もし、あなたの親が認知症になったとしたら、かなり高い確率で経験することがあります。
親の間違いをただすべきかどうか、の悩みです。
新型コロナの流行が落ち着いて、グループホームに入所した母親に久々に会いに行った編集のYさん。まだ窓越しの面会ですが、それでも親子の会話を楽しみ、帰り際に、差し入れのゼリーを、「みなさんの分もありますので」と、母親を迎えにきた施設の職員に渡しました。自分に渡されるとばかり思っていた母親は、その様子を見て「えっ!?」という顔をしたのが引っ掛かりましたが、Yさんは「じゃ、またね」と言って、グループホームを後にしました。
それから1か月がたち、Yさんの母親から、Yさんに電話が掛かってきました。「ケーキをありがとう。職員の方から『ごちそうさま』と言われたから、あなたがみなさんに持ってきてくれたのね」。
母親が認知症だということは重々承知しているYさん。「そうだよ、おいしかった?」と受け流せば、そこで話は終わったかもしれません。でも、Yさんは、自分が面会に行った記憶が母親に残っているのかも、という淡い期待から、「いや、持っていったのはゼリーなんだけど」と返したそうです。
ここからが“認知症の家族との会話あるある”です。
母親は「そうだった! あれ、私は食べてないのよ。職員の人に持って行かれたんだわ、きっと仲間たちで食べてしまったんだね」と怒り出したそうです。
もし、あなただったら、この母親に対して、どのように受け答えするでしょうか?
つい母親に反論してしまった
Yさんは「いやいや、そんなわけないよ」と母親に反論してしまいました。すると母親が職員たちに対する文句を言い始めたのです。「これはマズイ!」と思ったYさんは、「それはたぶん、前に会いに行ったときのお土産のお礼を言ったんだよ。母さん、あまり人の悪口を言っていると、人生がつまらなくなっちゃうよ、笑って笑って」と治めにかかり、母親も「それもそうよね」と明るさを取り戻したので、ほっとして電話を切りました。
認知症と分かっていて、話を合わせるのが最適な対応だということも知っている。しかし、やはり面と向かってウソをつくのは辛い……。電話を切ったあと、Yさんは考え込んでしまいました。
企業での個別の介護相談でも、「認知症の親にウソをついたり、話にどこまで同調したりすればいいのか?」という相談をよく受けます。背景には、「人に、まして自分の親にウソをつきたくない」というもっともな理由もありますし、ひょっとしたら親がまだ記憶を保っていてくれるのでは、という期待もあるでしょう。
さて、どう考えればよいでしょうか。
あくまで、現場で認知症の方と関わってきた経験からの私の仮説ではありますが、Yさんの母親には、「差し入れのゼリーを食べた」という記憶が残っていません。それなのに、息子(Yさん)は「持っていった」と言っている。息子の気持ちにも応えたいし、ありがたいという気持ちも残っているため「ごめん、食べたかどうだか忘れちゃったよ」とは言いたくない。そこで、自分でも、息子でもない、誰かのせいにして「あの人たち(職員)が食べた!」というのが母親的には一番納得のいく落としどころになった、のではないでしょうか。
だとしたら、「ゼリーの差し入れはしていなかった」「ケーキを差し入れた」という対応をしてもいいのかもしれません。でも、それは母親のことを思って、「暑いし、のどごしのいいゼリーが喜ばれるだろう」と差し入れをした息子としては、苦しいことかもしれません。すべてがなかったことになってしまいますから。
この連載でお話ししてきたロジックでは、迷ったときは「あなたにとって介護の主人公は誰ですか?」で考えることをお勧めしています。
介護の主人公はYさんの母親です。主人公が穏やかでいることが一番大切なのです。そのためには、「差し入れをしたのはケーキじゃなくてゼリー」という真実はどれくらい大切なのでしょうか? ということになります。Yさんの母親にとっては「息子からケーキを差し入れしてもらった」ことが“真実”で、主人公がそう言って、心が穏やかにいられるならば、それで十分なのです。
……というのが回答になるのですが、そういわれてもきっとモヤモヤしますよね。
それが当たり前です。この対応は、第三者である介護のプロだからこそ実行できる領域なのですから。それまでの長い時間、近しい関係性を持っている子どもにとっては、こんな対応は難しいはずです。「介護はプロの力を頼りましょう。そして、介護のプロでも、自分の親の介護はできません」ということも、度々お伝えしてきた通りです。
自分を含めた介護を仕事にしてきた人間でも、自分の親に対してすらすら話を合わせるのは難しいし、もし毎日となったら無理な話です。
ウソをつくのが辛いと感じたら
じゃ、どうすべきか?
