権(バンクーバー) | 6 57.86 |
1 118.66 |
3 176.52 |
2008年12月25日-27日 | 第77回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | 2 65.30 |
2 117.15 |
1 182.45 |
2008年12月10日-14日 | 2008/2009 ISUグランプリファイナル(高陽) | 2 65.38 |
1 123.17 |
1 188.55 |
2008年11月27日-30日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(東京) | 1 64.64 |
1 126.49 |
1 191.13 |
2008年11月13日-16日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 2 58.12 |
2 109.47 |
2 167.59 |
2007-2008 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2008年3月17日-23日 | 2008年世界フィギュアスケート選手権(ヨーテボリ) | 2 64.10 |
2 121.46 |
1 185.56 |
2008年2月11日-17日 | 2008年四大陸フィギュアスケート選手権(高陽) | 1 60.94 |
1 132.31 |
1 193.25 |
2007年12月26日-28日 | 第76回全日本フィギュアスケート選手権(大阪) | 1 72.92 |
2 132.41 |
1 205.33 |
2007年12月13日-16日 | 2007/2008 ISUグランプリファイナル(トリノ) | 6 59.04 |
1 132.55 |
2 191.59 |
2007年11月15日-18日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 1 56.90 |
1 122.90 |
1 179.80 |
2007年10月25日-28日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ケベックシティ) | 3 58.08 |
1 119.58 |
1 177.66 |
2006-2007 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2007年3月19日-25日 | 2007年世界フィギュアスケート選手権(東京) | 5 61.32 |
1 133.13 |
2 194.45 |
2006年12月27日-29日 | 第75回全日本フィギュアスケート選手権(名古屋) | 1 71.14 |
1 140.62 |
1 211.76 |
2006年12月14日-17日 | 2006/2007 ISUグランプリファイナル(サンクトペテルブルク) | 1 69.34 |
4 103.18 |
2 172.52 |
2006年11月30日-12月3日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(長野) | 1 69.50 |
1 130.02 |
1 199.52 |
2006年10月26日-29日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(ハートフォード) | 1 68.84 |
4 102.39 |
3 171.23 |
2005-2006 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
2006年3月6日-12日 | 2006年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(リュブリャナ) | 1 113.58 |
2 56.10 |
2 97.25 |
2 153.35 |
2005年12月23日-25日 | 第74回全日本フィギュアスケート選手権(東京) | - | 3 66.64 |
3 121.46 |
2 188.10 |
2005年12月16日-18日 | 2005/2006 ISUグランプリファイナル(東京) | - | 1 64.38 |
1 125.24 |
1 189.62 |
2005年11月17日-20日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | - | 1 63.96 |
1 118.46 |
1 182.42 |
2005年11月3日-6日 | ISUグランプリシリーズ 中国杯(北京) | - | 2 62.92 |
3 113.68 |
2 176.60 |
2004-2005 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
