茂野吾郎とは、漫画『MAJOR』に登場する野球選手(投手)である。
旧姓は本田。プロ野球選手本田茂治の第1子として生まれる。母は生まれてすぐに他界したため、茂治一人に育てられた。
幼稚園から野球を始め、5歳児ながら90km/hのボールを投げた。父が野手に転向した直後にジョー・ギブソンから放ったホームランに感動したが、そのギブソンから頭部死球を受けて父は死亡。父の婚約者で幼稚園の先生だった星野桃子に引き取られて育った。
小学校では三船リトルに所属。この頃に桃子は茂野英毅と再婚したことで、名字が茂野に変わった。義父となった英毅のチーム移籍に伴う引っ越しのため博多リトルに籍を移したが、その在籍中に肩を壊してしまったため、右投を断念。左投に矯正した。
中学校ではまだ左投を物にできていなかったが、英殻の指導で弱点を克服し、ジャイロリリースを身に付けた。県大会まで進出したが、県大会で海堂学園中東部の眉村健にコールドで完敗。佐藤寿也と共に海堂の入団テストを受けて合格した。
高校では海堂に進学したが、マニュアル野球に反発し自主退学。その後は江頭の妨害もあり野球部がない聖秀学院大学に編入して野球部を作る。再び江頭の妨害に遭い、右足を骨折する重傷を負いつつも試合出場を重ね、地方大会準々決勝で海堂と死闘を繰り広げたが、右足に限界が来て力尽きた。
その後は目標となっていたギブソンがメジャーで活躍し、吾郎を待っていることを知って渡米する。
盗難に遭って詰んでいたところを八木沼隼人に助けられ、共にアナハイム・サーモンズのテストを受けて合格。しかしオープン戦で打ちこまれ3Aに降格。さらにその後ギブソンの息子、ジョー・ギブソンJr.に打たれた後、ギブソンJr.にとっても因縁となった父を誹謗中傷されて激昂し、チームを解雇された。その後は勝利への執念がないメンフィス・バッツに入団し、クローザーとして活躍。軍曹と呼ばれていたサンダースと共にチームを立て直し、リーグ優勝に貢献した。その後ギブソンJr.と再会し、優勝決定戦では102mphの直球でバットを折って三振を奪った。対戦後はギブソンJr.と和解した。しかしインディアナ・ホーネッツに嘘をついていたことがばれたため、この年のホーネッツへの昇格はなかった。
日本に帰国した後はワールドカップが開催されることを知り、父のコネで打撃投手を務めるが、メジャーリーガーの鈴木コジローとの対戦であっさり直球を打たれ、野呂の指導を受けてジャイロフォークを投げるようになる。松尾との対戦でバットを折りつつもスタンド近くまで打球を運ばれたことで力不足を感じ、ホーネッツのキャンプに戻ったが、野呂の故障と、コジローと松尾の推薦もあって日本代表入りした。
日本代表ではクローザーを務め、決勝のアメリカ戦まで勝ち上がり、延長戦で憧れのギブソンと投げ合う。最後はギブソンJr.にサヨナラホームランを打たれ、敗戦投手となってしまった。
アメリカ戦で活躍したことで注目されるようになり、開幕メジャーは当確となり、デビュー戦ではノーヒットノーランをやりかけたが、ランナーを抱えただけで動揺するようになり、コントロールが定まらなくなったことで自らマウンドを降り、周囲を驚かせた。2戦目では再びランナーを抱えて動揺し、相手の頭部に死球を当ててしまい、これによりイップスにかかっていることが確定する。マイナーに降格した後はオリバーと知り合い、イップスの治療を受ける。イップスを治しメジャーに復帰したが、闘志が消え失せていて、打撃のいいチームに打ちこまれた。ギブソンの現役復帰には反発していたが、マイナーからでもやり直そうとする姿を見て、100mphを超える直球と闘志を取り戻した。ワッツの不調を受けてクローザーとなったが、この頃に血行障害に悩まされるようになる。地区優勝決定戦で右手に限界が来て、10者連続三振はならず、しかもブルペンで誰も投げていなかったことを知り、時間を稼ぐ。最後は101mphの直球で三振を取った後、自らマウンドを降り、翌日病院で地区優勝を達成したことを知った。
