ブラウンGPとは、2009年に設立、ならびに解散したF1コンストラクターである。
たった1年だけの参戦なれど、圧倒的な強さでコンストラクターズチャンピオンを獲得した。
その母体は2008年で撤退したHonda Racing F1 Team(以下HRF1)。
ホンダ撤退からダブルタイトルまでの道・・・
急激な世界的景気後退(リーマンショック)の影響を受け、2008年12月5日ホンダの第3期F1活動からの撤退が発表された。
その活動の基本組織だったHRF1は独自でのF1継続参戦を望みいくつかの買収先と話し合いを持つ。
しかし有力な動きや噂話等はあったものの実現はせず、買収先は見つからないまま2009年を迎えたが、
3月になり、チームプリンシパルであったロス・ブラウンがマネジメント・バイアウト(MBO)を行い、
同社の株式をホンダより100%買取り、ブラウンGPとして参戦する事が決定された。
体制としてはロス・ブラウンがチーム代表として就任、旧HRF1のCEOのニック・フライも首脳陣として残留。
ドライバーに関しては旧HRF1の2人、ジェンソン・バトンとルーベンス・バリチェロの体制。
テスト&リザーブドライバーも同様にアレクサンダー・ヴルツ、
しかしシーズン中のテスト制限の為、実際はリザーブ兼アドバイザー職となる予定。
(注・・・BBCラジオのF1中継解説者である、アンソニー・デビッドソンがリザーブだとの説もあり)
マシンはBGP001・・・別名「RA109」と言えるマシンである。
エンジンは当初の噂ではフェラーリとの情報もあったが否定されて、メルセデス製V8エンジンを使用する。
チーム設立後に参加したテストで好タイムを叩き出し一躍ダークホース的存在となる。
2009年、開幕から序盤はジェンソン・バトンが連勝に次ぐ連勝で一気に他チーム、他ドライバーを引き離す。
チームメイトのルーベンス・バリチェロとのワンツーフィニッシュを重ね、コンストラクターズチャンピオンも有利に進める。中盤からはジェンソン・バトンの活躍に陰りが見えるが、今度はルーベンス・バリチェロが頭角を現し始める。
表彰台に上る回数こそ序盤より減ったものの、ジェンソン・バトンは着実にポイントを重ね、
ブラジルGPを5位入賞し、チャンピオンに輝くと同時に、チームのコンストラクターズチャンピオンも確定する。
シーズン終了後、ダイムラーと同社株主でもあるアーバー・インベストメントがチーム株の3/4を買収、2010年からメルセデスGPとして参戦した(2012年からメルセデスAMG)。
チャンピオンチームが名目上の撤退となるのも異例(本格参戦という意味では1958年のヴァンウォール以来) であり、たった2年で別の自動車メーカーワークス(ホンダ→ダイムラー)になるのも異例である。
BGP001
上記の通り、もともとはRA109としてホンダエンジンを搭載する予定で開発されたマシンである。
HRF1は、2008年シーズン用のRA108も設計ミスが発見されてこれ以上の戦闘力向上が望めないと判断、ウィングサイズなどが大きく変わる2009年シーズンを見越して、シーズンのはじめから設計を開始、1年がかりで開発を進めていたものであった。
2009年のレギュレーションでは、従来よりもディフューザーのサイズが小さくされていたものの、その上部の構造には規定がなかったため、そこにもう1層のディフューザーの構造を入れ、失われた分のディフューザー効果をもたらすようにされた。これがダブルディフューザーと呼ばれるものであった。これを2009年の開幕戦で持ち込んだのは、ブラウンGP、トヨタ、ウィリアムズであった。
しかしブラウンGPは、フロントウィングの形状も複雑なものを導入、効率的な気流の制御とダウンフォースを稼げるものとなっていた。
これらの組み合わせで、シーズンの前半を圧倒的な速さで結果を残すこととなった。
後にダブルディフューザーが合法と判断されると他のチームも一斉に投入したが、彼らに追いついたのはレッドブルのみであった。
記録
- デビュー戦 ポール・トゥ・フィニッシュ - 1954年 メルセデス・ベンツ以来
- デビューからの開幕2連勝 - 史上初
- デビューイヤーでのコンストラクターズチャンピオン、ダブルタイトル獲得 - 史上初
- その年のチャンピオンコンストラクターの撤退(買収) - 史上初
(引き継いだメルセデスGPのカーナンバーは引継)
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関連項目
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