2005年2月26日-3月3日 | 2005年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(キッチナー) | 1 112.32 |
1 60.11 |
1 119.13 |
1 179.24 |
2004年12月24日-26日 | 第73回全日本フィギュアスケート選手権(新横浜) | - | 4 60.46 |
2 106.36 |
2 166.82 |
2004年12月2日-5日 | 2004/2005 ISUジュニアグランプリファイナル(ヘルシンキ) | - | 1 57.91 |
1 114.92 |
1 172.83 |
2004年11月20日-21日 | 第73回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(大阪) | - | 1 54.56 |
1 117.57 |
1 172.13 |
2004年9月30日-10月3日 | ISUジュニアグランプリ ウクライナ記念(キエフ) | - | 1 56.24 |
1 86.75 |
1 142.99 |
2004年9月9日-12日 | ISUジュニアグランプリ スケートロングビーチ(ロングビーチ) | - | 1 50.14 |
1 87.88 |
1 138.02 |
2000-2004 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2003年12月25日-26日 | 第72回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | 6 | 8 | 8 |
2003年11月22日-23日 | 第72回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(京都) | 4 | 4 | 4 |
2002年12月20日-22日 | 第71回全日本フィギュアスケート選手権(京都) | 9 | 7 | 7 |
2002年11月23日-24日 | 第71回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(名古屋) | 3 | 4 | 4 |
2001年11月23日-24日 | 第70回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(東京) | 8 | 6 | 6 |
プログラム
シーズン | SP | FS | EX |
---|---|---|---|
2010-2011 [55] |
タンゴ 作曲:アルフレット・シュニトケ 振付:タチアナ・タラソワ |
愛の夢 作曲:フランツ・リスト 振付:ローリー・ニコル |
バラード第1番ト短調 作曲:フレデリック・ショパン 振付:タチアナ・タラソワ |
2009-2010 [56] |
仮面舞踏会 作曲:アラム・ハチャトゥリアン 振付:タチアナ・タラソワ |
前奏曲「鐘」[57] 作曲:セルゲイ・ラフマニノフ 振付:タチアナ・タラソワ |
カプリース[58] 作曲:ニコロ・パガニーニ 振付:タチアナ・タラソワ |
2008-2009 [59][60][61] |
月の光 作曲:クロード・ドビュッシー 振付:ローリー・ニコル |
仮面舞踏会 作曲:アラム・ハチャトゥリアン 振付:タチアナ・タラソワ |
ポル・ウナ・カベサ 作曲:カルロス・ガルデル パジャドーラ 作曲:フリアン・プラサ 振付:タチアナ・タラソワ シング・シング・シング 作曲:ルイ・プリマ 振付:ローリー・ニコル |
2007-2008 [62] |
ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア 映画『ラヴェンダーの咲く庭で』より 作曲:ナイジェル・ヘス、演奏:ジョシュア・ベル 振付:タチアナ・タラソワ |
幻想即興曲 作曲:フレデリック・ショパン 振付:ローリー・ニコル |
ソー・ディープ・イズ・ザ・ナイト ボーカル:レスリー・ギャレット |
2006-2007 [62] |
ノクターン 第2番変ホ長調 作品9の2 作曲:フレデリック・ショパン 振付:ローリー・ニコル |
チャルダッシュ 作曲:ヴィットーリオ・モンティ 振付:ローリー・ニコル |
ハバネラ 歌劇『カルメン』より 作曲:ジョルジュ・ビゼー ボーカル:フィリッパ・ジョルダーノ 虹の彼方に 映画『オズの魔法使い』より ボーカル:エヴァ・キャシディ |
2005-2006 [5][2][62][63] |
歌劇『カルメン』より 作曲:ジョルジュ・ビゼー 振付:山田満知子、樋口美穂子 スノーダンス[64] 振付:リー=アン・ミラー |
くるみ割り人形 作曲:ピョートル・チャイコフスキー 振付:ローリー・ニコル |
虹の彼方に 映画『オズの魔法使い』より ボーカル:エヴァ・キャシディ 振付:ローリー・ニコル |
2004-2005 [5][62] |
虹の彼方に 映画『オズの魔法使い』より 作曲:ジョン・ウィリアムス 振付:リー=アン・ミラー |
風変わりな店 作曲:ジョアキーノ・ロッシーニ オットリーノ・レスピーギ 振付:リー=アン・ミラー |
