資本主義の犬とは、
同義語に資本主義の豚もある。いずれにせよ悪口には違いないので多用は控えよう。ここでは両方合わせて説明する。
概要
元々は共産主義者や社会主義者たちが、資本主義という社会システムを批判する為の言葉であり、イデオロギー的なスラングであった。共産主義に傾倒する若者たちは当時の社会を牛耳る会社の社長や、活動を辞めて普通にサラリーマンとして暮らそうとする同胞を資本主義の犬や豚などと揶揄し、批判したのである。中国では走狗派などと呼ばれ、もし走狗派のレッテルを張られてしまったら自己批判の強要や人民裁判などの厳しい社会的制裁が加えられた。
しかし時代は移り、共産主義運動も下火になった現代では、資本主義者というよりは金のためならなんでもやる拝金主義者や市場経済のもと非倫理的な経済活動を行う事業体などが資本主義の犬と呼ばれるようになった。その中でも、特に品位がないと判断されると資本主義の豚と言われてしまう。
だが、おおよその場合においてこの言葉は、競争に敗れたり、努力をしなかったため社会的地位が低くなってしまった者たちのルサンチマンになっているのも事実だ。当然ではあるが、ルールを侵さない限りはどんな競争でも基本的には何をやっても良いのが資本主義であり市場経済である。発言者が共産主義者などの資本主義そのものを批判しているならともかく、資本主義を是認しつつ利益追求行為を否認するのはダブルスタンダードだろう。もちろん資本主義にも社会主義的資本主義や新自由主義など分類化できるが、いずれにせよルールの下での全ての個人企業には利潤追求の権利が与えられていることは共通しているので同じこと。ある商法があり、そこにおいてたとえ品位がなかったとしても、売れるということは需要があるということであり、社会に貢献していると言える。
例えばよく批判される非倫理的商法としてやり玉に挙げられるのが、アイドルグループのAKB商法である(実際に非倫理的かどうかはここでは問わない)。確かに同じような商品をマイナーチェンジで大量に出荷したり、握手券などで釣って中身で勝負しないのは人によってはお行儀が悪いと思えてしまうのかもしれない。だが、日本は法治国家であり秋元康が法律を破っていない限りたとえどんな人間であろうと彼の商法を止めることはできない。そして消費者がそれを認め購入するということはそれは社会的に意味のある行為と言える。
19世紀のドイツの経済学者カール・マルクスが大著「資本論」において指摘している通り資本主義において限界までの利潤追求は不可避であり、個人にせよ企業にせよもし経済主体がそれを無視するならば、その主体は近いうちに競争に敗れ、市場からの撤退を余儀なくされるだろう。現代の世では誰しもが拝金主義者にならざるを得ないのである。
だがその一方で20世紀のアメリカの経済学者、ミルトン・フリードマンが名著「資本主義と自由」を書いたことに端を発するリバタリアンたちの先鋭的資本主義はチリの経済を破壊し、内紛によって大量の死傷者を出した。(これはナオミクラインのベストセラー「ショックドクトリン」に詳しい)。さらに資本主義を進めすぎることによる環境破壊は人類そのものを脅かすことになり、更に資本主義の内生的破壊衝動すなわちバブルの存在など、資本主義が諸手を挙げて礼賛されるユートピア的社会システムではないのは周知の事実であろう。資本主義を絶対的で人類最終的な社会とせず多角的な視野を養うためには資本主義の犬などとは呼ばれないように心がけることが大切である。
関連動画
関連商品
関連項目
まあ色々書いたけど、ニコニコで資本主義の犬と言えばほとんどの場合この犬畜生の事を指す。
- 20
- 0pt
- ページ番号: 4719018
- リビジョン番号: 2184279
- 編集内容についての説明/コメント: