山本KIDとは、日本の元格闘家である。主なバックボーンはレスリングと修斗。1977年3月15日生まれ。
総合格闘技ジム『CRAZY BEE』設立者。
ニックネームはKIDまたは神の子。
総合格闘家であるにもかかわらず打撃の威力は立ち技専門の選手を凌駕するほど。特に右フックは業界関係者からの評価が高かった。
父親はミュンヘンオリンピックレスリング代表で姉と妹はレスリング世界選手権を制覇するなどレスリング一家に生まれ自身もレスリングで実績を残すもオリンピックへの出場はかなわなかった。これを機に総合格闘技に転向。
2005年の大晦日には70kg級のチャンピオンになるなど全盛期は輝かしい選手生活を送った。
中でも魔裟斗相手に立ち技ルールで一歩も引かなかった試合や宮田和幸にゴングが鳴った途端膝蹴りを入れ4秒でKOした試合は今でも語り草。
2011年から総合格闘技団体最大手であるアメリカのUFCに参戦するが4戦3敗1無効試合に終わる。渡米前後から刺青の量が急に増えた。
その後は東日本大震災のチャリティーイベントとして11年ぶりに魔裟斗と対戦したり(結果は判定負け)、AbemaTVの格闘代理戦争なる番組に出演したりしていた。
引退を公言したことはないのだが戦績が芳しくなくなり怪我も増えたころ辺りからはどちらかというと指導者としての出番が増えていった。
2018年8月26日に胃がんであることを公表。この時点で全身に転移していたらしい。
晩年は飛行機の乗り降りにも苦労する状態となっておりグアムに渡った時点で「もう日本には帰れないな」とこぼしたという。
2018年9月18日に療養先のグアムで多腎器不全により死去。41歳だった。
親交のあったダルビッシュ有やダナ・ホワイト、BJペンが追討を寄せている。
全盛期は鬼のような三角筋を誇っていたがある時期を境に筋肉のハリは落ちていった。
初期の試合は目が明らかにおかしく見える試合も多く筋肉増強剤と興奮剤の使用を疑う声もある(宮田和幸戦とイストバン・マヨロシュ戦を比較すると分かりやすい)。
UFCで鳴かず飛ばずだったのは向こうのドーピング検査が日本よりは厳しいためとも。というか日本が緩すぎたのもこういった疑惑が出る原因である。
総合格闘団体DREAMは当初65kgをフェザー級とする予定であったがそこに「(チャンピオンになるなど全盛期は70kg契約なのに)自分は61.2kgがベスト。俺の階級を作ってほしい」という意見をぶつけ両者が折り合いフェザー級を63kgに設定してもらうも戦績は向上しなかった。
単純に年齢を重ねたことや怪我が原因ともとれるがこういった話が出るほど全盛期との差が激しかったのである。
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最終更新:2025/01/07(火) 02:00
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