ピック・ユアセルフ・アップ 映画『スイング・タイム』より 作曲:ジェローム・カーン、ボーカル:ナタリー・コール 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
2003-2004 [65] |
オーケストラ組曲「マイ・ガール2」 作曲:クリフ・エイデルマン 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
ワルツ・スケルツォ ハ長調Op. 34 作曲:ピョートル・チャイコフスキー 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
ハバネラ 歌劇『カルメン』より 作曲:ジョルジュ・ビゼー 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
2002-2003 [65] |
セイ・ヘイ・キッズ 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
インカダンス&アンデス by クスコ 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
- |
2001-2002 [65] |
セイ・ヘイ・キッズ 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
インカダンス&アンデス by クスコ 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
- |
スポンサー
メディア出演等
テレビ
- TBS系『学校へ行こう!MAX』2005年7月12日放送(「ニッポンの世界にはばたく学生」のコーナーに出演)
- フジテレビ系『とんねるずのみなさんのおかげでした』2008年5月8日放送(「新・食わず嫌い王決定戦」、対戦相手は松本潤)
- 日本テレビ系『24時間テレビ』2008年8月30日放送(アイスショー「THE ICE」で義手のヴァイオリン少女が演奏する「虹の彼方に」に乗せて演技する模様が放送された)
- テレビ朝日系『ドラえもん秋の1時間スペシャル』2008年10月24日放送(本人役でアフレコ出演)
- TBSテレビ『浅田真央 ドリーム・ラボ』
- TBS系『関口宏の東京フレンドパークII』2009年5月7日放送(共演 安藤美姫、小塚崇彦、織田信成)・2010年4月19日放送(共演 浅田舞、小塚崇彦、高橋大輔)
- フジテレビ・関西テレビ系『Mr.サンデー』2010年4月18日放送
- フジテレビ系『VS嵐』2010年5月6日放送(共演 浅田舞、小塚崇彦、本田武史)
- 日本テレビ系『天才!志村どうぶつ園』2010年5月22日・5月29日放送
- フジテレビ系『run for money 逃走中』2010年6月27日放送
- 日本テレビ系『24時間テレビ』2010年8月28日放送(アイスショー「THE ICE」で右半身麻痺の少女と競演する模様が放送された)
- テレビ朝日系『夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル』2011年1月2日放送(「卓球対決」のコーナーに安藤美姫、高橋大輔、織田信成、小塚崇彦とともに出演)
CM
2010年のバンクーバーオリンピックで銀メダルを獲得後のCMの出演料は1本7000万円と推定されており、女子アスリート選手の中では一番高い。[66]
- NEC「VALUESTAR W」
- 日本コカ・コーラ「大豆ノススメ」
- 王子ネピア「まおレゴフィギュアプレゼント」
- オリンパス「μ-DIGITAL」
- 伊藤ハム
- Nestlé「エアロボックス」
- オムロン
- 森永製菓「ウイダーinゼリー」
- ロッテ「ガーナミルクチョコレート」、「クリミオ」
- 花王「アジエンス」
- NISSAY
- 佐藤製薬「ストナ」
その他
- 2006年3月31日、ナゴヤドームで行われた中日ドラゴンズ対広島東洋カープの開幕戦で舞とともに始球式を務めた。「くるみ割り人形」の曲をバックに特注のコスチュームで登場し、谷繁元信捕手に投球。野球観戦は初めてだったそうで再登板を希望していた。
- 2007年4月6日、姉の舞と日本とカナダの観光での交流を推進する「日加観光親善大使」に任命され、冬柴鉄三国土交通相とジョセフ・キャロン駐日カナダ大使と共に記者会見を開いた。
- 2010年4月15日、春の園遊会に招待され、天皇明仁、皇后美智子と懇談した。懇談後、記者に「お会いできてすごく光栄でした。本当に優しい方だと思いました」と感想を述べた[67]。
- 2010年4月23日、総理官邸に招待され、内閣総理大臣鳩山由紀夫と初対面し、地方自治体などの財源縮小でスケートリンク場が減り続けている現状などを訴えた[68]。
出版物
関連書籍
- 浅田真央、15歳(文藝春秋、2006年)- ISBN 9784163682303
- 浅田真央、16歳(文藝春秋、2007年)- ISBN 9784163696409
