安居玉一 単語

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安居玉一(やすい たまいち)とは、元プロ野球選手である。故人。

概要

1922年10月10日生まれ。静岡県浜松市出身。

東邦商業学校に進学。チームエースとして活躍し、1941年春の甲子園大会では全制覇を達成。しかし、同年夏の甲子園大会が中止になったことから暴行事件を起こしてしまい、同校を中退している。

1941年阪神軍に入団。

1942年投手サードとしてプレー投手としては、10試合に登板して1勝3敗、防御率2.06を記録。野手としては55試合に出場して、打率.201、4打点記録している。

1943年からは野手に専念。同年は81試合に出場したが、シーズン終了後に応召を受けて退団。その後事に第二次世界大戦を生き延びて、1946年に復帰。

復帰後はに6番・7番打者を打つファーストとして起用され、1948年には打率.271、7本塁打、63打点、10盗塁記録1950年には打率.300、11本塁打、60打点、15盗塁記録するなど、ダイナマイト打線の一として活躍。

1951年大洋ホエールズへ移籍。レフトとして起用された。同年は打率.321、14本塁打、65打点記録し、打撃3部門でキャリアハイとなる成績を残した。1952年には、こちらもキャリアハイとなる22盗塁記録している。

1953年国鉄スワローズへ移籍。国鉄ではに5番打者として起用され、1954年には、打率.258、5本塁打、46打点記録

1955年近鉄パールスへ移籍。81試合に出場して、打率.245、1本塁打、22打点記録

1956年、大映スターズへ移籍。大映ではに4番打者として起用され、1956年には6本塁打を放つなど活躍。

1957年、現役引退

2002年8月22日、死去。享年79歳。

人物・エピソード

ランナーのいる場面で力を発揮した強打者。捕手以外の8ポジションでの出場を経験している他、所謂『大根打法』と呼ばれるダウンスイングも特徴的であった。

プロ入りから1948年までは「玉置玉一(たまき たまいち)」の登録名でプレーしていた。

通算成績

打撃成績

通算:13年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 1392 5139 4854 492 1298 70 569 116 25 7 241 11 273 73 .267 .304

投手成績

通算:1年 登板 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 10 1 0 1 3 --- --- .250 47.1 28 13 15 11 2.06

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