江藤智(えとう あきら)とは、
概要
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OB | |
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江藤智 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都東大和市 |
生年月日 | 1970年4月15日 |
身長 体重 |
182cm 95kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 三塁手、一塁手、捕手 |
プロ入り | 1988年ドラフト5位 |
引退 | 2009年 |
経歴 | |
選手歴 監督・コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
1988年ドラフト5位で広島東洋カープに入団した。背番号は51。関東高等学校では通算61本塁打を記録し、「東の江藤、西の谷繁」として名を馳せた。ドラフト指名されたことで関東高等学校史上初のプロ野球選手となった。この頃は捕手だった。
広島時代
1990年は右翼手や一塁手で出場機会を得て、5本塁打、10打点を記録。
1993年から三塁手のレギュラーとして定着。34本塁打を記録し、本塁打王のタイトルを獲得した。
1994年は故障で出遅れたが、打率は3割を超え、首位打者争いを繰り広げた。
1995年には39本塁打、106打点を記録し、本塁打王と打点王を獲得した。
1996年には松井秀喜、山崎武司と本塁打王争いを繰り広げていたが、負傷で戦線離脱した。オフには結婚した。
巨人時代
2000年にはFAで読売ジャイアンツに移籍。長嶋茂雄から背番号33を譲り受け、長嶋茂雄が再び背番号3のユニフォームを着るきっかけとなった。9月24日中日ドラゴンズ戦では、エディ・ギャラードから満塁ホームランで同点に追いつき、優勝決定に繋がる勝利のきっかけとなった。オフにベストナインを受賞した。
2001年は131試合の出場で打率.285、30本塁打、87打点を記録し、2年連続でベストナインを受賞した。
2002年から成績が低迷していき、2004年には無償トレードで福岡ダイエーホークスから移籍してきた小久保裕紀にレギュラーの座を奪われた。
2005年には通算350号が東京ドームの天井にあたって幻となり、ついに本塁打が1本も打てなかった。
西武時代
2006年1月に豊田清の巨人移籍に伴い、人的補償として西武ライオンズに移籍した。背番号は33。FAと人的補償の両方を経験した初の選手となった。先述の350号は4月15日に達成した。
2007年9月27日に通算1000打点を達成。西武では代打としての起用が多かったが、一塁で出場することもあった。
2008年は代打、クレイグ・ブラゼルが故障した際に4番として出場。優勝に貢献した。オフに再度取得したFA権を行使せず残留した。
引退後
2010年に巨人の育成コーチに就任。2010年には二軍打撃コーチ、2011年から一軍打撃コーチに就任した。2014年からは二軍打撃コーチを務める。2016年に一軍打撃コーチに復帰。2018年は三軍監督を務めたが、同年をもって巨人を退団した。
人物
性格は良く、巨人での6年間も「いい思い出だった」と語っていた。日本テレビの番組「ズームイン!!朝!」でも(同じ「あきら」である)福沢朗に「いい人江藤」と言われていた。
西武時代は何故か渡辺久信監督からも「江藤さん」と呼ばれていた。
巨人では一度も4番を打ったことはなかった。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
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広島 | 応援歌のピコカキコ一覧#460 | 9832 | |
巨人 | 応援歌のピコカキコ一覧#271 | 9145 | |
西武 | 応援歌のピコカキコ一覧#1008 | 12029 |
成績
通算打撃成績
通算:20年 | 試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
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NPB | 1834 | 6915 | 5866 | 1004 | 1559 | 246 | 17 | 364 | 1020 | 83 | 22 | 52 | 923 | 49 | 1175 | 92 | .268 | .370 |
タイトル・表彰
タイトル | ||
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最多本塁打 | 2回 | 1993年、1995年 |
最多打点 | 1回 | 1995年 |
最高出塁率 | 1回 | 1996年 |
表彰 | ||
ベストナイン | 7回 | 1993年-1996年、1998年、2000年、2001年 |
月間MVP | 4回 | 1994年8月、1995年6月、1999年8月、2000年6月 |
ゴールデングラブ賞 | 1回 | 1996年 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 6回 | 1993年、1995年、1996年、1998年、1999年、2001年 |
関連動画
関連項目
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