- 浅田真央、17歳(文藝春秋、2008年)- ISBN 9784163709208
- 浅田真央、18歳(文藝春秋、2009年)- ISBN 9784163720302
- 浅田真央―age 15‐17(文藝春秋、2009年)- ISBN 978-4167773120
- 真央らしく(朝日新聞出版、2009年)- ISBN 9784022505088
- 浅田真央 奇跡(ミラクル)の軌跡~ファースト・フォトブック(新書館出版、2010年)- ISBN 9784403310577
- 浅田真央公式写真集 MAO(徳間書店、2010年)- ISBN 978-4198628932
- 浅田真央 POWER&BEAUTY(小学館、2010年)- ISBN 978-4093881210
関連CD
- 浅田舞&真央 スケーティング・ミュージック(EMI Music Japan)
- 浅田舞&真央 スケーティング・ミュージック2008-09(EMI Music Japan)
- 浅田舞&真央 スケーティング・ミュージック2009-10(EMI Music Japan)
- 浅田舞&真央 スケーティング・ミュージック2010-11(EMI Music Japan)
受賞
日本オリンピック委員会
その他
- 名古屋市スポーツ功労賞
- 愛知県スポーツ功労賞
- 2005年国際競技大会優秀者表彰(文部科学省)
- 2005年度第20回中日体育賞(中日新聞)
- 2005年度第40回ビッグスポーツ賞(テレビ朝日)
- 2005年度日本スポーツ賞 奨励賞(読売新聞)
- 2007年国際競技大会優秀者表彰(文部科学省)
- 2008年国際競技大会スポーツ功労者顕彰(文部科学省)
- 2008年度朝日スポーツ賞(朝日新聞)
Sports@nifty フィギュアスケートアワード
- 2007 コスチューム・オブ・ザ・イヤー ショートプログラム『ノクターン』
- 2008 フィギュアスケーター・オブ・ザ・イヤー
- 2008 コスチューム・オブ・ザ・イヤー フリープログラム『幻想即興曲』(四大陸&世界選手権バージョン)
- 2009 フィギュアスケーター・オブ・ザ・イヤー
- 2009 プログラム・オブ・ザ・イヤー フリープログラム『仮面舞踏会』(振付/タチアナ・タラソワ)
脚注
- ^ a b c 公式サイトProfile
- ^ a b c 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.20
- ^ <銀メダリスト浅田真央に聞く> 東京新聞 2010年3月2日
- ^ 『ワールド・フィギュアスケート 36』新書館、2009年2月、p.19
- ^ a b c 『日本女子フィギュアスケート オフィシャル応援ブック2006』実業之日本社、2005年10月、p.91
- ^ 八木沼純子著『日本フィギュアスケート 氷上のアーティストたち』日本経済新聞社、2005年11月、p.163
- ^ 宇都宮直子著『浅田真央、15歳』文藝春秋、2006年4月、p.92
- ^ 『浅田真央、15歳』p.120
- ^ ネスレプレスリリース
- ^ 斎藤貴子編『フィギュアスケート07』毎日新聞社、2007年4月、p.30
- ^ [1]
- ^ 2008年4月4日放送、TBSテレビ「はなまるカフェ」出演時の発言より。雄の子犬もいたが、近親交配を避けるため東京のブリーダーに預けられており、後に飼い主によって「アクセル」と名付けられた
- ^ 2005年3月にフジテレビで放送された世界ジュニア選手権の総集編では、ペットショップで犬を見て「目がかゆい」と言っている映像が流された。しかし、トイプードルは毛が抜けにくく匂いも少ないため犬アレルギーの人でも反応が出ない事も多い。
- ^ 松岡修造著『Stay Gold フィギュアスケート編』ナナ・コーポレート・コミュニケーション、2003年4月、p.201
- ^ a b 『little wings 新世代の女子フィギュアスケーター8人の素顔』双葉社、2003年12月、p.118
- ^ 2006年世界ジュニア選手権SPジャッジスコア
- ^ 『WFS36』p.4
- ^ 「浅田の3回転半がギネス認定 = 新たな勲章『早く見たい』」時事通信、2010年4月11日更新、同日閲覧
- ^ 池上康男(名古屋大教授)の分析。「超人の科学 天才真央 ココがすごい」『讀賣新聞』14版 2010年2月24日 20面
- ^ 田村明子著『パーフェクトプログラム 日本フィギュアスケート史上最大の挑戦』新潮社、2010年3月、pp.50-52
- ^ 『フィギュアスケートDays Plus 2008-2009女子シングル読本』ダイエックス出版出版、2008年9月、p.9
- ^ 『ファンブック2009』pp.5-6
- ^ 『パーフェクトプログラム』pp.76-77
- ^ 「まるごと安藤美姫」『読売新聞』夕刊、第4版、2009年2月23日、第4面
- ^ 『浅田真央、15歳』p.29
- ^ 『氷上のアーティストたち』p.165