端的に言って、もし、少しでもウソをつくのが辛いならば、親との接触頻度を下げるのが一番いいと私は思います。
やはりそれまでの家族としての歴史があるので、時には「持っていった」「もらっていない」と言い合いになり、「やってしまった」ということもあるでしょう。認知症を発症された方は、本人が食べていても「そんなの食べてない」と言われてしまうことは日常茶飯事で、それ自体は大きな問題ではありません。しかし、差し入れを巡る子どもとのやりとりで認知症の親が混乱し、面会のあとで職員に「息子の差し入れを独り占めにしただろう」と暴力的になったり、それが習慣化してしまうと、施設側は「親御さんのためにも、もう、差し入れは持って来ないでください」という対応をせざるを得ません。
親を思ってやったことが、親を苦しめてしまう。そんな悲しい悪循環を避けることこそ、本当の親孝行ではないでしょうか。
「親にウソをつくことが辛い」と感じたら、それを素直に施設の人やケアマネジャーに打ち明けるのもいい対応です。今、起きていることを伝え、認知症の親と関わる頻度を下げてもいい。Yさんであれば、もし、素直に笑って電話を終えることができなくなったら、母親からの電話の着信のすべてを受ける必要はないのではと思います。それで気持ちの余裕ができれば、母親の記憶違いをゆったり受け流せるでしょう。
介護の主人公はあくまで母親、あるいは父親であるべきです。
でも、その主人公に隷属するのがあなたの仕事ではありません。「主人公として扱う余裕」を、あなたが持ち続けること、そのために距離を取ることが必要なら、ためらうべきではありません。
無理に接触頻度を増やしたり、無理に近くに居ようとするから「ウソをつくことが辛くなる」と考えてください。辛くなったら距離を取るのです。
もう一つ、“ウソ”を含めて話を合わせるにしても、「どこまで同調していいのか?」という問題について。
どこまで話を合わせればいいのか?
例えばYさんの母親のように、グループホームの職員の悪口を言いだしたら、「そうなんだ…。ひどい施設だね」と同調した方が母親は穏やかになれるのでしょうか。
認知症を学ぶ教科書には「共感が大切」とあります。しかし、それもまたプロの仕事として介護をする場合の話です。そういう場合に同調やさらなる上塗りをする必要はありません。否定もしなくていい。「ああ、そうなんだ。そういうこともあるのかねえ」と、軽く流してください。
攻撃的になる理由にもよりますが、話を聞く姿勢をさえ見せることができれば、穏やかなやり取りとなることがほとんどです。それでも、本人の感情の高ぶりが治まらなければ「こんな会話をしていたら、向こうがヒートアップしてしまいました」と、施設やサービスを担当するプロに相談・報告してください。「このご家族は私たちのことを理解してくれている(Yさんの例で言えば、差し入れのゼリーを施設の人間がネコババしていない、と分かっている)」という信頼関係を醸成するキッカケとなります。
相談された側がプロらしく振る舞ってくれれば、施設に対して攻撃的になる理由を推測・検証して、どこに不満があるのかを試行錯誤し、その解消に乗り出してくれるでしょう。それが、介護の主人公である認知症となった親が穏やかに暮らすための最善の対応です。くれぐれも、「あの施設は親をだましている」「もう、安心して入所させられない。やはり他人には任せられない」と、家族で介護を抱え込んでしまったりしないようにしてください。
模範解答は「プロ」のためのものです
認知症ケアに対して、「こういう関わり方をしましょう」という模範解答はあります。しかし、それはプロとしてケアをする上で必要な技術です。
家族として関わるあなたが、それに合わせる必要はないのです。親子であれば、親が認知症となっても普通に会話をすればいいですし、うまく受け流せずに言い合いなってしまってもいいのだと思います。
それが辛くなってきたとしたら、あなたと親との距離が近すぎた、それだけのことなのです。
介護の主人公である認知症となってしまった親が、心穏やかにいるというゴールさえ見失わなければ、家族としての関わり方に成功や失敗の線引きは絶対にありません。親子関係は適切な認知症ケアをするためにあるわけではありません。どうか、「うまくウソがつけない」ご自身を責めるようなことだけはしないでください。
親を「グループホーム」に入れたらどんな介護生活になるのか。
そもそも「グループホーム」とは、どこにある、どんなところなのか?
親が高齢になれば、いずれ否応なく知らねばならない介護施設、その代表的なものの一つである「グループホーム」。『母さん、ごめん2 50代独身男の介護奮闘記 グループホーム編』で、科学ジャーナリスト、松浦晋也さんが母親をグループホームに入れた実体験を、冷静かつ暖かい筆致で描き出します。
介護は、事前の「マインドセット」があるとないとではいざ始まったときの対応の巧拙、心理的な負担が大きく変わってきます。本連載をまとめた書籍で、シミュレーションしておくことで、あなたの介護生活が「ええっ、どういうこと?」の連続から「ああ、これか、来たか」になります。
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