日露戦争がはじまった直後、明治天皇が放った「驚きの一言」

天皇は戦争をどう見ていたか

司馬遼太郎の見識

2020年代に入ってから、疫病に戦争と、さまざまな災厄が世界に降りかかっています。

少し目線を高くして、巨視的にものごとを見る必要性や、「歴史に学ぶ」必要性を感じる機会が増えたという人も多いのではないでしょうか。

「歴史探偵」として知られる半藤一利さんは、なぜ日本が無謀な戦争に突っ込んだのかについて生涯にわたって探究を続けた作家・編集者です。

半藤さんの『人間であることをやめるな』(講談社文庫)という本は、半藤さんのものの見方のエッセンス、そして、歴史のおもしろさ、有用性をおしえてくれます。

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本書には、作家・司馬遼太郎の見識の鋭さを紹介する章があります。

司馬が『坂の上の雲』に記した名フレーズを、その歴史的背景をおぎないつつ解説するという趣向で、たとえば、日露戦争開戦前後の、指導者たちの様子を以下のように描いています。

『人間であることをやめるな』より引用します(〈〉の中が、司馬の文章です)。

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 明治三十六年春から、帝政ロシアの南下政策はより強硬の度を加え、満洲はおろか朝鮮半島も占拠される危険が高まり、日本のもつ諸権益は風前の灯となった。そこでロシアと直接交渉に入ったのが七月二十八日、交渉は翌年二月までつづくが、ロシア側のスローモーぶりは前代未聞に近かった。

しかも、いかに努力と譲歩を重ねても、ロシア政府は満洲は日本の権益外とし、交渉は朝鮮半島のみに限定すると主張、日本の反論をいっさい受けつけようとはしなかった。交渉は最初から難航し、前途に曙光を見出せそうにもなかった。ドイツ人医学者ベルツの、三十六年九月十五日の日記を引いてみる。

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