- ^ 現在までに女子シングルでステップシークエンスのレベル4認定を受けたのは、カロリーナ・コストナー(2007年NHK杯フリー)、鈴木明子(2010年四大陸選手権SP)と浅田真央(2007年日米対抗フィギュア(ISU非公認)、2009年国別対抗戦)の3人だけである。
- ^ 湯浅影元(中京大教授)の分析。「超人の科学 天才真央 ココがすごい」
- ^ 浅田真央「栄養・トレーニング」サポートプロジェクト[2]
- ^ 『浅田真央、15歳』p.36, p.120
- ^ 「トップ選手 こぞって導入 美技の秘密はバレエ」『東京新聞』11版S、2010年2月25日、26面
- ^ a b 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。「fanbook09p8
」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません - ^ 『素直な心が才能を伸ばす!』 p.28
- ^ 『パーフェクトプログラム』p.16
- ^ 『little wings』p.118
- ^ 『素直な心が才能を伸ばす!』 p.29
- ^ 『素直な心が才能を伸ばす!』 p.30
- ^ 『パーフェクトプログラム』p.17
- ^ 山田満知子は2005-2006シーズン終了時に浅田姉妹を手放す決意をしたという。理由は山田の体調不良と、国内のフィギュアスケート人気の高まりにともなう練習環境の悪化とされる。田村明子著『パーフェクトプログラム 日本フィギュアスケート史上最大の挑戦』新潮社、2010年3月、p.18
- ^ 『素直な心が才能を伸ばす!』 p.37
- ^ a b 『日本女子フィギュアスケートキャラクターブック 2008-2009』マガジンハウス、2008年10月、p.6
- ^ 「浅田真央 奇跡の軌跡」p68
- ^ 「浅田真央 奇跡の軌跡」p68
- ^ 『キャラクターブック 2008-2009』pp.5-6
- ^ 『パーフェクトプログラム』p.70-71
- ^ a b c 「真央19歳、『金』の鐘鳴らせ…GPシリーズ開幕へ」『讀賣新聞』2009年10月14日
- ^ 浅田真央とキム・ヨナの比較報道に誤り、「とくダネ!」が謝罪。2008年12月18日14時29分 ナリナリドットコム
- ^ 『パーフェクトプログラム』p.210
- ^ 『パーフェクトプログラム』p.74, p.81
- ^ /fc10_Ladies_FS_Scores.pdf 2010年四大陸選手権女子シングルフリー採点の詳細セカンドの2Tは回転不足と判定された
- ^ 「真央に嫌がらせ予告!それでも魅せた3回転半ジャンプ…フィギュア」『スポーツ報知』2010年1月27日
- ^ 「真央に妨害予告! 屈強ガードマンついた!」『ニッカンスポーツ』2010年1月27日更新
- ^ 【フィギュア】浅田真央“盗撮騒動” 韓国側が謝罪「産経スポーツ」2010年1月29日
- ^ 他の選手が跳ばない3回転アクセルに挑み、成功した浅田をより高く評価するべきだと述べるフィギュアスケート関係者もいた。例としてエルビス・ストイコは『カナディアン・プレス』の記事(Kim Yu-Na on path to gold)に、「浅田は常に3回転アクセルを跳び続けている唯一の女子選手であるのに、オリンピックで彼女の3回転アクセルは金妍兒の3回転ルッツより少ない点数しかつけられていない」とコメントしている。
- ^ ISUによるバイオグラフィーより
- ^ 『フィギュアスケートDays Plus 2009-2010女子シングル読本』ダイエックス出版 2009年9月、pp.26-27
- ^ フリープログラムを制作する際、タラソワは「鐘」と「愛の夢」を候補に挙げ、浅田が「鐘」を選択した。『パーフェクトプログラム』pp.78-80
- ^ もともとSPにする予定だったが、「しっくりこなかった」ためEXにした。『フィギュアスケートDays Plus 2009-2010女子シングル読本』pp.4-7、文・野口美恵
- ^ 『キャラクターブック 2008-2009』pp.7-8
- ^ 『2008-2009女子シングル読本』pp.7-11
- ^ 『ファンブック2009』p.88
- ^ a b c d 『2008-2009女子シングル読本』p.11
- ^ 「2005プリンスアイスワールド横浜公演レポート(2)浅田真央 はじめてのPIW 」@nifty:フィギュアスケート特集、2005年5月22日更新、2009年3月5日閲覧
- ^ 野辺山合宿後に変更したため、競技会では滑っていない。
- ^ a b c 『little wings』p.135
- ^ 読売テレビ制作、日本テレビ系列全国ネットの『情報ライブ ミヤネ屋』2010年3月8日放送分より
- ^ “天皇・皇后両陛下が浅田真央選手にお声かけ 春の園遊会”. MSN産経ニュース(産経新聞). (2010年4月15日) 2010年4月15日閲覧。
- ^ “真央、首相にお願い“仕分け”しないで!”. MSN産経ニュース(産経新聞). (2010年4月24日) 2010年4月24日閲覧。