日本に帰国後、ソフィアに見張られながらも生活し、清水にプロポーズして結婚した。
7年後にギブソンJr.が所属するテキサス・レイダースとワールドシリーズで対戦。第6戦でギブソンJr.の打球を頭部に受けたが、幸い意識を取り戻した。
第7戦ではベンチでじっとしていたが、劣勢を見ていられずマウンドで準備し、ワッツ監督の反対を受けつつもマウンドに上がる。元チームメイトのジェフ・キーンのバットをへし折って三振を奪い快調なスタートを切る。途中眩暈に苦しみながらも粘投し、最後はギブソンJr.から三振を奪い、メジャー9年目にして世界一を達成した。
その後もホーネッツに所属したが、左肩を壊して投球ができなくなり、ホーネッツを解雇される。その後は密かに野手に転向するために練習を重ね、横浜オーシャンズに入団。公式戦でホームランを放ち、いずみを感動させた。
いずみの弟で長男の大吾が主人公のために登場しないが、42歳ながら台湾で現役を続ける。シーズンオフに帰国し、佐藤寿也の息子の光を負傷させて落ち込んでいた大吾を励ました。
その後、南米リーグに挑戦したがそこで遂に現役引退を考えることになり帰国。中学1年生でキャプテンに抜擢された大吾にコーチを請われたのをきっかけに、セカンドキャリアとしてコーチ職に就くことを決意。現在は四国独立リーグで選手兼コーチとして活躍している。
吾郎が投げる直球はただ速いだけではなく、ジャイロ回転するため、真芯で捉えてもバットを粉砕する威力を持つ。
W杯編で本格的にフォークを投げるようになり、最初はコジローに打たれていたが、修正を加えたことにより、ベース寄りで落ちるようになったことで空振りを奪いやすくなった。他にはカーブ、カットボールなども投げたことはあったが、実戦で使えるレベルではなかった。
打撃においても長打を打つことが多いため、「エースで4番」として出場することが多い。
怪我をしても選手生命を顧みずにプレーすることで怪我を悪化させることが多い。ワールドシリーズでは周囲は流石に登板しないだろうと思っていたが、最終的にマウンドに上がっている。しかしジェフ・キーン曰く、この時にとてつもない集中力を発揮する。
直球を投げる時に帽子が落ちることが多いが、吾郎曰くこれが調子のバロメーターを示している。
背番号は56を付けることが多いためか、ニコニコ動画では56の愛称で親しまれる(W杯編では25)。
掲示板
34 ななしのよっしん
2023/10/30(月) 01:28:32 ID: dja81X14S7
>>33
プロ上がってから怪我で離脱したのは1年目の血行障害くらいだしその後は子供が小学校に入るくらいまで特に何事もなくプレーしてたけどな
完璧な制球とキチガイフォークと芯で捉えてもバットへし折る球威が低スペックとかよく言えるわ
35 ななしのよっしん
2023/10/30(月) 10:08:50 ID: 7X6nwGEBNm
>>34
何事もなかった?
先発でやっちゃいたけど、再び血行障害を発症しちゃったからストッパーになっていたんだけど。
悪いけどそちらこそナレーションを読んでいないな?
36 ななしのよっしん
2023/10/30(月) 13:55:38 ID: dja81X14S7
>>36
何事もなかったは言い過ぎだけどめちゃくちゃスペ体質みたいに言われるほどでもないだろと思っただけ
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最終更新:2025/01/05(日) 01:00
最終更新:2025/01/05(日) 00:00
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